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 19年に急性リンパ性白血病を公表した競泳女子の池江璃花子(24=横浜ゴム)が25日、病状が治まって異常が見られなくなった状態を指す完全寛解を迎えたと自身のインスタグラムで報告した。造血幹細胞移植から5年が経過し「本日完全寛解を迎えました!とても長い5年間だったなと感じています」と投稿した。

 池江は19年2月に白血病を告白し、闘病を開始。化学療法による治療中に合併症を併発したため、造血幹細胞移植を受けた。過酷な闘病を経て、20年8月にレース復帰。1年後の東京五輪、24年パリ五輪に出場するなど急激な復活を遂げた。

 「5年間の中で2回のオリンピックを経験できたことは非常にうれしく思います。泳げるようになった幸せと、泳げるようになったことで感じる苦しさと、むなしさと、悔しさ。私の中には逃げるという選択肢はないので、これからもそんな自分と闘いながら全力で競技と向き合いたい」とつづった。

 パリ五輪は100メートルバタフライで準決勝敗退。レース後は「五輪は出るだけではつまらない。決勝に残らないと戦いは始まらない。スタート台には立ったが、戦えずに終わってしまった。4年後にリベンジしたい」と涙した。昨年10月から練習拠点を置くオーストラリアで活動を継続し、28年ロサンゼルス五輪を目指す方針だ。

【池江 闘病の経過】

 ▼19年2月12日 ツイッターで白血病を公表。

 ▼6月5日 公式サイトで5月下旬に一時退院したことを報告。

 ▼9月6日 日本学生選手権を観戦。白血病公表後、初めて公の場に現れる。

 ▼12月17日 退院し、24年パリ五輪を目指す意向を表明。

 ▼20年3月17日 406日ぶりにプールに入る。

 ▼8月29日 東京都特別大会の50メートル自由形に出場し、594日ぶりにレース復帰。

 ▼21年4月 日本選手権で50、100メートルの自由形、バタフライで4冠。リレー種目で東京五輪出場権獲得。

 ▼7、8月 東京五輪でリレー3種目に出場。

 ▼23年7月 世界選手権で個人4種目、リレー3種目に出場。

 ▼10月 拠点をオーストラリアに移す。

 ▼24年3月 国際大会代表選考会の100メートルバタフライで2位となりパリ切符を獲得。

 ▼24年7月 パリ五輪で個人1種目、リレー2種目に出場する。100メートルバタフライは準決勝敗退。