ゼレンスキー大統領に次の一手はあるか

写真拡大

 第1回【スコップしか持たないロシアの新兵に「ウクライナの精鋭旅団」が襲いかかった…プーチンの顔に泥を塗る「越境攻撃」が成功した最大の勝因とは】からの続き──。ウクライナ軍の精鋭旅団は依然としてロシアのクルスク州で快進撃を続けている。だが専門家はロシア軍による包囲作戦の危険性が高まっており、ウクライナ軍に甚大な被害が出る可能性もあると警告する。(全2回の第2回)

 ***

【写真12枚】“お忍び”でディズニーランドを訪れたプーチン大統領の長女・マリヤ氏 険しい表情で楽しそうには見えない

 ロイターの日本語電子版は8月17日、「ウクライナ軍、クルスク州で1─3キロ前進 米当局と戦況を協議」との記事を配信した。見出しにある通り、ウクライナ軍の精鋭旅団は今もロシア領内で前進を続けている。

ゼレンスキー大統領に次の一手はあるか

 原点に還れば、そもそもウクライナ戦争はロシアの一方的な攻撃で幕を開けた。国際世論はロシアを厳しく非難し、ウクライナとの連帯を表明してきた。日本でも今回の快進撃を喜ぶ声は相当な数に達しているが、専門家は「手放しで喜ぶのは間違い」だと指摘する。軍事ジャーナリストが言う。

「最も心配なのが兵站です。ウクライナ軍は越境攻撃に精鋭の旅団を複数投入していることが分かっていますが、ロシア領内に入れば入るほど本国からの距離が遠くなります。快進撃を続けると、旅団への補給が困難になる可能性があるのです。さらに戦場となっているクルスク州は、ウクライナ東部戦線の激戦地であるドネツク州から見て北方に位置しています。ロシア軍が東部戦線の部隊から応援部隊を編成して北上させれば、ウクライナ旅団の背後を突くことができます」

 ロシア軍側に立てば、クルスク州で快進撃を続けるウクライナ旅団に対し、まずは国内の部隊が正面から攻撃し、進撃を止める。

二正面作戦の危険性

 さらに東部戦線から応援に駆け付けた部隊がウクライナ旅団の背後を襲う。この両面攻撃が成功すれば、ウクライナ旅団を包囲攻撃することも可能だ。

 包囲戦は攻撃側が圧倒的有利に立つ。ウクライナ軍にとって最悪のシナリオは、NATO(北大西洋条約機構)軍から供与された最新兵器を装備した虎の子の精鋭旅団が壊滅してしまうというものだ。

「古来、軍事の専門家は二正面作戦の愚を指摘してきました。“二兎を追う者は一兎をも得ず”の諺通り、二正面作戦は自軍の戦略が分散し、両方の作戦が失敗するのです。日本も第二次世界大戦で中国とアメリカの両国と戦って敗れました。対するアメリカは日本とドイツの二正面作戦を勝って勝利しましたが、これは世界史上稀有な例外です。ウクライナ軍が越境攻撃に力を入れるほど、クルクス州とドネツク州の二正面作戦となってしまい、極めて不利な状況になるのです」(同・軍事ジャーナリスト)

 兵站の不安に二正面作戦の不利――。これだけでも相当な問題だが、そもそもゼレンスキー大統領は何を目的として越境攻撃に打って出たのだろうか。

 今のところ明確な発表は行われていない。そんな中、CNN.co.jpは8月16日、「ウクライナ軍、ロシアの82集落を制圧 司令部設置も」との記事を配信した。これが注目を集めたのは「司令部」を設置したと報じられたからだ。

疑問の多い朝日と毎日の記事

 CNNによると、ウクライナ軍はクルスク州の町スジャを制圧し、ここに司令部を設置したという。

 司令部を設置したとなると、ウクライナ軍はクルスク州の占領を企図している可能性がある。そして、なぜか朝日新聞と毎日新聞が「ウクライナロシアとの和平・停戦交渉を有利に進めるため、クルスク州の占領を考えている」と報じたのだ。2紙の記事から該当部分だけを引用させていただく。

《今後の停戦交渉へ向けて有利な状況を作り出すのが最大の目的という見方が浮上》(毎日新聞電子版:8月12日)

《「交渉カード」確保を目的に露領内で一定地域の占領を続ける場合、戦力の維持などが重い負担になる可能性もある》(同上)

ロシア領内で占領を続けることで、将来の和平協議にロシアを引き込み、譲歩を引き出す狙いも透ける》(朝日新聞:8月15日朝刊)

 だが先に見たとおり、ロシア領内で進撃を続けるだけでも相当なリスクだ。まして占領となると、桁違いにハードルは高い。

「他国を攻めるより、自国を守るほうが有利です。まさしくウクライナ戦争の緒戦で、守るウクライナ軍は攻めるロシア軍を撃退しました。侵略のためには防衛軍の数倍の戦力が必要だと言われています。ましてや敵国の占領となると、占領地を守り抜くだけの兵力や兵站、さらに占領地の住民に行政サービスを提供する人員も確保しなければなりません」(同・軍事ジャーナリスト)

