元U-20日本代表監督
冨樫剛一インタビュー(後編)

◆冨樫剛一・前編>>「育成のプロ」が完敗したスペイン戦を見て思ったこと

 大岩ジャパンの集大成となったパリオリンピック。グループステージを3勝0敗・無失点という最高の結果で首位突破し、悲願のメダル獲得に大きな期待が寄せられた。

 しかし、負けたら終わりの決勝トーナメントに臨んだ準々決勝のスペイン戦は、相手に終始ペースを握られて0-3の完敗。アンダーカテゴリーからともに歩んできたパリオリンピック世代の夢は、ここで幕を下ろした。

 U-18代表の立ち上げ当初から見てきた冨樫剛一氏は、彼らの戦いぶりをどう感じたのか。若い世代を支え続けてきた「育成のプロ」が彼らに贈るエールとは──。

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キャプテンとしてチームを引っ張った藤田譲瑠チマ photo by Watanabe Koji

── 日本のアンダーカテゴリーの代表メンバーにも海外組が多くなりました。東京オリンピックより今回のメンバーのほうが海外組の人数は増えています。

「海外のビッグクラブからすれば、オリンピックに選手を派遣することには抵抗があります。日本にとってオリンピックは重要な舞台ですが。ただ、そんな所属クラブの事情で選べなかった選手がいるにもかかわらず、これだけ海外組がメンバー入りしているのは、少し前では考えられなかったことですね」

── それはたしかに。

「そういう世界のサッカーの流れを肌で知るためにも、指導者が海外に行くことも大事じゃないかなと思います。海外の練習メニューを見たいのなら、それこそYouTubeでチェックすることもできるわけです。でも、実際に海外で生活してみてその土地の価値観を知ることが、結果的にはサッカーにつながると思うんですよね」

── 大岩ジャパン世代の選手たちは、要所要所でスペインと対戦しており、その実力差がひとつの指標となっていると思います。さらにもうひとつ重要なのは、久保建英選手の存在です。彼らは『久保と一緒にプレーしたことがある』『一緒にやったけど、久保は覚えていないかも』など、みんな久保選手にまつわるエピソードを持っています。この世代はスペインとの距離感と同時に、久保選手との距離感も常に意識してきたのではないでしょうか。

「それは、たしかにあるかもしれません。指導者としても、彼はひとつの基準となっていたように思います。

 パリオリンピックには彼を呼べなかったけれど、U-17では招集していますよね。彼は指導者に対しても、戦術的なレベルを要求してきます。リスペクトを持ちながらも、自分の意見をしっかり伝え、意見交換をしてくるんです。

 これはやはり、バルセロナの下部組織で育ったからだと思います。言われたことを一生懸命にこなすのもすばらしいことですが、自分の考えを言葉にできるというのは、本当にすごいことだと思います」

【早くして海外クラブへ行くことの是非】

── ヴェルディジュニアを率いていた時、FCバルセロナU-12の久保選手と対戦しましたよね?(2013年8月にヴェルディグラウンドで対戦。ヴェルディジュニアで山本理仁も出場している)

「彼は子どもの頃から指導者の間で有名な存在でしたが、バルサに移籍し、バルサの一員として日本に来て試合をするなんて、本当に『キャプテン翼』の世界のようでした。対戦相手にはアンス・ファティもいましたし、お客さんも2000人くらい集まったんですよ。そんな背景もあって、彼の存在は本当に衝撃的でしたね」

── 話を戻しますが、海外でプレーすることが成長につながる一方で、今回の大岩ジャパンでは関根大輝や平河悠といった、日本で大学まで進んだ選手たちが活躍しました。

「彼らの成長曲線は、大学に進学したからこそ得られたものだと思います。大学で自信をつけて努力を続けたことが、今の結果につながっていると感じます。本当にすごいですよね。

