(イラスト:ならネコ/PIXTA)

事実は小説より奇なりという有名な言葉がある。

それはバイロンというイギリスの詩人の作品、「ドン・ジュアン」の中に登場する一節から生まれた表現だそうだ。確かに、世の中に起きている出来事は、人間の想像を度々超えてしまう。そればかりか、小説家たる者は自らの体験や日々飛び交うニュースなど、身辺の珍事に対して敏感で、現実に基づいた、奇妙かつ面白いネタをつねに物語の中に忍ばせている。

紫式部本人に似ている「登場人物」は?

古典の王様とでもいうべき『源氏物語』もしょっちゅうリアルライフにインスピレーションを受けていると言われてきた。桐壺帝のモデルは醍醐天皇なのではないかとか、光源氏は、好色放蕩な美男・在原業平にまつわる武勇伝を基に創作されたとか。私たちですら、物語の向こうにある現実世界に興味津々だが、当時の事情を知っているだけに、同時代の読者にとってそれはさらにエキサイティングな読書体験だったに違いない。

そこで、やはり気になる。『源氏物語』のページを彩る数百人のキャストの中には、作者本人に似ている人物がいないか、と。

紫式部はすべての登場人物になりきって、彼女の心の声は幾度も和歌などから滲み出ているように感じる。しかし、人妻ゆえに愛を拒絶した女性・空蝉の巻を読んでいると特に、作者式部のことを思い合わせずにはいられない。

空蝉は光源氏を振った最初の(数少ない)女君だ。「NO」と言われた経験がほとんどない我らが源氏にとって、それは苦い記憶として深く脳裏に刻まれると同時に、物語における印象的なエピソードを作り上げている。そんな忘れがたき空蝉は、紫式部によく似ているのだ。

空蝉は桐壺帝に入内する予定だったのに、父親の死去によって没落してしまい、伊予国(現代の愛媛県)を管轄する年老いた官僚の後妻になった経緯が語られている。つまり、彼女は、学者肌の父の元に育った紫式部と同じく、中流階級というか、中の下くらいのランクに属していたことになる。

年の差婚も作者と同じだ。紫式部は夫・藤原宣孝とは親子ほどの年齢差があって、彼には複数の妻がいたそうだ。さらに宣孝の長男は式部とほぼ同い年だったと同様に、空蝉とその義理の娘・軒端荻(伊予介の先妻の娘)も同年代という設定になっている。

こうして見ると、空蝉の待遇や素性は作者とかなり似ていることは一目瞭然だが、それは偶然だろうか? 紫式部は、布一枚を残して、恋を諦めた空蝉の物語に一体どのような思いを込めたかったのか、読めば読むほど妄想が膨らむばかりである。

若妻が1人で寝ている部屋に忍び込む17歳

空蝉は、『源氏物語』第2帖「帚木」で初登場を果たす。光源氏にとって、17歳の夏だ。

ある日、光源氏は紀伊守(伊予介の息子)の邸に泊まることになった。そして、そこに伊予介の若い後妻もいるという情報を耳に挟んだ途端、早速興味が湧いてきた。彼はみんなが寝静まったタイミングを見計らって、後に「空蝉」と呼ばれる若妻が1人で寝ている部屋に忍び込んでいく。若いって血気盛んで怖いもの知らずだなぁ、とその思い切った行動に感心さえ覚える。

動揺を隠しきれない空蝉を前にして、光源氏は次のような太々しいセリフを言い放つ。

「うちつけに、深からぬ心のほどと見給ふらむ、ことわりなれど、年ごろ思ひわたる心のうちも、聞こえ知らせむとてなむ。かかる折を待ちいでたるも、『さらに浅くはあらじ』と、思ひなし給へ」

【イザベラ流圧倒的意訳】
「突然のことで、単なる出来心だと思いますよね? ごもっともですが、長年思い続けた心の内を知ってもらおうと思って。このような機会をずっと待っていて、やっとあなたが現れたのだ。いい加減な気持ちなんかじゃないです!」

ついさっき知ったばかりなのに、よくぞ「年ごろ思ひわたる心」と言えたものだ。チャラいイタリア人男性は「君に会うために生まれてきたんだ、俺」というような不毛な口説き文句をぶちまけてくることもあるが、光源氏もそれに負けないくらいの大胆さを見せている。

空蝉は抵抗を示すものの、相手は相手だし、結果的に2人は一夜を共に過ごしてしまう。光源氏は、家来筋の妻に手を出したことに対して一切の後悔はなく、むしろそのスリルを楽しんでいるご様子。しかし、それ以降女は用心深く身を守る。決して会おうとせず、頑なに彼のアプローチを拒否し続けた。

