自転車に乗れないアラフィフが「超有能に見えて驚くほど無能」な女性に救われた理由

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『オー!マイ・ボス!恋は別冊で』、『TOKYO MER 〜走る緊急救命室〜』、『怪物の木こり』、『忍者に結婚は難しい』等々で、優秀でかっこいい女性像を演じてきた菜々緒さん。その彼女が「超有能に見えて驚くほど無能」な女性の主人公を演じるのだという。その人の名前は鷹野ツメ子。はんざき朝未さんが描いたコミック『無能の鷹』の主人公だ。

無能な人が主人公になりうるの?魅力的なの?と思う人もいるかもしれない。心から「鷹野に救われた」と感じているアラフィフ筆者が「無能の魅力」をお伝えする。

信じてもらえないことが多いけど、自転車乗れません

筆者は自転車に乗れない。

そういうと、「またまたあ、嘘ついちゃって」という顔をされる。

しかし、それは事実だ。

早い人だと3〜4歳でもできることを、大人の筆者ができない。それが事実だ。

だから、『アメトーーク!』の『運動神経悪い芸人大賞』を、「これ絶対ヤラセだろ」とは思わない。誇張や演出はあるかもしれないが、「説明できないけれどできないこと」が人にはありうるからだ。

正確に言うと、乗れた時代はあったが、中学生のときから乗れなくなり、以降乗れなくなった。

小学1年生ごろ、父親が自転車の後ろをもって筆者が補助輪なしで初めて走った映像も残っていた。そこで、いつの間にか父が手を離して隣を歩いていて、「わあ、乗れた!」とワカメちゃんカットで前歯が抜けている幼い自分が叫んでいた。

乗れなくなった原因は、衝突事故だった。

中学生くらいのとき、自転車を飛ばして細い路地の角を曲がったところで、集まって井戸端会議していたらしき女性の団体に突っ込んだ。幸い、軽いけがをしたのは筆者だけだったが、何よりも「何やってるの、あなたは!」という怒りの形相が焼き付き、「私は人に怪我をさせうるヤバい奴なのだ」というトラウマになった。

それ以来、何回か試しても、ほとんど乗ることができずにいる。

30年以上の中で数回、森林公園のサイクリングコースで、誰もいない所だったら走ることができたこともあった。でも今は、自転車に触るだけで手に汗をかき、身体が震え、心臓がバクバクする。またがることはもとより、街中で乗るなんて、ありえない。

22歳になって車の免許を取ったあと、1年で自動車のドアを3回つぶしたくらいなので、乗り物のセンスがないのだろう。

このままだと、誰かに怪我をさせうる。だから、遊園地のゴーカートなどをのぞいて「乗り物を運転する」のを一切やめた。運転免許証は2000年以降更新していない。

保育園の送迎は天才ばかり

自転車に乗れないので、保育園の送迎も抱っことベビーカーでこなしてきた。多くのママたちが自転車でぴゅーっと抜かして行くのを見ながら、娘に「自転車で保育園に行きたい!」と何度おねだりされたことだろう。自転車を持ってもいないのだが、その度に、「うちの自転車はこれだから!」とベビーカーを押して猛烈ダッシュしていた。ダッシュしたら思い切り転んでデニムパンツの膝に穴が開き、打ち合わせに膝に穴があいたパンツで血を垂らしながら臨んだこともある。

こうして「自転車に乗れない人生」を30年以上送っているが、「自転車に乗る」という行為は、もはや「自転車、乗れる?」と確認されるものではなく、「乗れることを前提として話が進む」ことが多い

ちょっと自転車でひとっぱしり買い物行ってきてよ。

いや、できません。

天気がいいからサイクリング行こうよ!

いや、行けません。

健康体でありながらも、みんなができて当然と思われることができない。その現実はけっこうグッサリと刺さる。

憧れは一見そう見えないのに運動神経のいい人

そして、できないのは自転車だけではない。

忘れもしない小学4年生のころ、跳び箱の授業で飛べた人から抜けていく授業があった。心から憂鬱だった。実は3年生のときに跳び箱に失敗したら先生から「危ないじゃないか!!」と怒鳴られた経験があり、それ以降「たまに飛べていた」跳び箱が一切飛べなくなっていたのだ。そして案の定、何度やっても飛び越えることができず、授業の最後まで残っている2人のひとりだった。

そういう時に、周りが笑ってくれたら楽なのだが、「えっ、まさか!」という顔をされたのである。これが一番グッサリ来る。いや、出来ないんですよ。跳び箱怖いんですよ。勝手に期待値あげるのやめてください。

声がでかいゆえに一見運動神経がよさそうに見える筆者が”できない”ことにびっくりされることが一番嫌だった。笑ってくれたらまだいいのに、見てはならないものを見ちゃったという表情が多かったのだ。

