インドカレー

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街でよく見かけるインドカレー店は、どこも同じような店構えだ。なぜなのか。ジャーナリストの室橋裕和さんは「『小泉改革』で外国人経営者に対する規制が緩和された結果、ネパール人たちが同じようなインドカレー店を爆発的に増やしていった」という――。(第1回)

※本稿は、室橋裕和『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

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■「ネパール人経営のインドカレー屋」が増えたのはいつからか

「日本にネパール人のカレー屋が増えた時期って、インドのIT産業が急成長したころと重なってるよねってよく話題になってたんです」

岡本有子さん(58)はそう話す。やはりネパール人と結婚し、レストランを開いたひとりだ。町田市にあった「天空の舞」で、当時は珍しかった純然たるネパール料理を提供して話題になったそうだ。

「家庭料理を中心に、シェルパ族の料理やキネマ(ネパール風の納豆)などもつくっていました。自家製のグンドゥルック(発酵させた青菜を乾燥させたもの)を出したのもうちが初めてでした」

それにネパール舞踊のライブを開くなど、ネパール文化の発信地でもあった。店は2001年にオープンしたが、90年代に比べると少しずつまわりに「ネパール人経営のインド料理店」が目立つようになってきたことを感じていたのだとか。

「東京界隈にずいぶん多くなってきたころだと思います」

そしてインドのIT企業が日本に進出し、インド人IT技術者が存在感を見せるようになるにつれて、ネパール人のカレー屋あるいはコックがどんどん数を増していったような印象があるという。インドでは経済成長が進み、海外で働くにしてもコックのほかに仕事を選べる時代になってきた。ちなみに江戸川区・西葛西(にしかさい)がインド人集住地となっていったのもこの時期だ。

かの「2000年問題(西暦2000年を迎えた瞬間にコンピュータが誤作動を起こすのではないかと社会問題になった)」対処のために呼ばれたインド人IT技術者たちが官公庁や大手企業への通勤に便利な地下鉄東西線の西葛西駅近辺に住みはじめたのが理由のひとつといわれる。日本で働くインド人は、コックや経営者だけでなくIT技術者の時代にもなってきたのだ。

■「小泉改革」が“インネパ”の増加に影響した?

しかしインド料理のコックの需要はあるわけで、そこにネパール人コックがうまく入り込んでいったのではなかったかと岡本さんは思い返す。

それまでもネパール人コックはインド料理レストランの戦力ではあったのだが、その数がさらに増えていった。そして2000年代前半のことだ。「インネパ」界にとって大きな出来事が起こる。杉並区・方南町(ほうなんちょう)などでインドカレー店「家帝」(イエティと読む)、新大久保でネパール料理&食材店「ベトガト」を営むカドゥカ・ダディワルさん(57)が言う。

「小泉改革ですよ」

大久保駅そばにあるカドゥカさんの事務所で、僕は耳を疑った。小泉改革といえば「聖域なき構造改革」とも呼ばれ、かの小泉純一郎首相(当時)が行ったさまざまな経済政策だ。郵政民営化が大きな話題になったことは覚えている。それがなぜ、ネパール人に影響するのだろうか。

「規制が緩和されて、外国人でも会社がつくりやすくなったんです」

詳しくは後述するが、外国人だって独立して自前の店を持とうとした場合は会社が必要になる。そして会社を設立すれば「経営・管理」(当時は「投資・経営」)という在留資格が取得できる。だがこのための条件が、90年代は厳しかった。

規制緩和で小規模ビジネスのハードルが下がった

日本人を雇用することなど、外国人にとってはハードルが高かった。だからこそ従来は、パートナーの日本人が簡単に会社をつくれる国際結婚カップルか、資本に余裕のあるインド人が、インド料理界のメインストリームだったのかもしれない。それが小泉改革で変わった。カドゥカさんは言う。

「2002年ごろかな。外国人は『500万円以上の出資』があれば会社をつくれるようになったんです」

外国人でも小規模なビジネスの経営者になりやすくなったのだ。この制度をうまく活用したのが、ネパール人コックたちだった。500万円はもちろん大金だが、インド人や日本人の店で地道に働くうちにそれなりの貯えができたネパール人たちの間で会社を設立して「投資・経営」の在留資格を取得、独立起業する動きが広がっていく。コックの在留資格「技能」だけでなく、日本に住み、働くための「名目」が、いわばもうひとつ出現したのだ。

雇われのコックではなく自前の城を持ち、もっと稼ぎたいと思うネパール人たちがこれに飛びついた。この「小泉改革説」は、ほかにも何人かのネパール人から聞いた。

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■諸外国に合わせて「500万円以上の投資」という基準に

それを裏付けるべく知人の行政書士に官庁のデータベースを深堀りしてもらったところ、内閣府のとある資料が見つかった。

1982年に設立された、OTO(市場開放問題苦情処理体制)という窓口だ。その役割としては「輸入手続等を含む市場開放問題及び輸入の円滑化に関する具体的苦情を内外の企業等から受け付け(中略)改善措置を取ったり、誤解を解消し、日本の市場アクセスの改善を行うことを任務とする」とある。その頃、さかんに叫ばれた市場開放政策のひとつらしい。