ウクライナ人の“反ロ”信念

 朝日や毎日は間もなく交渉が始まると言わんばかりの書き方だが、激怒したプーチン大統領は一切の交渉を拒否したという報道もある。少なくとも交渉がいつ始まるのかは未定であり、それまでクルスク州の一部を占領し続けるというのは、今のウクライナ軍にとっては厳しいミッションだと言えるだろう。

 防衛大学・名誉教授の佐瀬昌盛氏は、東西冷戦の専門家として知られる。冷戦下のウクライナも2回、訪れたことがあるという。

「私がウクライナを訪問して強い印象として残ったのは、会うウクライナ人は誰もが反ソ連・反ロの強い信念を持っていたことです。ウクライナでは2024年に親ロ派の政権が誕生しましたが、『一体全体、親ロ派のウクライナ人なんてどこにいたんだろう?』と不思議に思い返すほど、誰もが反ロで徹底していました。その代表的人物の一人が、ゼレンスキー大統領です」

 ウクライナでは厭戦気分も蔓延しているが、国民の多くが反ロで団結しているのも事実だという。今回の越境攻撃でウクライナ国民の士気が鼓舞されたのは間違いない。とはいえ、占領となると話は別だという。

占領は非現実的!?

ウクライナロシアは国境を接した隣国ですが、ウクライナ語とロシア語では意思の疎通が半分もできません。文化的な相違もあり、これはウクライナ軍の占領には逆風となるでしょう。もちろんロシア語を話すウクライナ人もいますが、占領した地域に住むロシア人と自由にコミュニケーションできるわけではないのです。さらに和平交渉の報道ですが、越境攻撃でメンツを潰されたプーチン大統領が和平や停戦の交渉に応じるとは思えません。それこそ妥協の道を安易に探ると、プーチン大統領の岩盤支持層である保守層が猛反発する可能性もあります」(同・佐瀬氏)

 和平や停戦の交渉が難しいのなら、クルスク州にウクライナ軍の精鋭部隊が留まる必要はないと言える。

「大前提としてウクライナ軍がロシア軍を撃滅できるという自信を持っていたなら、迷わず東部戦線に投入したはずです。越境攻撃ならモスクワを目指すべきでしょう。地図を見るとよく分かりますが、ウクライナ軍が攻め込んだクルスク州はモスクワと東部戦線の真ん中に位置し、“ちょっと相手の脇腹を突いた”とでも言える場所です。越境攻撃は国内の厭戦気分を払拭し、戦意高揚を図るのことが目的だったのではないでしょうか」(同・佐瀬氏)

アメリカへの不満

 ならばウクライナの旅団に長居は無用であることは明白だが、現時点ですでに手遅れの可能性もあるという。

「今すぐウクライナの精鋭旅団がクルスク州から本国に転進したとしても、無傷で済むかどうかは分かりません。たとえ勝っている作戦でも退却戦は大変なのです。追うロシア軍の猛攻を最後尾の部隊が耐えきる必要があり、戦術的には非常に不利な立場に置かれます。考えれば考えるほど、果たして越境攻撃が必要だったのか疑問は増すばかりで、ウクライナ軍の行動が理解できないのです」(前出の軍事ジャーナリスト)

 専門家が見ても目的のはっきりしない、まさに謎だらけの越境攻撃というわけだ。ただしロシアにとっては第2次大戦以来となる本国への“侵略”であり、国民が動揺したり、厭戦気分が増したりする可能性はある。さらに対ロシアではなく、対アメリカに視点を変えると、見えてくるものがあるという。

「ゼレンスキー大統領は常にNATO加盟国、特にアメリカに越境攻撃の許可を求めてきました。しかし、プーチン大統領は『もしロシア本土が攻撃されたら、核の使用も辞さない』と公言し、それもあってNATOはゼレンスキー大統領に自重を求めてきました。しかし今回の越境攻撃はウクライナ側の独断で実施されたようです。そしてプーチン大統領は核兵器による報復を実施していません。ゼレンスキー大統領は『ほら見ろ、ロシアの核発言は単なる脅しだ。もっとウクライナに兵器を供与しろ。ロシアを攻撃させろ』と、アメリカに匕首(あいくち)を突きつけるための越境攻撃だったとしたら、それなりの合理性があるとは思います」(同・軍事ジャーナリスト)

第1回【スコップしか持たないロシアの新兵に「ウクライナの精鋭旅団」が襲いかかった…プーチンの顔に泥を塗る「越境攻撃」が成功した最大の勝因とは】では、なぜウクライナ軍は越境攻撃に成功したのか、その理由はロシア軍の“脆弱性”にあると詳報している。何しろ新兵に渡された武器はスコップだけだったという。

デイリー新潮編集部