ナチスの「プロパガンダの怪物」が実践した「おぞましすぎる宣伝戦」が”再注目”されるワケ…! 令和「大フェイク時代」に日本人がいまこそ学ぶべきこと

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9月2日放送のNHK「映像の世紀バタフライエフェクト」でナチスドイツ時代の宣伝大臣ゲッベルス(1897〜1945年)の鬼気迫る扇動やプロパガンダが取り上げられて以降、この稀代の宣伝家をめぐる関連書籍に注目が集まっている。その一つが広田厚司著『新装版 ゲッベルスとナチ宣伝戦』(光人社NF文庫)だ。

1万5000人の職員を擁した世界最初にして、最大の「国民啓蒙宣伝省」に君臨し、全てのメディアを掌握した「プロパガンダの怪物」。その実像に迫るべく戦慄の宣伝手法や宣伝戦の再現にスポットをあてた同書には、「大フェイク時代」を生きる「令和の日本人」が学ぶべきことが詰まっているとして、注目が集まっている形だ。おぞましいプロパガンダの実態を知ることで、フェイクから身を守るための術も見えてくる――そんな話題の同書から一部抜粋・再構成してお届けする。

書き言葉より、話し言葉にこそ力が宿る

「スローガンは新しくなくてもよい、反復することで決定的な効果を挙げられる」

「新聞は数十万部が毎日読まれているという理由だけで記事が効果的だとするのは間違いである。これに比べて、たとえ1000人に話しかける演説であっても話し言葉には強い影響力があり、聴いた者から拡散される幾百回の言葉の方がはるかに効果的である」

「演説草稿は書いてみるが、重要なことは、聴衆に自然に出てくる言葉として受け止められるようにしなければならない。そうでなければ聴衆は感動も信頼もしない」

「宣伝には一定の理論はなく、求めたとおりの結果が良い宣伝であり、それ以外は悪い宣伝である」

以上が当意即妙な才能により強烈な個性を発散する扇動家ゲッベルスの主な"宣伝哲学"だが、その骨子は「宣伝は方策や手段が問題ではなく目的を達することが重要である」ということに尽きる。

大衆に突き刺さった"想定外"の一人芝居討論会

ゲッベルスはワイマール共和国末期の首相ハインリッヒ・ブリューニングに公開討論を申し入れた。だが、公開討論が断わられるとゲッベルスは演説会場でブリューニングの演説を収めた録音レコードをかけながら一人芝居の討論会を行なった。演説の内容はユダヤ人を攻撃してブリューニング首相をこきおろす低劣なものであったが、趣向の変わった想像外の演説は宣伝技術の面から見れば非常に刺激的でかつ効果的であり、強烈な印象を大衆の心に残して成功した。

ゲッベルスの宣伝組織はドイツ中を騒音の渦に放り込み、褐色シャツの突撃隊に暴れさせて市街地の治安の悪さを演出することで不安を煽り、競争相手の主張をかき消して飲み込んでしまうレベルの低いものだったが、大衆とはどういうものであるかを知り尽くした戦術だった。

「国民を世界から完全に隔離して現在の状況が最高なのだと信じさせれば宣伝は成功である。判断とは比較対象があってこそ成立するものだが、長年檻に閉じ込められた農民や労働者は主体的知性による判断力をなくして現在の体制に反抗することができない」

これは、ゲッベルスが宣伝をどのように考えて、国民の思考と感情を操ったのかをよく示す言葉だ。ゲッベルスこそヒトラーとナチ体制を支えて牽引した真の闇将軍だった。

集会は人々の抵抗心が減退する「夜8時以降」に照準

ゲッベルスは総統伝説を創造するためにナチ党が行なう集団的示威行動(パレード)を利用していたが、国民感情を操作してゆくには巨大な集会がより効果的であると見なして、「巨大な渦巻きの中で小さい人間は変身してしまい、参加者も傍観者も総統中毒になった」と述べている。こうした集会は一般に夜の8時以降に行なわれたが、これは人々の抵抗心が減退して説得に対してもっとも効果的な時間帯であったからである。

ニュールンベルグ党大会の演出はヒトラーのお気に入りの建築家で党建築責任者のアルベルト・シュペァが行なったが、夜間に大会会場の周辺に130基もの巨大なサーチライトを12メートル間隔で設置しておき、直線に上空に放たれる多数の光線流が照らし出す光景は「光の大聖堂」と呼ぶ独創的なものだった。1936年の党大会では神秘性を演出する「たいまつの火行列」が行なわれた後で、150基のサーチライトを群集の上空の一点に集中させて巨大な光の丸屋根を空に浮かべることで観衆を放心状態に導いた。

恐るべき「ラジオ番人」制度とその監視網

ゲッベルスは「この戦争は長期間にわたり我我にとって厳しいものになるだろう。勝利で大衆を熱狂させるより義務を遂行する堅い決意を持たせることが大事だ」と語ったが、ナチ政府の指導者の中では誰よりも先行きを見通していた。この考えからゲッベルスは耐久性と弾力性に富む宣伝省の強化を精力的に行ない、その結果として、ドイツが破滅するまで国民を引っ張り続けるのである。

そのナチ党と政権の政策を宣伝によって国民に浸透させる上で、ゲッベルスが最も活用したのがラジオ放送だった。1933年以前のドイツの大都市では独自の放送番組を有するラジオ放送局があったが、放送局の分散方式は宣伝省にとっては不都合だったので、すべての放送局を宣伝省放送局で統制して中央指令を発出した。同時に聴取者を増やして宣伝を徹底させるためにヨーロッパでもっとも安価なラジオセットが売り出された。

