「日本人は、すぐに謝る」などと言われてきましたが、それも過去のものになりつつあります(写真:Graphs/PIXTA)

プロのコーチとして、これまでに2万人以上のリーダーを対象にコーチングやリーダーシップの指導をし、海外生活の経験も長い林健太郎さんは、「今の日本には『ごめんなさい』が不足している」と言います。「はい、論破」というフレーズを、子どもたちまでがおもしろがって使っている今の日本に必要なこととは?

※本稿は『「ごめんなさい」の練習』から一部抜粋・編集したものです。

「ごめんなさい」が不足している日本の社会

私は、高校時代をアメリカで過ごしました。また、コーチングの世界に入るときもアメリカで修業を積みました。

そのため、アメリカの「簡単に謝ってはいけない」文化の影響を受けていて、かつては「自分が間違っていないと思ったら絶対に謝らない」どころか、「自分が少しくらい悪くても簡単に謝るべきではない」と本気で思っていました。

日本とアメリカ両方の社会を見てきて感じるのは、今の日本には「ごめんなさい」が、かなり不足しているということです。「日本人は、すぐに謝る」などと言われてきましたが、それも過去のものになりつつあります。

「日本人は、自分の意見がない」

これも、長らく海外の人からそう思われ、また日本人自身も自覚してきたことですが、グローバル化が進み、さらにSNSが私たちの日常の一部になっていったこの十数年で、日本人の「自己主張のスキル」は格段にレベルアップしています。

とてもすばらしいことですが、その結果、日本の社会には、あちこちで対立の構図が生まれるようになりました。

インターネットの世界は、その最たるものです。自分の正しさを主張して反対の意見を全力でつぶしあい、炎上騒ぎも日常茶飯事。はやりの「はい、論破」というフレーズを、子どもたちまでがおもしろがって使っています。

これは、自己主張のスキルだけが発達して、相手とぎくしゃくしたときの「関係修復のスキル」が追いついていないことを意味しています。

アメリカ人がエレベーターで笑顔を見せる理由

たしかに、アメリカには「簡単に謝ってはいけない」文化がありますが、実は、それを補うコミュニケーションの技術もたくさんあります。それらを、自己主張のスキルとセットで身につけていくのです。

たとえば、エレベーターで他人と乗りあわせたとき、彼らは必ずニコッと小さく笑顔を見せます。あれは「私は危険人物ではない」というメッセージです。

少し一般化しすぎかもしれませんが、狩猟民族の子孫である彼らは「武装」が通常モードというか、彼らの生き方の根底には「自分の行動で領土や権利を獲得してきた」という強い思いがあるように思います。

だからこそ、仲よくしたい相手や、関係を続けていきたい人には、「私は危害を加えない人間ですよ」というメッセージを、おたがいに、こまめに送りあうのです。

また、「人種のサラダボウル」と言われるように、さまざまな文化的背景を持つ人たちが集まる国なので、「私は賛同できないけど理解はできるよ」「そういう見方もあるんだね」といったフレーズが、日常会話にたくさん出てきます。

日本人より、ずっと自己主張の強い人たちですが、それとセットで「おたがいにメッセージを送りあう」「違いを認める」といった考え方も社会に根づいています。

「謝る」=「負け」ではない

今の日本では、自己主張のスキルだけが急速に発達して、その結果、相手と意見が食いちがったり、反論されたりしたら、必要以上に相手を敵視して、全力で叩きのめそうとする。そんな悲しいことが起こっています。身近な人間関係で、そうなってしまうのは、あきらかに不幸です。

そんな状況を回避したいなら、ぜひ、「ごめんなさい」の技術、つまり関係修復のスキルを身につけてください。そして、身近な人との関係がうまくまわっていけば、あなたの人生の満足度は確実にアップしていきます。

なお、誤解のないようにお伝えしておくと、「ごめんなさい」を言うことは、妥協することでも、卑屈になることでも、相手に負けることでもありません。「ごめんなさい」を伝えるかどうかは、あなた自身が決められます。

もし、あなたが「この関係は切れてもいい」と思うなら、「ごめんなさい」を言わない選択もできるということです。そのうえで、もし伝えることを選ぶなら「技術」が必要です。

多様性社会で相手と関係を結んでいく技術

これからの社会は、どんどん多様化が進んでいきます。そのときに、「ごめんなさい」の技術の重要性は高まっていくはずです。

日本は島国ということもあり、これまで「均質性が高くて、多様性は低い」と指摘されてきましたが、そうとも言えなくなってきています。

多様性とは、性別、人種、国籍などの違いだけではありません。1人ひとりのライフスタイルの変化も、多様性の1つです。会社勤めの人、フリーランスの人、1つの会社で働きつづける人、転職する人、独身の人、子育てをしながら仕事をする人、夫婦2人の暮らしをしている人、親の介護をしている人……そうした違いも多様性といえます。


数十年前のライフスタイルは、たとえば男性なら、会社勤めをして、結婚して、子どもができて、家を買って、定年まで働く……といったコースを多くの人が選んだように、とてもよく似ていました。

そのような均質性の高い社会なら、日本の「察する文化」も、それほど難しいことではなかったでしょう。隣の人と自分の生活がほぼ同じなので、悩んでいること、うれしいこと、感じていることも共有しやすかったはずです。また、「ごめんなさい」が必要な場面でも、「まあ、おたがいさまだから」と穏便にすんでいたのだと思います。

ですが、これからの時代は違います。同じ学校にいても、会社で隣に座っていても、そして同じ家に住んでいても、相手は自分と違う背景、価値観を持っていることが当たり前になります。
 
そのときに、「ごめんなさい」の技術、つまり相手とぎくしゃくしたときの「関係修復のスキル」が必ず必要になるはずです。

(林 健太郎 : リーダー育成家 合同会社ナンバーツー エグゼクティブ・コーチ)