六代目山口組弘道会稲葉地一家の幹部だった吉井誠容疑者

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 10年目に突入した分裂抗争は、六代目山口組と、離脱した神戸山口組、絆會、池田組という3団体との間でしばらく膠着状態が続いていた。そんななか、一気に均衡を破る事件が勃発した。フリーライターの鈴木智彦氏がリポートする。

【写真】吉井誠容疑者と見られる人物をとらえた防犯カメラ映像。事件の瞬間を確認できる

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 9月9日午後3時27分頃、宮崎市田代町にある池田組・志龍会の事務所に訪問者があった。

 年配の男は宅配業者を名乗り、手に小さめの段ボール箱を持っていた。報道によると、作業着姿でIDカードのような身分証を首から提げていたらしい。事務所のドアが開き、留守番の幹部が箱を受け取ろうとした瞬間、男は持っていた拳銃を幹部の胸をめがけて発砲した。近隣の住民は複数回の発砲音を聞いている。司法解剖では2発の弾丸が被害者の左胸と臀部に命中していた。

 銃撃の衝撃なのか、撃たれた被害者はもちろん、ヒットマンも後方にはね飛ばされたように見えた。

 まるで見てきたかのように語れるのは、暴力団間のLINEで、防犯カメラの動画が回ったからだ。映像では上半身しか確認できず、ヒットマンが白いシャツを着ていることしか判別できない。

 銃口から被害者までの距離は30センチ程度で、強い殺意がうかがえる。

「銃撃後、犯人は現場から逃走せず、現場にとどまっていたらしい。志龍会本部付近で警戒中のパトカーが到着すると、両手を上げて自らパトカーに乗り込み、警察官に殺人未遂の現行犯逮捕されたようだ」(警察関係者)

 被害者は市内の病院に運ばれ、その後、死亡が確認された。

 ヒットマンの身柄はすぐに判明した。吉井誠容疑者(63)は、六代目山口組弘道会稲葉地一家の幹部だった。

 弘道会にとっては2023年4月、神戸市長田区のラーメン店で直参組長を射殺されており、報復を実行する必要があった。ラーメン店を営んでいた直系組長を殺したのは絆會の若頭だったが、絆會は友好団体である池田組からの資金提供と引き替えに請け負った可能性がある。

 ヤクザの報復にエビデンスはいらない。弘道会は池田組をターゲットに選び、直接銃口を向け、銃弾を撃ち込んだと考えられる。

法要で若い衆を刺した

 吉井誠容疑者は、そもそも京都を本拠とする会津小鉄会の大幹部だった。

「ヤクザになる前は松下電器に勤めとったんだけど、会津小鉄の金庫番をしていたカタギの人と仲良くなり、その後、渡世入りしたんです。紆余曲折あって会津小鉄の中島会に入ったときも、1回、事件を起こしよった」(会津小鉄会関係者と縁が深い京都の事業家)

 1996年7月10日、会津小鉄会のヒットマン部隊が、京都府八幡市の理髪店で散髪中の山口組中野会・中野太郎会長を襲撃した。中野会長のボディガードが拳銃で応戦し、会津小鉄の2人を射殺し、中野会長に怪我はなかった。

「殺された2人の法要に、会津小鉄を絶縁になった組長に付き従っていた若い衆が参列したんです。暴力団社会では、組織を処分になった人間とつるんでいるのは絶対のタブー。吉井さんはそいつを不意打ちしてぶすっといきよった(※刺した)。この事件で懲役に行った。出所した後は中島会に戻らず、会津小鉄六代目となった馬場美次会長に拾われた。だから会津での最終的な経歴は馬場組です」(会津小鉄会元幹部)

 2015年に山口組が分裂すると、会津小鉄会は離脱派の神戸山口組側と連携する。会津小鉄の会長である馬場六代目が、神戸山口組のトップ・山健組四代目井上邦雄組長と兄弟分だったからだ。

 2017年、山口組分裂のあおりを受け、今度は会津小鉄会が分裂してしまった。弘道会をはじめとした六代目山口組側は、会津小鉄会から絶縁になった若頭を支援して後見となり、当方こそが正当な会津小鉄会だと主張した。神戸山口組の支援を受けていた旧勢力はこれと真っ向から対立し、双方が七代目会津小鉄会を名乗るという前代未聞の事態に陥った。

 私はどちら側の襲名式も取材し、会場内に入って写真を撮ったが、馬場六代目会長が代目を譲った金子利典七代目の襲名式には、吉井容疑者の名前を書いた書き出しがあり、当然、彼も式場にいた。

「筋を違えたらめちゃくちゃ」

 翌日、関係者に呼び出された京都市七条の喫茶店には吉井容疑者も来ており、これまでの経緯と自陣営の正当性を説明された。

「どれだけ正当性を主張しても、ヤクザなんだから強い側の言い分が筋ですよね?」

 取材ノートをみると、私の投げやりな反駁に、吉井容疑者はこう答えている。

「あなたは長くヤクザを取材してわかったふうな気持ちなのかもしれない。でもこの世界、筋を違えたらすべてがめちゃくちゃになる。是は是、非は非。なにがあってもそれを変えてはならない」

 その後、吉井容疑者は金子会長の元を離れ、刑務所で知り合い舎弟分となっていた弘道会稲葉地一家の総裁を頼り、移籍した。その後、二つの会津小鉄も合流し、吉井容疑者の古巣は弘道会に出向いて頭を下げた。

 吉井容疑者は自宅だった分譲マンションから名古屋に引っ越していたが、ちょくちょく京都に帰っていたらしい。事件のおよそ10日前も、京都を訪れ、旧友たちと飲んだそうである。

「同席した人によると、見る影もなくげっそり痩せていたそう。これから奥さんと温泉旅行に行くと言っていた。まさかあれが最後になるなんて」(前出の事業家)

 長年連れ添った愛妻と最後の旅行を終えた後、二丁の拳銃を懐に呑み、古巣の会津小鉄側の盟友・旧神戸山口組勢の組員を殺しに出かけた吉井容疑者……幾重にもねじれた彼の人生は、哀しきヒットマンと呼ぶにふさわしい。

「喧嘩になると、いつも隠れたところからバスッといきよる。殴り合いの喧嘩をしよらへんねん。『なんで?』って訊いたら、『さしでやったら喧嘩が弱くて負けるさかいに不意打ちでしか勝てへんのや』と笑ってた。そうはっきり言い切れるだけ、あの人は芯が強かった」

 旧友はそう語る。最後の仕事もまた不意打ちだったが、これが暴力団の強さであり怖さでもある。

 取り調べには黙秘を貫いているそうだ。事件の全容解明は難航するだろう。

 山口組は10年に及ぶ分裂抗争を、力によって終結させようとしているように見える。勢力差はもはや圧倒的で、勝負は付いたも同然だ。ただし、今後の展開は依然として不透明である。

「強く出すぎれば、相手も頑なになる。山口組のトップ(司忍組長)や高山清司若頭は、高齢であまり時間がない。断固として解散はしないと居直られれば、山口組にとってもいいことではない」(警察関係者)

 進めず、戻れず、立ち止まれず。山口組と対立組織双方の苦悩は続く。

【プロフィール】
鈴木智彦(すずき・ともひこ)/1966年北海道生まれ。フリーライター。日本大学芸術学部写真学科除籍。ヤクザ専門誌『実話時代』編集部に入社。『実話時代BULL』編集長を務めた後、フリーに。主な著書に『サカナとヤクザ』『ヤクザときどきピアノ』など。

※週刊ポスト2024年10月4日号