「エアコンすらも買えない」...「際どすぎる踊り」で一世を風靡した伝説のストリッパー・一条さゆりの「転落人生」

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1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。

「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。

『踊る菩薩』連載第119回

「生活保護で酒を飲むのが恥ずかしい」「生活が苦しい」…「月10万の生活保護」で暮らす女性を苦しめた“習慣”と“スティグマ”​』より続く

史上最悪の学校食中毒

この夏、大阪府堺市の小学校で集団食中毒が起きた。給食が原因だった。腸管出血性大腸菌O157によって児童7892人を含む9523人が下痢の症状を訴え、児童3人が亡くなった。学校食中毒としては史上最悪の被害を出した。

私も取材に駆り出された。西日本各地に梅雨明けが宣言され、以後大阪は連日のように、夏らしい暑さが続く。

私は食中毒取材の合間をぬって一条を訪ねた。

約束時間に遅れ、駅から急ぎ足で釜ケ崎に向かう。肉屋の前を通ると、肝を鉄板で焼く臭いが鼻をつく。解放会館の前で声を掛けられた。

「こんにちは」

声の方向を見ると、一条が長椅子に座って微笑んでいた。元気そうだ。

「さあ、入りましょう」

彼女は言うと、ゆっくりゆっくり階段を上っていく。私もそれに続いた。

クーラー事件

部屋には熱気がこもっていた。一条が外で腰掛けていた理由がわかった。この季節にエアコンのない部屋にいるのは身体に悪い。部屋に入った私が暑そうにしたのだろう。一条が言った。

「クーラーを買おうかと思っている。小さいのでいいから」

「中古だったら安いのがあるんじゃないですか」

「中古はあかんらしい。すぐに壊れるって。萩ノ茶屋に田中電化ってあるの。ここから真っすぐ行ったところ。あそこで買おうかなって。ローンで買うんなら、稲垣さんが保証人になってくれる」

この2年前の94年7月、埼玉県で「クーラー事件」が発生していた。

生活保護を受けていた桶川市に住む79歳の女性が、「ぜいたく品である」として市からクーラーを取り外すよう命じられた。記録的な猛暑のなか、クーラーを使えなくなった女性は脱水症で約40日間、入院した。これが社会問題となり、生活保護と冷房器具の関係に関心が集まった。

生活保護は、最低限度の生活を保障している。これだけ夏が暑くなると、クーラーは生きるための必需品である。そのため生活保護を受けながらも、クーラーを設置できるようになっている。

冷蔵庫で冷やしたタオル

96年の夏も、エアコンがないと眠れないほど暑い夜が続いていた。一条は時折、加藤のアパートで寝ているらしい。

「詩ちゃんとこはクーラーが入っているから」

一条は冷蔵庫を開け、タオルを出した。

「これで汗を拭いてください。あなたが来るのにクーラーはない。暑いだろうと思って、詩ちゃんと相談して冷やしておいたの」

水を含ませた真っ白いタオルがよく冷えている。

一条は引退公演で逮捕され、公然わいせつ罪に問われた際、法廷に冷えた濡れタオルを10枚ほど持ち込み、汗をかく弁護士に手渡していた。法廷には当時、エアコンがなかった。タオルの手渡しが印象深かったのか、メディアもそのやりとりを伝えていた。そのため私もこのエピソードを知っていた。

一条さゆりの優しさ

「弁護士さんにも冷えたタオルを渡していたんですよね」

「あら、ようそんなこと知っているわね」

「雑誌で読みました」

「夏の裁判やったんよ。東京から来てもらった先生に何もできない。せめて汗だけでも拭いてもらおうと思うてね」

「どうやってタオルを思いついたんですか」

「踊りをやっているときです。劇場によっては楽屋が暑かった。タオルで汗を拭くと疲れも取れたから」

私は丁寧に丸められたタオルを広げ、首の裏に当てた。血管が冷やされるのだろう、一気に汗が引いていく。

思いもよらない再会

取材に来る私に彼女はソーメンを作っておいてくれたり、ジャスミン茶を用意したりしてくれていた。何もないときには、わざわざ缶コーヒーを買いに行ってくれた。そのために疲れた身体で急な階段を上り下りしてくれるのだ。どれだけ生活が苦しく、身体がつらくても、そういう気遣いを忘れない人だった。

インタビューでは、やはり集団食中毒が話題になった。

「小さな子どもが苦しむのは悲しいわ。子どもが苦しんだり、痛がったりするのが1番つらいわ」

かつての知人から、「8月の盆踊りにどんな踊りを披露するのか」と聞かれたという。

「このあいだ、昔一緒に踊っていた女の人に会ったんよ。あたしより年は8つ下」

近くの銭湯から出てきたところで声を掛けられた。

「さゆり、さゆりって呼ばれて、振り向いたら、その人で。あたしに会いたかったんやって」

真夏の大阪

どんな話をしたのかと聞いた。

「盆踊りについてです。あたしは毎年、踊っていました。みんな楽しみにしてくれているみたい。今年も出るんやろ、と言われた」

米国アトランタでの夏季オリンピック開幕(7月19日)が迫っていた。話を五輪に向けると、彼女は「オリンピックといえば東京やね」と言った。

「あのころは踊りに一生懸命やった。開会式は平塚劇場(神奈川県)の楽屋で見たような気がするわ」

スポーツにはさほど興味がなさそうだった。そのまま話題を跳び箱に変えた。

「スポーツで好きなのは箱飛び。跳び箱いうんかな。あれが好き。学校のとき、4段までは飛び越えた」

この日の取材は結局、こうした雑談に終始した。部屋を出るとき、一条は言った。

「ご苦労さまです。クーラー買いますからね」

外は真夏の大阪だった。

迫りくる死の影...「陰部露出」で昭和を彩った伝説のストリッパー・一条さゆりが“生活保護受給者”へ転落するまで​』へ続く

迫りくる死の影...「陰部露出」で昭和を彩った伝説のストリッパー・一条さゆりが“生活保護受給者”へ転落するまで