サックス奏者のヌバイア・ガルシア(Nubya Garcia)は、UKジャズ・シーンの象徴として君臨してきた。2020年のデビュー作『SOURCE』ではガイアナ共和国の母とトリニダード・トバゴの父をもつ自身のルーツを音楽的に表現し、同作のリミックス版『Source ⧺ We Move』や、2023年発表の「Lean In」ではジャングルやドラムンベース、UKガラージに至るイギリスのクラブ・カルチャーと接続した。Rolling Stone Japanでは過去2回の取材で、それらの部分にフォーカスして話を聞いている。

そんな彼女がニューアルバム『Odyssey』を発表した。ここにはレゲエ×ジャズの最新型といえる「Triumphance」、クラブミュージックとジャズの融合をさらに推し進めた「The Seer」など、過去作からステップアップした姿が記録されている。さらに、即興の自由度が上がり、バンド内で対話するようにインタラクティブな演奏をする瞬間も明らかに増えているし、個々のソロもよりパワフルになり、ジャズとしての演奏面の進化も収められている。また、エスペランサ・スポルディング、ジョージア・アン・マルドロウ、リッチー・セイヴライト(ココロコ)、ザラ・マクファーレインら黒人女性の声を通じて、ポジティブなメッセージを発信していることも、彼女が体現する音楽のありかたを映し出している。

本作における大きなチャレンジ、それはストリングスの導入だ。ヌバイアは作編曲の全てを自身で手掛け、ロンドンを拠点に活動するチネケ!オーケストラのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ダブルベースの12人編成とのコラボレーションでそれを具現化した。

UKではここ数年、ストリングスやオーケストレーションに取り組んだ意欲的な作品が目立つ。キャシー・キノシは『Gratitude』をロンドン・コンテンポラリー・オーケストラと制作していたし、ジャズ以外でもリトル・シムズ、SAULTといったInfloの関連作でストリングスが効果的に使われていたのは記憶に新しい。ヌバイアを輩出したロンドンの音楽教育団体、トゥモローズ・ウォリアーズが弦楽器奏者を育成するプログラムを始めたという流れもある。

ナイジェリアにルーツを持つコントラバス奏者チチ・ンワノクが創立し、様々な黒人ミュージシャンとのコラボ、黒人の作曲家による楽曲の演奏を行ってきたチネケ!オーケストラとのコラボには、ヌバイアの想いだけでなく、UKシーンで今起きている動きともシンクロしているように感じらえる。これまでのようにジャズと彼女の文脈を織り交ぜつつ、そこにストリングスを重ねることで、さらにハイブリッドさを深めること。『Odyssey』でヌバイアはまた自身を更新してみせた。それは同時に、今のUKの音楽が示すものをさらに広く深く体現したものと言ってもいいだろう。

ヌバイア・ガルシア来日公演が2024年10月28日(月)・29日(火)・30日(水)ブルーノート東京にて開催(詳細は記事末尾にて)

オーケストレーションを取り入れた真意

―『Odyssey』のコンセプトを聞かせてください。

ヌバイア:作品からシネマティックで壮大な旅のようなものを感じることができたから『Odyssey』と名づけた。曲を書いていく流れで、出来上がるものが自然とそうなっていったの。つまり、その制作過程が作品のストーリーを導いてくれた。書いている時に感じていたことをそのまま表現していたら、様々なエネルギーや物語の語り方、そして音楽が生息する旅、という空間が作り出されていった。それが今作のコンセプト。壮大な旅、そして冒険というアイディアが中心になっている。アルバムのサウンドが結果的にそうなったのは、私の音楽への関心の高まりに影響されたんだと思う。冒険には、人生と同じように紆余曲折があるけれど、このアルバムは人生の旅のメタファーのようなもの。だから聴きながらアルバムの全体、もしくは一部に共感を覚えるような内容になっていると思う。