そして義理の娘と一緒に寝ていたある夜、空蝉は入ってくる光源氏の気配をいち早く察知し、袿を脱ぎ捨てて、下着一前で部屋から逃げ出す。光源氏はそこに寝ていた女性こそ目当ての女だと思って、ことに及びそうになったところでやっと勘違いに気づく……。彼に残されたのは、空蝉の匂いがたっぷりと染み込んだその一枚の布だけである。

さすが平安時代、求愛活動は常に暗闇の中で行われていたので、こうした失敗も現実世界でも珍しくなかっただろう。引き下がるわけにもいかない光源氏は、「僕がずっと会いたかったのは、まさに君なんだ!」という真っ赤な嘘を吐いて、なんとかその場を丸く収めたのであった。

空蝉が逃げざるを得なかった事情

かなり強引に迫ってきた光源氏だが、空蝉は彼の魅力に関して決して無関心ではない。できるものなら、キラキラと輝く殿上人との危険な情事に飛び込みたい気持ちは山々だが、一度後ろ盾を失くして、路頭に迷いそうな経験をしているからこそ、現実を甘く見ていられなかった。身分秩序を重んじる男性優位社会の中で、中流にすぎない女たちの運命はどれだけ脆くて切なかったのか、痛いほど伝わってくる。

で、リアル空蝉こと、紫式部の方はどうだろうか? 彼女も「袿を脱ぎ捨てる」的局面に立たされたことはあっただろうか?

『紫式部日記』の後半で、年代がはっきりしない記事がいくつか綴られている。どのような経緯で日記に追加されたのか不明だが、その中には以下のような意味深な断片がある。

渡殿に寝たる夜、戸を叩く人ありと聞けど、おそろしさに音もせで明かしたるつとめて、夜もすがら水鶏よりけになくなくぞ真木の戸口に叩きわびつる返し、ただならじとばかり叩く水鶏ゆゑあけてはいかにくやしからまし

【イザベラ流圧倒的意訳】
夜、渡殿の局に寝ているときに、誰かが戸を叩く音がして、恐ろしくって、息を殺して一夜を明かしたわ。朝には次の歌が送られてきた。
一晩中、俺は水鶏以上になくなく君の戸を叩きあぐねたんだよ。
それに対して、確かにとんだ騒ぎだと思ったが、一瞬だけの思いつきだったでしょう。そこまで熱心になく水鶏だからこそ、戸を開けてしまったらどうなっていたことやら

真夜中に、ドアを激しくドンドン叩かれる音で起こされたら、誰だって怖い。ドアの向こうにいるのが知っている人だったとしても……。

『紫式部日記』の記事の中では、そんな迷惑行為をしてきた人の正体は明らかにされていない。しかし、最初の歌は『新勅撰和歌集』にバッチリ入集されていて、作者は法成寺入道前摂政太政大臣ということになっている。それはつまり藤原道長なのである。

道長はなぜ、すごい勢いで紫式部がいるお局の戸を叩きに行ったのだろうか? そもそも彼クラスの殿上人なら、女房ごときの部屋まで出向かなくたってよかったはずだ。2人の間には一体何が起こったのか!? といろいろ気になってしょうがない。

紫式部はなぜ戸を開けなかったのか

空蝉が光源氏の愛を拒絶した理由は、夫を愛していたからでもなければ、不道徳な恋に踏み切りたくなかったからでもない。彼女は自らの危うい立場をわきまえて、自分を守ろうとしていたにすぎない。

一方で、紫式部はすでに夫と死別して、一応自由の身だったし、道長のことも嫌いではなかったのかもしれない。しかし、彼女はそれでも戸を決して開けなかったのだ。それは現代風な不倫の意識があったからというよりも、空蝉のような中流女性の哀しい人生をたくさん目の当たりにしていたからなのではないだろうか。

光源氏が持ち去った袿は、空蝉が都を去るときに再び彼女のもとに返される。今度は彼の匂いがほんのりと染み付いており、それに気づいた女は実らなかった恋に思いを巡らし、涙を流すという。その匂いの往来をたどって見えてくる恋路は、切なくて儚い。

『源氏物語』の詳しい成立過程がわからないからには、空蝉のエピソードがいつ綴られたのかも不明のままである。殿上人に言い寄られた作者本人の恐怖体験がそこに投影されているのか、それとも後になって現実が物語に追いついたのか、永遠の謎だ。しかし、しっかりと閉ざされた戸にも、脱ぎ捨てられた一枚の布にも、たくさんの女たちの哀しさ、そして恋の危なさが象徴されていることだけは確かだ。


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(イザベラ・ディオニシオ : 翻訳家)