保護貿易から転換し、外国に対しても自国の市場をオープンにしていくというもので、OTOではさまざまな意見を聞き、場合によっては法律などを是正していった。で、2000年に駐日韓国大使館からの提言を受ける形で、日本の「上陸審査基準」なるものが見直された。

それまで外国人が日本で法人をつくって「投資・経営」ビザを取得するには「2人以上の常勤職員」(日本に住居していて在留資格保持者は除くとあるので、日本人のことだろう)の雇用が必要だったのだが、韓国やアメリカの基準を参考に「500万円以上の投資で良し」と改められたのだ。小泉氏が首相に就任したのは2001年のことなので、だから「小泉改革のおかげ」というのはどうもネパール人たちがそう誤解したということのようだが、「小泉改革」も含めた大きな規制緩和や市場開放の流れの中で決まった制度だということは確かなようだ。

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■親族から資金をかき集め、来日するネパール人が増加

2人の日本人を正社員として雇用するのは外国人にとってかなりたいへんだが、500万円を用意するならなんとかなる……そう考えて起業にトライする外国人の小規模な会社が、21世紀に入ってから増えていったのだ。とくに積極的に動いたのがネパール人だった。

「500万円」はけっこうな額ではあるが、仮に5人でワリカンすれば1人100万円だ。家族親族みんなでかき集め、ネパールにいる人も中東やマレーシアで働いている人も力を合わせて出資した。そして代表者が「投資・経営」の在留資格を取って社長となり、あとは家族の中で調理経験のある者を呼び(インドをはじめ各国の飲食店で働いているネパール人は多い)、「技能」の在留資格を取ってコックとして雇う……。そんな一家がどんどん増えたのだ。

そして新しくやってきたコックも、いずれ「投資・経営」を取って、独立していく。このムーブメントが起きたのは2005年前後のことではないかと多くの在日ネパール人が言う。

またこの時期から、社長やコックだけでなく、それぞれの妻や子供も来日するようになる。「家族滞在」の在留資格によって日本で暮らすことができるからだ。そしてこの「家族滞在」の場合、許可を得れば週に28時間までアルバイトができる。家計の足しにとコンビニや総菜工場やベッドメイキングなどで働くネパール人女性が急増した。

カドゥカさんの説明では、家族を呼びよせるネパール人が増えたのは2008年ごろだという。

「それまでは単身のコックばかりで、寮に住んで働くって形だったんです。でも2008年くらいから家族も呼ぶようになりましたよね」

■「でもネパール人は奥さんも働く。みんなで商売をする」

「家族滞在」の制度は以前からあったのだが、コックの独立開業ブームとともに利用する人が増えていったようだ。「マンダラ」のサキヤさんが言う。

インド人は男性が稼いで女性を養う。でもネパール人は奥さんも、家族で働く。みんなで商売をする。インド人は男ひとりだから、日本でビジネスが広がらなかったんじゃないかな」

サキヤさんのところからは、10人か20人くらいが独立していったという。留学生のアルバイトもいたし、正社員のコックもいたそうだ。「ラージャ」のカトリさんのもとからもおおぜいのコックが独立した。「クマリ」のキランさんは「うちのコックだった人、20人以上は店を持ったかな」と話す。

カドゥカさんは2008年に「家帝」をオープンしたが、最盛期にはなんと29店舗を抱えるまでになっていたという。「ちょっと利益が出ると次々に店を出してね。だからスタッフの教育が行き届かないこともあったよね」なんて反省もあるようだが、これらの系列店からは「50人以上は独立したと思う」と話す。そして、親から巣立った「子」から「孫」が生まれ、さらに店が増えていく。それぞれが家族を呼びよせ、ともにカレー屋を営む。こうして「インネパ」を営むネパール人が日本には爆発的に増えていった。

■そして“コピペ”のごとく急増していった

「500万円出資制度」によってたくさんのコックとその家族がこの国で活路を見出し、故郷に錦を飾れるような成功者を生み出していったが、同時にもうひとつの流れも生み出した。

「家族親族で500万円をひねり出して日本のカレービジネスにトライする」ことが、いつのまにやら「経営・管理ビザを取得したい人間が500万円をネパールにいる出稼ぎ志願者数人に分割・負担させて日本に呼ぶ。一方はカレー屋経営者に、一方は技能ビザを取得してコックとしてカレー屋で働く」という図式に置き換わっていったのだ。つまりは日本側の独立志願者と、ネパール側の出稼ぎ志願者をつなぐブローカーが介在するようになる。

そして大量のカレー屋が生み出される中で、同じような店がコピペのごとく急増していったのは周知の通りだ。80〜90年代はムグライ料理という根をもとにインド人と日本人、そして日本人と組んだネパール人がインド料理の枝葉を広げてきたが、2000年代に入り急増したネパール人経営者は、既存店の模倣をビジネスポリシーとした。彼らを生み出した「親」である古株の商売人たちは、口をそろえて苦笑する。