―新作の大きなトピックとして、あなたがオーケストレーションに取り組んだことが挙げられると思います。

ヌバイア:新しいことにチャンレジするのは本当に大変だった(笑)何がきっかけだったかはわからないけど、曲を作りながら「やってみようかな」という気分になったんだと思う。ストリングスを用いた作曲というのは、前から常に頭の片隅にあったから。「さあ! 今回は挑戦してみよう!」という感じではなかった。たまたまストリングスのための曲をひとつ書いてみたら、その曲のテクスチャーが気に入って、「よし、ここにこれを加えてみよう、あそこにこれを加えてみよう」といった感じでどんどん膨らんでいった。初めから意図していたわけではなかったんだけどね。

―大学などで、オーケストレーションを学んだことはありますか?

ヌバイア:いいえ。弦楽器用のオーケストレーションやアレンジのクラスはあったけど、学校では学んだことがない。でもビッグバンドのための編曲は自分にとって一番役に立つと思ったから選択教科で選んだし、それがきっかけで編曲が好きになった。ストリングスのために作曲をするのと、ビッグバンドのために作曲するのは全然違うプロセスだけど、学校で私は素晴らしいメンターに出会うこともできた。アレンジメントの先生なんだけど、このインタビューの直前にも先生に電話をかけたところ。私が作ったものについて先生がどう思うかを知りたくて。

―その先生ってだれですか?

ヌバイア:トリニティ音楽院のポール・バーソロミュー(サックス奏者、イギリスを代表するジュールズ・ホランド率いるビッグバンドの編曲を手掛ける)。彼とは10年前に出会った。その頃はあまり話したりはしていなかったんだけど、彼が素晴らしい指導者であり教育者だったことはずっと覚えていた。本当に支えになってくれたし、作曲面でもすごくインスパイアされた。


Photo by Danika Lawrence

―今回、あなたのインスピレーションになったストリング作品はありましたか?

ヌバイア:ストリングスの作業に取り組んでいる間は、意図的にストリングスのアルバムを研究したり聴くことは控えた。どう説明したらいいかわからないけれど、知識をつける前に、純粋にストリングスと向き合っている自分に出会い、その世界の中で自分の創造的な声を表現したかった。もし10年前にストリングスをやっていたら、そこからずっと勉強し、分析を続けていたと思う。でも、今のこの時点でストリングスの世界に入ったからこそ、ビリー・ストレイホーンやチャイコフスキーがアレンジしたみたいに聞こえるサウンドから離れたものを作りたかった。意識しなくても誰かの影響は必ず少なからず入ってくるし、今回は本当に私らしい、「これはヌバイア・サウンドだ」とみんなに思ってもらえるサウンドを作りたかった。その方法はいくらでもあるんだろうけど、私は自分にとってオーガニックな方法を選ぶことにした。

そして今、アルバムを作り終えた時点でやっと、自分が好きな作曲家の世界に飛び込んでいき、それを学び、その知識を自分が造作するものの中でどう鳴らしたいか、どう響かせたいかを考えることができるし、その段階を迎えたことにすごく興奮している。今は出来上がったアルバムを聴きながら「これは誰々の影響が出てきてるな」って感じで分析していくのを楽しみにしているところ。

―例えば「Clarity」を聴くと、フレーズや展開とストリングスのコンビネーションがとても自然で、まるでストリングスが入ることが前提で書かれた曲のように感じました。ストリングスが入ることは、あなたの作曲にどう影響を与えたと思いますか?

