御所で黙祷された後に日赤に向かわれた愛子さま /(C)JMPA

写真拡大

日本赤十字社(以下、日赤)に就職されてから約4カ月半。ほぼ毎日9時前には出社されている愛子さまだが、この日、日赤に到着されたのは13時少し前だった。

8月15日の終戦記念日は、天皇家にとってもっとも重要な日といえる。皇室担当記者はこう語る。

「天皇陛下と雅子さまは、日本武道館で『全国戦没者追悼式』に臨席され、正午に黙祷を捧げられるとともに、陛下が平和を希求するおことばを述べられました。

例年、両陛下と同じ時刻に愛子さまも御所で黙祷されていますが、春に就職されたこともあり、今年はどうなさるのかと思っていました。午前半休をとって、しっかり黙祷を捧げられた後に出社されたことからも、愛子さまの平和への強い思いが伝わってきます」

6月23日・沖縄慰霊の日、8月6日・広島原爆の日、8月9日・長崎原爆の日、そして8月15日・終戦記念日は、“皇室にとって忘れてはならない四つの日”とされている。幼いころからご両親といっしょに黙祷をされてきた愛子さまが、平和の大切さを実感されたのは、14歳のときだったという。

「’16年5月、学習院女子中等科3年生だった愛子さまは、修学旅行で広島平和記念公園を訪れ、衝撃を受けられたそうです。のちにそのときのお気持ちを『世界の平和を願って』というタイトルの作文につづられています」(前出・皇室担当記者)

作文には次のような一節もある。

《唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから》

“平和を人任せにしない”というご信念から、午前半休をとっての黙祷を決断されていたのだ。連日“観測史上最高”などと報じられている猛暑のなか、愛子さまはお休み返上で、祭祀や日赤での勤務に励まれている。

「7月から8月にかけて、後宇多天皇七百年式年祭、明治天皇例祭の儀、平城天皇千二百年式年祭と、宮中祭祀には欠かさず参列されています。

天皇ご一家は8月2日から静岡県の須崎御用邸でのご静養が予定されていましたが、東北の豪雨被害を鑑み、急きょ取りやめられました。

また8月下旬に、天皇陛下と雅子さまは那須御用邸で静養されますが、愛子さまはごいっしょされず、ご日程が調整できても週末のみの合流になるようです。夏休み期間はボランティアの志願者も多く、愛子さまが配属された『青少年・ボランティア課』は多忙なのだそうです」(宮内庁関係者)

愛子さまが社会人になって初めての夏は、“祈りの夏”となった。