◆米大リーグ アスレチックス0―10ヤンキース(21日、米カリフォルニア州オークランド=オークランドコロシアム)

 ヤンキースのアーロン・ジャッジ外野手(32)が、2年ぶりの60本塁打を目指しア・リーグトップを快走している。打点部門でも独走中で、打率を含め、ヤンキースでは1956年ミッキー・マントル以来の3冠王の可能性も残している。2つの大記録を目指すジャッジの今季を振り返る。(構成・蛭間 豊章)

 今季、ジャッジのスタートは決して良くなかった。スプリングキャンプでは体調が今一つでオープン戦に出場したのはわずか10試合。それも24打数5安打で10年目で初めて本塁打0に終わった。

 不安を抱えたまま開幕したシーズンも最初の6試合で24打数3安打1打点で打率は1割2分5厘。そんな不振にもかかわらず、ヤンキースは移籍1年目のソトの活躍などで1992年以来の開幕5連勝を飾った。ゆえに、ジャッジの不振もクローズアップされることはなかった。4月を終了し31試合で打率2割7厘、6本塁打。エンゼルスのトラウトは早くも10号を放っており、物足りなさは否めなかった。

 そして不振が続く中で迎えた5月4日タイガース戦で“事件”が起こった。7回に見逃し三振に倒れたが、球審の判定に納得せず不満の言葉を口にした。その後、ベンチに向かって歩き出したものの、退場を言い渡された。メジャー通算870試合目で初の退場処分。野球を始めてから初めての経験だったという。しかもヤンキースの主将が退場処分になったのは1994年5月13日のD・マッティングリー以来、30年ぶり。ジャッジは試合後、「あのような状況では大げさに反応しないようにしている。歩き去ったときに退場処分となったことに少し驚いた」と米大リーグ公式サイトは伝えた。

 この一件がスラッガーの心に火をつけたのか。ジャッジは明らかに変わった。翌日に7号本塁打を放つと5月はそこから24試合で14発。5月31日から6月2日にかけては生まれ故郷に近いサンフランシスコ遠征でのジャイアンツ3連戦を迎えたが、2年前のオフにFAで契約目前とも言われたチーム相手だっただけに、ブーイングも多く聞かれた。しかし、初戦でいきなり2本塁打すると、それは歓声に変わった。それは本来のジャッジの姿だった。

 6月7日からは本拠ドジャース3連戦では大谷が不発に終わった一方で3本塁打して貫禄を見せつけた。8月14日ホワイトソックス戦では通算300号を達成。955試合、3431打数目はR・カイナーより132試合、B・ルースより400打数も少ない、史上最速ペースでの到達となった。8月25日ロッキーズ戦で50、51号を放って史上5人目の3度目の50本塁打クリアも達成した。

 その後、自身の15試合本塁打ブランク記録を更新し、16試合本塁打が生まれない不振に陥ったが、17試合ぶりの52号は劇的だった。9月13日のレッドソックス戦、1―4でリードされた7回無死満塁で左腕ブーサーの直球を左翼席に叩き込む逆転弾。試合後「16試合(の本塁打ブランク)? オー。知らなかったよ。私は本塁打を打つことにフォーカスしているわけじゃない。私にはやらなければならない仕事がある」とヤンキースの主将らしく、フォア・ザ・チームを強調した。

 相手のコーラ監督は「窮地に追い込まれてア・リーグ最強の打者を打席に迎え、彼がシーズンを通してやっていることをさせてしまった」と眠れる主砲をよみがえらせてしまったことを悔やんだ。劇的な一発で復活した最終盤。どこまで記録を伸ばすのだろうか。

 ◆アーロン・ジャッジ(Aaron Judge)1992年4月26日、米カリフォルニア州生まれ。32歳。生後まもなく教師だった両親の養子に入った。2013年ドラフト1巡指名でヤンキース入り。17年に52本塁打で本塁打王と新人王を獲得。22年に62発のア・リーグ新記録をマークするなど、本塁打王と打点王を獲得して初のMVPを受賞した。同年オフに9年総額3億6000万ドル(当時のレートで493億円)の大型契約でヤンキースに残留。チームの主将にも就任した。右投右打。201センチ、128キロ。

 ◆ソトの存在と右打ち 2年前は主に2番打者(終盤は1番9試合)として62本放ったジャッジ。今年は2番に出塁率の抜群に高いソトが入ったことで走者を置いた打席が格段に増えている。2年前はソロが41本もあったが、今回は26本だけで、全アーチの半分以上が走者を置いての一発(2年前は33.8%)。打点が150点ペースになっている要因だ。また、右翼方向の一発の割合も約30%から約33%へ増えた。相手投手の外角攻めを攻略し、それが自己最高打率につながっていると言えそうだ。