ヌバイア:あまり影響はなかったと思う。

―あ、そうなんですか。

ヌバイア:ストリングスが入っている全ての曲が、作曲のプロセス自体はとてもオーガニックだった。どの曲もストリングスありきで曲作りが始まったわけではない。ストリングは、書いている時に必要な気がしてあとで追加したから。ストリングスの存在感を出しすぎたりはしたくなかった。私は普通に曲を書きたかったから。「この曲はストリングスを入れられそうだから入れる」ではなく、曲を作っている過程でストリングスのテクスチャーが歓迎されるような空間ができた時、そこにストリングスを入れた。

私は幅広いサウンドを求めていた。全てのトラックに同じレベルのストリングスを入れてしまうと、音域が感じられなくなってしまうから、それはしたくなかった。全ての曲がベース、ドラム、キーボード、メロディが入る空間を持って始まり、そこにストリングスのエネルギーが欲しければストリングスを入れ、すでに出来上がり存在しているものを取り囲むようにストリングスを構成した。そうしないと、まとまりがなくなってしまうと思ったから。

「音楽を作る黒人女性を支持し続けたい」

―本作におけるサックスの即興演奏に関してはどうですか?

ヌバイア:そんなに変わってないと思う。さっき話したように、ストリングスは後から加えたものだから。意識的にストリングスが加わるから演奏をそれに合わせて変えたいと思ったことはなかった。心掛けたのは、自分らしく演奏することのみ。逆に、ストリングスが加わることで私の演奏が変わってしまうとか、本来ならやること、できることを控えるとか、そういうことはしたくなかった。ストリングスは私にとって、あくまでも曲のテクスチャーを作り出している様々な要素の一つだから。ずっと全面に出ているわけではなく、美しい山と谷があり、輝きを放つポイントもあれば背景に隠れていその存在にさえ気づかないようなポイントもある。だから、その一つの要素だけに合わせて何かを取り除いたり控えたりすることはないってこと。そもそもストリングスを加えること自体がいつもとは異なる音の空間を提供することが目的だから、サックスを変える必要はなく、これまで通り自分らしく演奏することだけを心掛けていたと思う。

―クラシック音楽やジャズの「with Strings」というよりは、これまであなたがやってきたハイブリッドで現代的なサウンドの延長線上にある使い方だなと感じました。

ヌバイア:まさにその通りで、それこそ私が音楽を作りたい方法だから。くっつけるのではなく混ぜ合わせて音楽を作りたいし、オーガニックなものを作りたい。2つの別々のものが存在するような感じにはしたくない。もっと言えば、ストリングがあってもなくても聴けるような、そんな音楽を私は作りたかった。例えばツアーでは、ストリングなしで演奏することもある。12人のバンドと一緒に常に回れるわけじゃないわけで。実際、ストリングスがあってもなくても形になるものを作ることができたと思う。

だから曲を書くときは、その曲が様々な状況で演奏できるものであることを頭に入れておく必要がある。ストリングスがレコードに美しさと魔法、そしてエネルギーを与えてくれているのは確かだけれど、それがなくてもその美しさは失われない。今回のアルバムの音楽の基本はそこだと私は思う。様々な光や空間で聴くことができる。実際にみんなが色々な場所でこのアルバムの音楽を楽しんでくれることを願っている。

―「現代的に響くようなサウンド」という点では、このアルバムにはどんなアイディアが入っていると言えそうですか?

ヌバイア:アーティストは基本、自分の創造的な魂や精神に触れることでアイディアが出てくると私は思ってる。そして、アイディアはそうやって出てくるから、それを描写したり、分析することはできない。アイディアは、書いている時に自分の中から自然に出てきたもので、最初から持っていたアイディアを取り入れて音楽を作ろうとしたわけではないから。本当に自然な流れでサウンドが出来上がっていった。

何かで、サン・ラは毎日作曲をしていたと読んだ。だから、私もそれを実践してみた。毎日欠かさず、8小節であれ、16小節であれ、64小節であれ音楽を作り続けた。それが録音されようがそうでなかろうが、作曲しつづけるという行為そのものが大切であり、自分自身にとっての訓練になると思ったの。そうすることで、自分の中に閉じこめるのではなく、自分の中にあるアイディアにアクセスすることができるようになっていった。創造的な方法で、しかも、出てくる前に自分でその可否を判断してしまう前にね。だから今回の作業は、量と質で言えば”量”が前提だった。そして、その作業の流れに乗る方法を習得すれば、後から追って”質”が出来上がっていく。私はそれをずっと続けたし、それは作曲家として成長する上で最も重要なプロセスの一つだったと思っている。

―ところで、今作ではストリングスの部分でチネケ!オーケストラを起用しています。彼らを起用した理由は?

