草葉の陰で何を思うか(時事通信フォト)

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 希代のマエストロが旅立ってから、4か月が過ぎた。小澤征爾さん(享年88)の残した輝かしい功績は、消えることはない。だが、その大きすぎる存在ゆえ、血を分けた姉弟には大きな禍根が残されていた。

【写真】手を繋ぐ小澤征爾さんとマルタ・アルゲリッチさん。他、赤マフラー姿で車椅子に姿の生前の征爾さん、路上でぴったり並ぶ小澤征悦と桑子真帆アナも

 都内でも有数の高級住宅街にある、150坪以上の敷地に立つ大豪邸は、ひっそりと静まり返っていた。2月に亡くなった世界的指揮者・小澤征爾さんが生前暮らした自宅だ。2010年の食道がん判明以降、病と闘う日々だった征爾さん。病院で過ごすことを嫌がり、自宅療養を続けた。

「お元気な頃は、よくお散歩されていて、気さくに挨拶してくれました。亡くなったと聞いて、近所の人の中には弔問や供花をしたいと伝えた人もいたみたいですが、すべて断られたそうです。葬儀は限られた人だけで、とても簡素に行われたと聞いています」(近隣住民)

 征爾さんの死去から4か月が経っても、「世界のオザワ」を悼む人の気持ちは消えなかった。5月26日、水戸芸術館(茨城県)で征爾さんの「お別れ会」が開催された。

「小澤さんにふさわしい、壮大で、音楽のぬくもりにあふれた会でした。親交があった多くの音楽家をはじめ、抽選で当選した一般市民など約930人が集まりました」(音楽関係者)

 会場に展示された52枚のパネルには、征爾さんがオーケストラに囲まれタクトを振るう姿はもちろん、中高生に囲まれて笑顔を浮かべていたり、舞台袖で見せたふとした瞬間の表情などがおさめられていた。お別れ会の終盤、挨拶に立ったのが、征爾さんの長女でエッセイストの小澤征良さん(52才)だった。

「征良さんは、時折感極まって涙声になりながら、“父の魂でつながった音楽を聴いて、父は生きていると感じました。お別れだとは思っていません。父の魂はみなさんの音楽の中にいます”と、感謝を伝えていました。征爾さんの孫にあたる、征良さんの9才の長男も会場にいました」(会の参加者)

 当日配布された征良さんのメッセージには、《闘病の14年間、とにかく父を守ることを自分の中で最優先にしてきました》と綴られていた。その言葉通り、自宅療養を続けていた征爾さんの身の回りのケアをし、常に寄り添っていたのは、同じ敷地内に住む彼女だった。

《あらためて長い月日を振り返ったら、ああすれば、こうすればよかった、という後悔が一つもないことに初めて、気がついたのです。びっくりしました》

 征爾さんの闘病を、そう振り返った。

資産は30億円以上

 征良さんの挨拶は参加者の涙を誘ったが、一部では違和感を覚えた人もいた。

「一般の人ですら参加できた会だったのに、残された数少ない肉親がいないことには、なにか事情があるのかなと思ってしまいました」(前出・音楽関係者)

 その日、征爾さんの長男で、征良さんの弟にあたる俳優の小澤征悦(50才)と、妻でNHKの桑子真帆アナウンサー(37才)の姿はなかった。

「征悦さんは、その日都合がつかなかったというより、会そのものに招かれていなかったようです」(別の音楽関係者)

 もちろん、征悦に征爾さんを偲ぶ気持ちがないわけではない。水戸での「お別れ会」に先立つ4月14日、征悦は、征爾さんが中高を過ごし、自身の母校でもある成城学園で行われた「お別れの会」に出席し、声を詰まらせながら挨拶した。逆にその日、会場に集まった1300人の中に、征良さんはいなかったという。

 かつて征良さんは、エッセイストの内田也哉子さん(48才)との雑誌の対談で、《魂のファミリーツリー》について語ったことがある。

《父と私と息子は同じ霊系(魂の系列)》
《私は父と息子に出会うために生まれてきたのかなあと。そう考えるとすごく腑に落ちて、人生の地図が見えた気がする。3人で魂のチームメイトみたいに感じるのかもね》

 それを象徴するように、前述の征良さんのメッセージでは、征爾さんと征良さん、そして征良さんの長男の3人のエピソードが紹介された。一方、征悦の存在にはまったく触れられなかった。

「10年以上の闘病を支えた自負がありますし、征爾さんの死後も、征爾さんの“レガシー”を後世に残していこうという気持ちを、征良さんは持っています。ただ、その思いが強く出すぎているようにも感じられます」(前出・別の音楽関係者)

 征良さんは、仕事面でも征爾さんをサポートしていた。2021年に征爾さんが名誉理事長を務める「サイトウ・キネン・オーケストラ財団」が設立されると評議員として名を連ね、理事にも就任。

「いつしか征爾さんの代弁者のような立場になり、征爾さんの周りを徹底的にガードするようになりました。生前、征爾さんと面会する人にも目を光らせていたほどで、それは征悦さんに対しても同じだったといいます」(財団関係者)

 姉弟の亀裂は、征爾さんの死によってより深いものになったのかもしれない。

「かつて、病気のために征爾さんが指揮をできなくなったとき、征悦さんは維持費がかかる個人事務所を閉めることも考えたそうです。ただ、征良さんは世界のオザワの文化を受け継ぐ使命感に燃え、事務所の存続を主張し、意見が割れました」(前出・別の音楽関係者)

 海外で活躍していた頃の征爾さんには、毎年3億円近い収入があったとされる。さらに、音楽監督料や商標使用料も莫大で、ハワイやロサンゼルス、パリ、スイスなどに所有する別荘などを合わせると、全盛期の資産は30億円をくだらないとみられていた。

「征爾さんの生前から姉弟は意見が合わなくなっていた。2つのお別れの会が開かれ、2人が顔を合わせなかったあたり、父の死後もその関係は修復されていないのかもしれません。お金に代えられない征爾さんの“遺産”はもちろん、そういった資産を今後どう管理するか、といったことも、姉弟の間の溝を深いものにしているようです」(前出・別の音楽関係者)

 冒頭の、都内一等地にある自宅の土地や建物の名義は、まだ《小澤征爾》のままだ。家族の相克には、どのような「終奏」が流れるのだろう。

※女性セブン2024年6月27日号