 さっき話した『海外に行け』という話とは真逆になりますが、日本にも日本の面白さがあります。海外に行くことで日本のよさに気づくことがあるように、その逆もある。だから世界大会では、日本のよさを再認識することもあるんですよね」

── 先輩の日本代表選手たちは、後輩に「一日でも早く海外へ行け」と伝えているようですが、大学経由やJリーグで自分なりの基盤を作ってから──という道も悪くないのではと思うことがあります。

「そうですね。Jリーグは本当にすばらしいリーグだと思います。もちろん、斉藤光毅のように17歳でデビューして結果を出し、早く海外に行くのは理想的かもしれませんが、年齢的にはもう少し遅くても大丈夫ではないでしょうか。ただ、しっかり準備をしたうえで、というのが条件ですね。心の準備が整い、プレーも一定のレベルに達していることが重要です」

── 早く海外に行ったことで、オリンピックへの出場チャンスを逃した選手もいるのではないかと感じています。

「たとえば、そうして外れた選手が21歳だったとしたら、彼らが23歳で迎える次のオリンピックでは、また状況が変わるかもしれません。ただひとつ言えるのは、それぞれのクラブのトップチームでプレーしていることが必要だと思います。ほかの国を見ても、セカンドチームの選手が結果を出しているケースはあまり見られませんからね」

【セレクションで「即合格」を決めた選手】

── これまで関わりのあった選手のなかで、特に成長を感じた選手はいますか?

「直接招集したことのない選手はほとんどおらず、関根大輝や内野貴史くらいですね。最初のカナリア遠征に参加した選手のなかで五輪メンバーに入ったのは、山本理仁と西尾隆矢くらいかな。ジョエル(藤田譲瑠チマ)も影山さん(雅永/元U-18代表監督)の下でコーチをしていた頃は、まだひとつ下のU-17に招集されていました。2021年から彼を呼ぶ計画でしたが、残念ながら大会がなくなってしまいましたので」

── 藤田選手の成長度合いはいかがですか?

「彼とは小学校6年生の時に初めて出会いました。ヴェルディのジュニアユースのセレクションに来た時ですね。

 ヴェルディのセレクションではゲーム形式の7対7を行なっていたのですが、僕がたまたま見ていると、ジョエルはまだ子どもの声ながら『お前はどこのポジション?』と、その日に初めて会ったチームメイトに話しかけて仕切り出したんですよ。

 セレクションでそんなことをする子は初めてで、その時点で上手かどうかに関係なく『合格だな』と思いました。U-17代表に呼ばれた時も、森山(佳郎)監督が同じようなことを言っていました。今も変わらず、そのままですね」

── 大岩剛監督と話すこともありますか?

「はい、ありますよ。このチームの原型となるU-22は最初に私が担当していたので、選手の成長についてはかなり話し合ってきました。だから、スペインに負けたあとの大岩監督の涙には、グッとくるものがありましたね」

── 今後、この世代の選手たちに期待することはありますか?

「オリンピックでのベスト8は達成しましたが、私たち日本サッカーの関係者にとって『世界一』という目標は変わりません。日本には、そのチャンスがあると信じています。

 今回は負けてしまいましたが、そのチャンスを持っていたからこそ、余計に悔しいです。実際、今回も世界一になる可能性はあったと思います。ただ、結果として達成できなかったので、また世界一を目指していくことが大切だと思います」

<了>


【profile】
冨樫剛一(とがし・こういち)
1971年7月15日生まれ、神奈川県出身。読売サッカークラブ育ちで、ヴェルディ川崎→横浜フリューゲルス→コンサドーレ札幌でプレーしたのち1997年に現役引退。翌年からコーチとしてV川崎(東京V)や札幌で指導者の道をスタートし、2014年には東京V監督を務める。2019年からU-18(U-19)代表コーチ、U-22代表監督、U-20代表監督などを歴任する。2024年より横浜F・マリノスユースの監督となる。ポジション=DF。