だから最も憧れるのは、「一見運動ができそうになくて運動神経のいい人」。見るからにインドアなのに走らせたらカモシカのようだったり、バレーボールのトスさばきが鮮やかだったり、テニスで見事なフットワークを見せたり。「ああ、うらやましい」「なんて素敵!」と心から思う。「私は引きこもりだから」と語っていた人がテニスをしたらめっちゃうまくて、「裏切り者め!」と心の中でつぶやいたこともある。

最高! 最強!「見かけ倒しの女」

そんな筆者に元気を与えてくれたのが、2019年から「Kiss」で連載されているはんざき朝未さんの漫画『無能の鷹』である。これは超絶デキる女に「見える」鷹野ツメ子を主人公としたお仕事漫画。就活のときにもう一人の主人公の鶸田(ひわだ)が鷹野に出会うところから物語は始まる。クールな着こなしにルックス、すっとした姿勢、ハキハキした話し方。「彼女はきっと内定取るな」と鶸田は思い、実際そうなるのだが――。

彼女はこれ以上にないほどの「見かけ倒し」だったのである。

タイトルの『無能の鷹』は無能の鷹野、のという意味だったのだ。

鶸田曰く、「鷹野は1年半で、社内ニートになった」と言う。

ホチキス止めはできるが、社内では「出来の悪い小学生に教えてるみたいだ」と上長がため息をついている。グラフ作成(の演習)も鷹野は悪びれず「絶望的状況です」と首を振る。

「何がわからないのかが、わからない」そう開き直る鷹野。

「じゃあそのデキる人オーラは何なんだよ!?」

と思わず叫ぶ上司に対し、鷹野はデキそうな見た目で言うのだ。

「――ただ昔から、お仕事ドラマが好きだっただけ」

どうやら、我々のイメージでいうところの『オー!マイ・ボス!恋は別冊で』の菜々緒などを見て、ヒールで闊歩する「見た目」を鍛えていたようなのだ。面接では「人間の出来はひと目見ればわかる」と見た目で通った。この会社が人物重視路線に変更していて、筆記試験がなかったことが勝因らしい。

しかし、このままでは辞めさせられるかもしれない。

実はコミュ障で、緊張するとすぐにお腹を下す鶸田は、クビにされそうな同期を見捨てておけない気持ちと、ひとりだと心もとない理由で、鷹野と一緒に組んで契約を取りに行くことを決意する。

そこで、「見た目超デキる女」の鷹野は、実は本人の知らない所で激烈に活躍する。

ここからは内容については差し控えるが、その活躍が、ただ偶然の産物ではないのがミソだ。

私、カッコつけたかっただけ?

最も大切なのは、「鷹野がものすごく堂々としている」こと。

できないのに「できます」と誤魔化すのではない。できないことを熟知しながら、鷹野は堂々としている。

そこに「どうせ私なんて」という思いが、一ミリもない

「デキそうに見える自分」と「いろんなことができない自分」のギャップをものともしない

鷹野と鶸田の姿にぶははと笑いながら、ハッとした。

つまり、自分は、できそうでできない=カッコ悪く見られるのが嫌だっただけじゃね?

威張る必要はないし理由もないけど、卑屈になる理由もないんじゃね?

筆者自身、どうやらやっぱり全般的に運動神経が悪いのだとはっきり認識したのは大学生になってから(遅!)だが、いろんなことができないので、コンプレックスの塊だった。できそうに見えてできないのが嫌でたまらなかった。

でも確かに、親しい人に自転車に乗れないことを公言してから、すごく楽になった。乗れないのは事実なので、家族や友人がサイクリングに行く時は歩くか、電車か、バスを使ったり、別行動したりすればいいだけだ。

誰でも得手不得手がある。もちろんあらゆる能力に長けている人もいて、それは素晴らしいことだが、たいていは才能だけではなくてかなりの努力をしている。

努力をしてもどうしても下手なことに対して落ち込むくらいなら、それをカバーできるくらいなにか楽しいことや、自分でもできることを見つければいい。それも、人と比較してではなくて、自分の中で得意であればいい。それでコソコソする必要なんてない。

そして意外と鷹野はできないことを正直に言って誤魔化そうとしないので、被害は大きくない。できないことを隠そうとするよりよっぽどいいのだ。

他人に迷惑かけるわけでもなし(それ以前にUber Eatsは筆者を雇ってはくれない)、自転車に乗れなくたっていい。鷹野ツメ子は、筆者にそれを教えてくれるのだ。

さわやかな青空の下で自転車に乗れる人生も、かなり楽しそうではあるけれど。

文/FRaUweb編集長 新町真弓

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