中森明菜と“36年絶縁”の実兄が語った「伝えたいこと」(公式YouTubeより)

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 伝説の歌姫・中森明菜(58才)が音楽活動を再開した。

【写真】肩周りから背中まで開けたベアトップ姿の中森明菜。他、最近の笑顔の中森、黄金のエルメススカーフ姿も

 4月3日、YouTubeの公式チャンネル「AKINA NAKAMORI OFFICIAL」で、明菜が往年のヒット曲『TATTOO』のジャズバージョンを披露。翌週、セルフカバー曲の第2弾として公開された1987年のヒット曲『BLONDE-JAZZ-』は230万回以上再生され、根強い人気と世間の関心の高さを知らしめた。

 一連の動画は5月に明菜がデビュー42周年を迎えるにあたって、5週連続でアップされる予定の特別企画。どの曲をカバーするのかは公開当日まで伏せられているため、動画の更新を心待ちにしているファンは少なくないという。

「明菜さんは、昨年12月にも『北ウイング-CLASSIC-』を歌うモノクロの動画を公開していますが、今回のように鮮明なカラー映像がメディアに流れるのは2014年のNHK『紅白歌合戦』以来、約10年ぶり。7月には都内の会場でファンミーティングを行う予定もあり、公の場に久々に姿を見せることも注目を集めています」(レコード会社関係者)

 2017年末にディナーショーを行ったのを最後に、表舞台から姿を消していた明菜が“再始動”を宣言したのは2022年8月。デビュー40周年の節目に前事務所から独立し、自ら個人事務所「HZ VILLAGE」を立ち上げての再出発だった。

「歌っている姿を久しぶりに見て『よかった!』としみじみ思いました。彼女は来年、還暦を迎えますが、年齢より若く見えるし、体もよく動いている。一時はずいぶん心配しましたが、すっかり体調もよくなっているようで安心しましたよ」

 弾んだ声でそう語るのは、明菜の3才上の兄である。家族思いだった明菜が中森家と“絶縁”したのはいまから30年以上前のことだった。

「金銭トラブルや最愛の母の病死など、さまざまな原因が報じられてきましたが、真相は判然としていません。若い頃から事務所スタッフや恋人の裏切りに傷つけられてきた明菜さんは、一時期、極度の人間不信に陥っていました。家族が自分のお金を使い込んでいると疑っていたこともあり、1995年にお母さんが亡くなる前に自分の意志で中森家の戸籍から抜けてしまったのです」(中森家の知人)

 家族の断絶は明菜の兄にとっても悲痛な出来事だった。

「自分が最後に会ったのはもう36年前になります。はじめのうちは、明菜のひとつ上の姉が連絡を取っていたのですが、あるときから誰も本人と話をすることができなくなってしまって……。2019年にいちばん下の妹が亡くなったときも、明菜は葬儀に来ませんでした。おそらく母の墓がどこにあるのかも知らないでしょう。いまこそ伝えたいことが山ほどあるし、きちんと話をしたいと思っているんです」(明菜の兄)

 4月18日発売の『女性セブン』では、兄が明菜に伝えたいと願う90才になった病床の父親の状況、いまも実家の廊下に飾ってある写真や思い出などについて詳報している。