「絶対に自分が演者をやりたいとか、そういうこだわりは一切ないですね」

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「夢がない」で市民権を獲得しつつあるピン芸人の賞レース『R-1グランプリ』(関西テレビ系、改称前はR-1ぐらんぷり)。過去のチャンピオンの中には、芸人以外の道に進むなど、意外な変貌を見せる人もいる。
 2014年チャンピオンとなったやまもとまさみさんもそのひとり。今年の1月末に所属事務所を退社し、現在はフリーで活動している。その仕事内容は、ナント脚本家。表舞台から裏側へまわったのには、R-1で優勝したことへの後悔と、コロナ前からはじめた副業が大きく関係している。前途洋々とはいかなかったものの、「どちらも経験してよかった」という。本人に話を聞いた。

◆12回目の「R-1ぐらんぷり」挑戦

 元R-1チャンピオンのやまもとまさみさんは、米俳優のジム・キャリーのようなコメディ俳優になることを目指して上京したという。

「この頃は、『Deview』という雑誌で縁のできた芸能事務所の仮所属という形で、俳優の卵として色々なオーディションに参加していました。どこかの養成所に通っていたワケではなく、俳優やコメディの知識も何もない状態で、紹介されるオーディションをただひたすら受け続けていました。そんな時に見たのが『爆笑オンエアバトル』(NHK)で、『これに出たい!』と思ったのが、ピン芸人になったきっかけですね」

 その後、とんとん拍子で芸人になると、音や小道具を使わず、ストーリーや人間描写をメインにしたひとりコントで、着実に力を身に着けていった。そして第1回大会となる2002年から「R-1ぐらんぷり」に参加。何度も準決勝・決勝進出を繰り返し、芸歴15年目の年に12回目の挑戦で、念願の優勝にたどり着いた。

◆テレビ番組を一周させてもらえなかったワケ

 ピン芸人として憧れていた賞レース優勝を喜んだのもつかの間、「優勝したら売れる」というジンクスにハマらず、「すぐに優勝したことを後悔した」と話す。

「優勝したら、各局のテレビ番組を一周させてもらえるというのが定説ですが、なぜか僕は一周もさせてもらえなかったんですよね。主催の吉本興業さん以外で初の優勝者だったんで、勝手がわからなかったのではないかと思っています(笑)。まぁ、実際には何本か番組に出させていただきましたが、僕はトークが上手いほうではなく、爪痕を残せなかったのが一番の原因ではありますけどね(苦笑)」

◆「直後のGWはしっかり休暇がとれました」

 現在は、どこか吹っ切れた感じも漂っている中で、「芸風も影響していたのではないか」と冷静に推測を続ける。

「僕自身は、どちらかといえばイジられキャラなんですが、決め衣装や決めゼリフがあるわけじゃなく、がっちりしたコントをしていました。親しい先輩方以外は、触れにくかったんだと思います(苦笑)。テレビの仕事もほぼ入らず、直後のGWはしっかり休暇がとれました」

 以前とさほど変わらない日常に、複雑な思いを抱えていたという。そして、スケジュールを見ては不安が募り、次第に優勝したことを後悔するように……。

「優勝したら、評価と共にハードルも自然と上がりますよね。でも、あんまりテレビに出ていない(苦笑)。ライブや営業は増えましたが、何となく先細るだろうと予想していました。そうしたら案の定、翌年から営業の数が減っていきました。子どもが小学生に上がることもあり、お笑いだけじゃ食っていけないからバイトしようかと考えていた時に、『クレープのフランチャイズ展開を考えてるんだけど、よかったらまさみもやらないか?』って声をかけられたんです」

◆クレープ店が成功!会社化直後にコロナ到来

 それまでは、ビッグサイトなどのコンベンションセンターで開催されるイベント用の仮設住宅作りや、ドラッグストア前で商品を売りこむワゴンDJのアルバイトなど「シフトの融通が利きやすい仕事を長く続けていた」と語る、やまもとさん。