バスケットボール女子日本代表、愛知県豊橋市出身の馬瓜エブリン選手に話を聞きました。パリオリンピックの試合後に飛び出した代表引退発言。その裏にあったものとは――

9月23日、名古屋・栄の真ん中で開かれたのは、高校生を対象にした3人制バスケットボールの大会。

主催したのは、豊橋市出身の馬瓜エブリン選手(29)。

気温30℃と真夏日の中、イベントを熱く盛り上げていたパリオリンピック代表を濱田隼アナが直撃しました。

Q.オリンピックから休まれてますか?(濱田隼アナ)

「一瞬。一瞬で全て回復しました」(馬瓜エブリン選手)

まだ記憶に新しいパリオリンピック。2大会連続のメダルを懸け、奮闘していたエブリン選手。

特に、際立っていたのがチームをまとめる姿。

東京オリンピックではもっぱらムードメーカーでしたが、それに加えてパリではリーダーシップを発揮していました。

「人生の夏休み」と題し、様々なことに挑戦

変化を遂げた裏には、挑戦する日々がありました。

「だって頑張ったから、頑張ったら休むものじゃないですか」(エブリン選手)

おととし、異例ともいえる選手としての休養を発表。人生の夏休みと題し、様々なことに挑戦しました。

その1つが、バスケの普及活動。

「スポンサードのところをお願いしたい。大型スポンサーのところですね」(エブリン選手)

自らスポンサーを探し、大会を立ち上げ、 会場設営までも自分で行うこともありました。

さらに、人生の夏休みの間に挑戦したのが、バスケの本場アメリカでの武者修行。

海外挑戦を目指す選手たちと、約10日間、共同生活を送りました。

2つの挑戦を経て、磨かれたもの。それが周りを見る力でした。

「アメリカ武者修行はいろんなところに、目を向けなければいけない。一つの大きなイベントではあった。人と話すコミュニケーション力だとか、興味を持って楽しむ力、2つの挑戦がきっかけで色々学べているかなと思います」(エブリン選手)

姉妹で立つ夢舞台「特別だった」

そんなエブリン選手、パリオリンピックには特別な思いで挑んでいました。

「二人同時に出られたことが自分たちの中で、これ以上のことはないと思えたので、特別だった」(エブリン選手)

一緒にコートに立っていたのは、妹・ステファニー選手。

幼いころから高め合ってきた妹と戦う夢舞台。

初戦アメリカとの試合では、2人そろってスタメンに。共に日の丸を背負った姉妹が、そろって存在感を見せました。

「姉妹以上に関係性が深まったと思います」(エブリン選手)

目標に掲げた金メダルを目指し、戦った日本。

しかし、強豪ひしめく予選リーグを突破できませんでした。

「ラストの代表だと思ってプレーしていた。すごく寂しいという気持ちになっています」(エブリン選手)

ラストの代表、その真相をオリンピックから1カ月半たった先週、伺いました。

「自分の中で代表を100%やり切ったと思っている。次は日本のバスケやスポーツに、どうしたら自分の力を使えるか。代表は引退かなと思っています」(エブリン選手)

次の世代にチャレンジする大切さを伝える

いま、エブリン選手を突き動かすのがバスケを広めたい思い。

23日、人生の夏休み中に立ち上げた高校生の3人制大会を開催しました。

ゲストにパリで共に戦った高田真希選手や山本麻衣選手を招き、会場を盛り上げたエブリン選手。コートに立ち、プレーすることも。

「エブリン選手を見れて激アツです。感動しました。すごくいい経験になったし、いろんな学びがありました」(参加した高校生)

「エブリン選手のように、プロの選手になって活躍したいです」(参加した高校生)

「失敗をしたとしても、チャレンジする大切さ、人生のプラスになると思っています」(エブリン選手)

次の世代にチャレンジする大切さを伝えているエブリン選手。自身も挑戦を続けていきます。

「色々チャレンジすることを体現して、いろんな方に勇気を持ってほしいと思う。楽しいことを自分でやっているだけ。ただただ自分が楽しんでいるだけです(笑)」(エブリン選手)

「周りも楽しいから一石二鳥ですね」(濱田アナ)

「だったらいいなと思っています」(エブリン選手)

「これからもエブリン選手の全力チャレンジを応援しています」(濱田アナ)

※高田真希選手の「高」は正しくは「はしごだか」です。

(9月26日放送 メ~テレ『ドデスカ+』「じもスポ!」コーナーより)