「みんな、うちの店と同じメニューでやってるみたいだね」

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■ブーム時の主要な層は「あまり教育を受けていない」

「親」の成功を見てきたのだ。それを踏襲したい、家族親族の期待と出資を受けて独立するからには失敗できないという気持ちも強いだろう。だからある程度うまくいっていた前例をそのままコピペして、安心感を得る。

加えて「独立ブーム」の中で2005年以降に日本に来たコックやその家族は「あまり教育を受けていない人が多いんです」と語るネパール人もいる。それゆえか、店の経営にも工夫が見られないという。

かつてはインテリ層や、日本人と結婚していて日本の社会インフラをフル活用できる人々が「第1世代」の中心だった。彼らはカトマンズやポカラといった都市部の出身でしっかり教育も受けており、観光や婚姻を通した日本とのつながりも確固としていて、日本に対する知識もあり、日本への親近感や憧れが来日理由の根底にあった。

しかし「第2世代」からはずいぶんと違ってくる。国外に出稼ぎすることが「主要産業」となってしまっている田舎出身で、教育機会に恵まれなかった人もけっこう交じっている。そんな彼らの中には「親族がいて、稼げるらしいから」という理由だけで日本に来る人も多い。言ってしまえば、日本でなくてもよかったのだ。

ビザが簡単だから、稼げそうだからと日本に来ては、この国の社会制度もよくわからないまま、むやみやたらにコックとその家族が増えていく。そこにやっぱり歪(ゆが)みが出てきてしまう。

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ネパール人を搾取するネパール人も

で、「第1世代」と「第2世代」の格差が、また別のビジネスを生んでいく。

「たとえば、店を持ちたいけれどビザの手続きがわからない人に行政書士を紹介する。経営のことはサッパリという独立志望のコックに税理士を紹介する。そして仲介料を取る。そういうネパール人も出てきたんです」

こう話すのはネパール人Bさんだ。日本での暮らしのほうがネパールよりもずっと長いという人で、カレー屋も持っているが、ほかにもインド料理関連の食材の卸や、在住外国人向けのSIMカード販売なども手がけている。その傍らで、開業したいネパール人と、そのための諸手続きを担う日本人の専門家とを結ぶ仕事もしているという実にマルチな人なのだ。

「ほかにも、店舗を借りて内装を仕上げて、独立したい人に引き渡すなんてビジネスをやってる人もいますよ。メニュー表をつくったり、有線の契約までしてあげてね。どこそこのラーメン屋がつぶれて空いたぞ、なんて話を聞くとすぐに行って大家と交渉して、居抜きで借りてくる(笑)」

それに「家族滞在」で呼んだ妻のアルバイト先をあっせんする人もいるそうだ。もちろんマージンをもらい、派遣会社にカレー屋やコックの妻を紹介する。ついでに言うと、コロナ禍のときは各自治体や国の飲食業に対する支援金や貸しつけの手続きをあっせん、代行した人々もいたという。

■“勝ち組”ネパール人の怖い本音

こうした仕事はBさんのように日本暮らしが長く、日本語が堪能で、日本人とのつながりも深く広いネパール人が担ってきたようだ。

ずっと厨房で働いていて日本語がそこまでわからないコックや、彼らにネパールでもさらに田舎から日本に呼ばれたばかりの家族たちは、Bさんたち古参に頼り、開業していく。「第1世代」の中に仲介業に特化した人々がいたために、「インネパ」はさらに増えていった……。

室橋裕和『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』(集英社新書)

Bさんの話を聞きながら、僕は唸った。これぞまさしく先行利益、いつの世もシステムをつくる者が勝つのである。まさに時代の波を読み、うまく乗った仲介業の人々の中には、相当な財を成した方もいるらしい。

だがそんな「勝ち組」と話していると、同じネパール人を飯のタネにする、利用することへのやましさをあまり感じていない様子であることも気になった。後進のために道を拓らくという気概よりも、徹底してビジネスなのである。

「あの人たちは教育を受けてないからね、あまり能力ないの。だから私たちが儲かる」と、悪気もない様子で後続の同胞のことを語るBさんの笑顔に、出稼ぎ国家の怖さを見た気がした。

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室橋 裕和(むろはし・ひろかず)
ジャーナリスト
1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発の日本語情報誌に在籍し、10年にわたりタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のジャーナリストとして活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。現在は日本最大の多国籍タウン、新大久保に在住。外国人コミュニティと密接に関わり合いながら取材活動を続けている。おもな著書は『北関東の異界 エスニック国道354号線 絶品メシとリアル日本』(新潮社)、『ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く』(角川文庫)、『日本の異国 在日外国人の知られざる日常』(晶文社)、『ルポ コロナ禍の移民たち』(明石書店)、『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』(集英社新書)などがある。
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(ジャーナリスト 室橋 裕和)