デジタル・イクイップメント・コーポレーション(DEC)でコンピューターの設計を手がけ、1960年代のミニコンピューター産業の形成を促したコンピューター技術者のゴードン・ベル氏が、2024年5月17日に89歳で亡くなりました。遺族によると、死因は肺炎であったとのことです。

C. Gordon Bell, Creator of a Personal Computer Prototype, Dies at 89 - The New York Times

https://www.nytimes.com/2024/05/21/technology/c-gordon-bell-dead.html

Gordon Bell, an architect of our digital age, dies at age 89 | Ars Technica

https://arstechnica.com/gadgets/2024/05/gordon-bell-an-architect-of-our-digital-age-dies-at-age-89/

1934年にミズーリ州カークスビルで生まれたベル氏は、MITで電気工学の学位を取得した後、1960年にDECの創設者であるケン・オルセン氏とハーラン・アンダーソン氏にスカウトされました。DECの初期研究員として、ベル氏はより小型で手頃な価格のコンピューターの開発に尽力。DEC在籍中にシリアル通信用の最初の集積回路「UART」を発明しました。

ベル氏とDECは、IBMのようなコンピューター会社が高額のコンピューターを販売していた当時、その何分の一かのコストで購入できる小型で強力なマシンの導入を目指していて、ベル氏は当時「ミニコンピューター市場」と呼ばれていた初期のDEC製品をすべて設計した功績を残しています。

その後、アメリカ国立科学財団(NSF)のコンピューターおよび情報科学工学部門で初代および設立時のアシスタントディレクターとして、インターネット上で世界中のスーパーコンピューターをリンクする取り組みを主導し、研究者の共同作業とデータ共有の方法を変革しました。1970年代にはエンジニアリング・マネージャーとして「VAX」というアーキテクチャの開発を監督。1983年にDECを退職した後も、ベル氏は起業家、政策顧問、研究者として活躍しました。1987年には、ハイパフォーマンス・コンピューティングにおける優れた業績を表彰する「ゴードン・ベル賞」が、ベル氏の名前にちなんで設立されました。



ベル氏は全米工学アカデミー、全米科学アカデミー、アメリカ芸術科学アカデミーに選出され、1991年にはジョージ・H・W・ブッシュ大統領から国家技術勲章を、1992年にはIEEEのジョン・フォン・ノイマン・メダルを授与されました。

訃報に際し、カリフォルニア州のコンピューター歴史博物館(CHM)をベル氏と共に創設したジョン・マシェイ氏が追悼の言葉を寄せました。また、CHMもトップページにベル氏の訃報を掲載し、哀悼の意を表しています。

Home - CHM

https://computerhistory.org/



Microsoft Researchでベル氏に師事したという元Microsoft最高技術責任者のレイ・オジー氏は、「Microsoft在籍中、ゴードンは何度も私に会ってくださり、相談相手になってくれて、私が直面していた問題を助けてくれたりました。ゴードン、私たちはあなたがいなくなることを寂しく思います。あなたが私たちひとりひとりに、そしてすべての人に与えてくれたものに感謝します。あなたは私のヒーローの一人でした」と述べました。





ソーシャルサイトのHacker Newsでは、スタートアップ創設者が「ベル氏が初期投資家となってくれ、一緒にディナーを食べたことを覚えています」との思い出を寄せていました。