さらにラジオ放送を徹底させるべく、集合住宅区画に「ラジオ番人」というのを置いた。彼らの役割はラジオを買えない隣人にナチ党員が金を貸すか、あるいは知人や友人の家で重要な演説や発表を聴くように指導させることだった。そして、「ラジオ番人」にラジオ番組に対する人々の反応を報告させた。

また、もうひとつ、別の情報を伝えてくる外国からの放送を密かに聴取する住民がいないかどうか、生活の細部を監視して報告するという特別な役割を持たせた。

ラジオ宣伝戦の凄まじい舞台裏

ラジオ放送はドイツのオーストリア併合(アンシュルス)とともにザール地方の国民投票では大きな役割を果たした。ザール峡谷は重要な工業地帯であるが、第一次大戦の末からフランスにより占領されていた。このために、ヒトラー政権下の1935年に国民投票によって地域の帰属を決定することになり、ナチ政権はザールの国民投票の1年以上も前から宣伝戦を実行していたのである。

具体的に述べれば、1934年1月にゲッベルスはザールにラジオ放送局を設立して、毎週水曜日に「ザール地方の行方を明確に理解する」というテーマ放送が流された。1934年1月と35年4月に5000台の「国民ラジオ」がザール地域に配布された。これに対してフランスは、投票が迫った最後の瞬間だけにザール住民への影響力を行使しようと試みただけだった。国民投票の結果は90パーセント以上がドイツへ回帰することを望んでザールはドイツへもどされたが、この帰属問題は明らかにゲッベルスの計画的なラジオ宣伝戦の勝利であった。

「スターリングラード敗戦」の驚愕のプロパガンダ

ゲッベルスにとってはナチ党の隆盛時の1933年からロシア戦線での電撃的勝利の時期である1941年末までは、あらゆる分野で宣伝戦を遂行するのに何も障害はなかった。これは勝利原則をそのまま国民に伝えればよいという方針を維持していたからである。ただ、敗勢になると、その宣伝戦も試練を迎える。

東部戦線では1942年12月から43年1月にかけて、赤軍がスターリングラードで一大反撃に転じて、同盟国ハンガリー軍の弱い包囲線を突破してドイツ第六軍を逆包囲した。この事態についてソビエトの公報はすでに43年1月1日にスターリングラードの解囲を発表していた。

ドイツ側はスターリングラードの敗北をついに語った。連合国も驚いたこの衝撃的な放送心理戦は成功。ゲッベルスは「敗北にともなう犠牲には意味がある。敗れはしたが、兵士たちは武器を棄てずに再び軍に合流して進んでいる」と叫んだ。国民は真実を告げる政権は信頼できると考えるに至り、絶体絶命の淵からゲッベルスは這い上がって再び国民を騙せるようになった。

扇動の歴史に残る10項目の質問

ゲッベルスは1万5000人を前に大演説を行う。「スターリングラード戦はドイツ国民に対する大警告である!」と切り出し、「西欧2000年の文明の危機を防ぐのは唯一つドイツ国民と国防軍である。ドイツが崩壊すれば世界がボルシェヴィズム(過激主義)に屈服することになる」と長広舌を振るい、総力戦への信用を調達した。この1時間にわたる演説の白眉は国民に対する10項目の質問だった。「敵はラジオ電波を通じてこの成り行きをじっと聴いている。諸君は敵の前で明確に答えなければならない」と問いかけた。

一、諸君は総統とともにドイツの最終的かつ全体的勝利を信じているか。二、英国はドイツ人が戦争に疲れたというが、変転にかかわらず勝利するまで総統とともに戦争継続の覚悟があるか。三、英国はドイツ国民が戦時労働に応じなくなったと主張するが、総統からの指令があれば、1日10時間、12時間、時には14時間から16時間さえ労働して勝利に尽くす決心があるか。

聴衆はひとつひとつに「ヤー(そうだ!)」と叫び、興奮の坩堝の中に放り込まれて、ゲッベルスが希求する目的地へと誘導されていた。

後世の歴史に名を刻むための宣伝

1943年半ばから44年中のドイツは、日々強化される連合国空軍の爆撃で都市は次々と廃墟と化してゆき、生活基盤を奪われた国民の心は急速にヒトラーから離れていった。そして、45年の敗戦までの残り数カ月間、ゲッベルスは二つの宣伝戦を実行した。

一つは国民の士気の維持を意図した「必勝」を唱える短期宣伝である。もう一つはゲッベルス自身を歴史上に残すための時限信管がついた長期宣伝、つまり、後で爆発するプロパガンダ爆弾という予言的な宣伝戦の展開であった。具体的に述べれば、前者の短期宣伝は(ドイツ軍もソビエトで同じことをしたのだが)、ソビエト軍に占領されれば、ドイツ人は老若男女を問わずに暴虐非道な目に遭うという恐怖を煽り立てて、「戦闘で死ぬ方がまだましだ」という考えになるまで続行する。

また、後者の長期宣伝では「ドイツの敗北とともに第三次世界大戦が開始され、ソビエトは英国を破壊して彼の国民は共産主義になる」、それから「米国に対する攻撃が始まる」といったものだった。要するに「これから起こること」を予言した人物として、歴史上に記録されることこそが終局の目的であった。だが、ゲッベルスの死後、稀代の宣伝家が自らの死にざまに企図したはずの「神話的英雄性」など誰も気にもかけなかった。

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