ヌバイア:彼らのことは何年も前から知っている。私はずっと、彼らの仕事ぶりを見てきた。彼らを起用したかったのは、第一に、彼らが素晴らしい音楽家だから。そして第二に、彼らがヨーロッパ系の黒人や少数民族が多数派のオーケストラであり、クラシックの世界においてその多様性は想像以上に衝撃的だから。4歳から18歳までオーケストラでヴァイオリンとヴィオラを弾いて育った私にとっては、それは本当に重要なことだった。自分のアルバムの中で、そして今までにない自分にとって新しい音楽空間の中で、その多様性を表現することはとても大切だった。クラシックのスペースで彼らがやっていることをサポートしたかったし、彼らがやっていることを支持して、リスナーの皆にも彼らの存在を教えたかったの。それに、彼らが音楽的にもポップやレゲエ、クラシックといった色々なことをやっているのも好き。彼らと一緒に仕事ができて、素晴らしいミュージシャンたちに囲まれることができて、本当に嬉しかった。

チネケ!オーケストラがボブ・マーリー、フローレンス・プライス(アメリカにおける黒人女性作曲家のパイオニア)の曲を演奏

―サポートという部分だと、あなたも学んでいた教育団体トゥモローズ・ウォリアーズは弦楽器奏者を育てるプログラム「StringTing」を数年前に始めています。そういった動きはあなたにとってインスピレーションになっていますか?

ヌバイア:そういうふうには考えたことがなかったけど、感動的な動きだとは思う。トゥモローズ・ウォリアーズは先見の明が素晴らしい。出身ミュージシャンたちが世界各地で演奏することで、イギリスだけでなくいろんな国々で音楽や楽器の空間を多様なものにし続けていると思う。それは本当に刺激的だし、「コミュニティというものの存在が何を可能にするのか」を示しているから。

―Rolling Stone Japanは今年、キャシー・キノシやテレンス・ブランチャードに取材をして、彼らからアフリカ系の作曲家とクラシック音楽の関係について話を聞きました。クラシック音楽の手法は様々なジャンルに取り入れられていますが、アフリカ系の音楽家が作編曲を手掛ける機会は今でも少ないと思います。それが女性となると更に少なくなります。その意味ではあなたやキャシー・キノシ(『Gratitude』)、本作にも参加しているエスペランサ(『Chamber Music Society』)が行なってきたことには大きな意味があると思うのですが、いかがですか?

ヌバイア:私もそう思う。私やキャシー、エスペランサ以外にもたくさんいるとは思うけど、彼女たちは男性ミュージシャンほどプラットフォーム化されていない。私は黒人女性が音楽を書いていないという神話を払拭したい。実際は世界中、特にアメリカにはたくさんいるし、それは美しいことだから。私は音楽を作る黒人女性を支持し続けたいし、世界中のもっと多くの人たちが彼女たちをサポートし、機会を与えてくれることを願ってる。私は自分自身が作曲家としてのスキルを磨くことができている現状に感謝しているし、キャシーやエスペランサ、シーラ・モーリス・グレイをはじめとする作曲家たちの大ファンでもあることも伝えたい。


ヌバイア・ガルシア
『Odyssey』
再生・購入:https://found.ee/ODYSSEYJP

ヌバイア・ガルシア来日公演
2024年10月28日(月)・29日(火)・30日(水)ブルーノート東京
Open5:00pm Start6:00pm/Open7:45pm Start8:30pm
ミュージック・チャージ:¥9,900(税込)
公演詳細:https://www.bluenote.co.jp/jp/artists/nubya-garcia/