Photo by Hironobu Tanaka

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こんにちは。都内で書籍の編集をしている者です。本を作ることを職業にしていますと、作った本の売れ行きを気にしながら過ごします。ただ、そんなことを越えて、ふと、著者が書いていた一節を思い出すことがあるんですね。先日、2019年に担当した『読みたいことを、書けばいい。』という本の中のある言葉が心に浮かびました。わたしが大好きな一節でして、あなたにも読んでほしくて紹介します。(構成/今野良介)

書くことは生き方の問題である

結論から言う。書く人間はモテない。

自分を表現したいなら、ミュージシャンか俳優でも目指したほうがいい。それらの人は、容姿を人に晒す。コンサートがある。舞台がある。映画やテレビがある。

文字を書く人には、ライブがない。書いている間は、だれとも会わない。談笑しながら書く人はいない。なんという気色悪い日陰の職業だろうかと自分でも思う。

しかも、とても疲れる仕事だ。生活は不規則になり、腰は痛くなり、常に眠く、締切に追われる。

書かなければ、あなたは企業の経営者にも、オリンピックのマラソン選手にも、宇宙飛行士にもなれるチャンスもある。

書くということは、ほぼそれらを捨てることだ。選ぶということだ。

だれかが言った。書くことは人間最後の職業だと。死刑囚だって獄中で原稿を書いて本を出す。

人間はだれしも孤独だ。書くことは孤独と向き合うための「手なぐさみ」なのかもしれない。

孤独の本質とは、ひとりであるということだ。なぜひとりで生まれ、なぜひとりで死ななくてはならないか、だれも答えられない。だがその孤独の中でしか知り得ないことがある。

その人の純粋なところ、美しいところ、正しいところ、優しいところ、そして寂しいところというのは、その人と会って向かい合っているときではなく、離れたあと、ひとりのときにふと思い起こされ、伝わり、感じるものである。

我々が人間への尊敬や愛情や共感を心に刻むのは、実に相互の孤独の中においてである。

書くこと、そして読むことは、その相互の孤独を知り、世界への尊敬や愛情や共感をただ一回の人生で自分のものにすることなのだ。

自分が読みたくて、自分のために調べる。それを書き記すことが人生をおもしろくしてくれるし、自分の思い込みから解放してくれる。

何も知らずに生まれてきた中で、わかる、学ぶということ以上の幸せなんてないと、わたしは思う。

自分のために書いたものが、だれかの目に触れて、その人とつながる。

孤独な人生の中で、誰かとめぐりあうこと以上の奇跡なんてないとわたしは思う。

書くことは、生き方の問題である。

自分のために、書けばいい。読みたいことを、書けばいい。

(了)

※以上、『読みたいことを、書けばいい。』第4章より抜粋して掲載