かつては質に対する信頼感は高いが、「コンサバ」「ハードルが高い」というイメージがあったミキモトだが、近年は男性や若者層などこれまでミキモトを手にしてこなかった客層の開拓が進んでいる(撮影:尾形 文繁)

企業を取り巻く環境が激変する中、経営の大きなよりどころとなるのが、その企業の個性や独自性といった、いわゆる「らしさ」です。ただ、その企業の「らしさ」は感覚的に養われていることが多く、実は社員でも言葉にして説明するのが難しいケースがあります。

いったい「らしさ」とは何なのか、それをどうやって担保しているのか。ブランドビジネスに精通するジャーナリストの川島蓉子さんが迫る連載の第17回は、ミキモトを取り上げます。

数年でイメージがガラリと変わった

ミキモトと言えば真珠――日本に限らず世界から、パールのジュエリーの最高峰ブランドとして仰ぎ見られている存在だ。銀座の中央通りに面した本店は、大きなウィンドーに、モダンで品格を備えたジュエリーが飾られ、街行く人の憧れを誘っている。

数年前まで私がミキモトに抱いていたイメージは、「永遠の変わらないブランド」であり、開拓や挑戦といったイメージは薄かった。加えて「高級で買えるものがなさそう」「コンサバでハードルが高い」という思いもあり、足を踏み入れるのにためらいがあった。

それが、ここ数年でずいぶんとイメージが変わってきた。時代性を盛り込んだモダンなジュエリーが、魅力的なプロモーションとともに打ち出されているのだ。業績も好調で、2024年8月期は過去最高の売り上げをはじき出している。

この変化の裏側には、どういった動きがあるのか。社長を務める中西伸一さんの話を聞きにいった。場所は銀座本店の上階にある個室。上得意のために設えてある場だという。少し緊張して席についたのだが、中西さんのやわらかい笑顔と、軽やかな話ぶりに救われた。

「きっかけになったのは、2019年に『コム デ ギャルソン』の川久保玲さんから声をかけていただいたことでした」と中西さん。コレクションショーにネックレスを使わせてほしいという依頼があった。

そしてランウェイで、男性がパールネックレスを着用するスタイルを披露し、大きな話題を呼んだのである。そこから話がさらに進み、コラボレーションしたジュエリーを創ることになったという。

最初に発表したのは、真珠にシルバーチェーンを合わせたネックレスで、業界内外からその斬新さが注目を集めた。「お客様をはじめ、取引先から『ミキモトさんがこういうことをやってくれるのを待っていた』と言われました」(中西さん)。

ミキモトが前に向かって挑戦している、時代を拓いている、そういうイメージを醸成することができたという。以来、3年以上にわたって両者のコラボレーションは続いている。ブランドのコラボというと、意外性や新奇性を狙った短期的なものが大半を占めるが、これはそうではない。互いのブランドの強みを尊重しながら、フラットなかかわりを築き、ともに進んできたという。

コラボの収穫は「新たな価値観」を提供できたこと

コラボレーションの成果として何より大きかったのは、流行の先端をいく商品という一過性の提案ではなく、ジェンダーレスでパールのネックレスを身に着けるという価値観そのものを提案できたこと。それによって、ブランドイメージは確実に高まった。

この時期はちょうどコロナ禍と重なっていた。身に着けて自己表現する、人が集う場で華やかに輝くのがジュエリーの本来的な価値の1つ。コロナ禍はそこをそっくり奪ってしまった。

「厳しい状況が続きましたが、一番悪い時でも年間で一定の売り上げがあったのです。支えてくれるお客様のためにもがんばらねばと、前に進む気持ちになれました」(中西さん)。コロナ禍が1つのバネになり、新しいことにチャレンジできた。厳しい時期に、いや、だからこそ未来に向けた投資を行ったことが、今にいたる道を築いたのだ。


コム デ ギャルソンとのコラボによって会社に変化が表れたと語る中西社長(撮影:尾形 文繁)

昨年11月3日、「ラッキー アローズ」という新商品が発表された。謳われているのは「幸運のシンボルである“矢”をモチーフにしたジュエリーコレクション」。矢を放射状にあしらい、マザーオブパール(真珠の母貝)とダイヤモンドを散りばめてある円形のモチーフが、ペンダントやブレスレット、ピアスなどでデザインされている。


昨年11月に発売した「ラッキー アローズ」(撮影:尾形 文繁)

「弊社には1937年のパリ万博の時、大きな“矢車”をかたどったジュエリーを創って出品した歴史があり、以来、アイコンになっているもので、それをモダンに昇華させたのです」(中西さん)。長く愛され、使い続けられるロングセラーとして、これからのミキモトの顔となる存在にしていきたい。それくらいの思いを込めて世に送り出したという。

イメージビジュアルも斬新で、人種や性別、年代の異なる4人のモデルが「ラッキー アローズ」を身に着けている。表情や身体の動きと呼応して「ラッキー アローズ」が煌めき、それぞれの人としての個を引き立たせている。モノクロの画像に、ピンクのロゴのコントラストがチャーミングな印象を与えている。発表以来、着実な手応えを感じているという。

「変えてはいけないこと」と「変えていくこと」

老舗ブランドがトップとして輝き続けるには、伝統に裏打ちされたフィロソフィーを貫きながら、時代に先駆けた活動をしていくこと――いわば「変えてはいけないこと」と「変えていくこと」の双方のバランスを取りながら実践することが求められる。

この難しい課題について聞いたところ、「変えてはいけないことは、ブランドが持っているヒストリーと、業界のオピニオンリーダーであるというポジションです」と明快な答えが返ってきた。

ミキモトは、1893年に世界で初めて真珠の養殖に成功し、今年で131年を迎える老舗ブランド。創業者である御木本幸吉氏は、「世界中の女性を真珠で飾りたい」という夢を描き、ミキモトを立ち上げた。

当時、天然真珠は1000個の貝の中に1個あるかないかという大変希少な存在だったものを、養殖によって生み出すことはできないかと試行錯誤を繰り返し、世界で初めて実現したのである。


(撮影:尾形 文繁)

一方、開国によって欧米文化が流入してはいたものの、ジュエリーは庶民にとって、まだ遠い存在だった。そんな中、御木本氏はヨーロッパのジュエリー文化を日本に導入しようと、職人をヨーロッパに送り出し、ジュエリーのデザインや技術を徹底して学ばせたのである。「これは大きな産業になるという先見性を持っていたのです」(中西さん)。

そして、ヨーロッパのジュエリー文化を日本に紹介しながら、日本独自の技と創造性をのせた「ミキモトスタイル」とも言えるものを確立した。世界から認められるトップブランドとして、確固たる地位を築いたのである。こういったヒストリーについて、中西さん自身が折に触れて話すようにしているという。


(撮影:尾形 文繁)

もう1つの「変えてはいけないもの」は、業界のオピニオンリーダーであるというポジショニングだ。「看板があるという最大の強みが、そこで止まったり、安心してしまうことで、最大の弱みに変わってしまうと戒めています」。

だからこそ、世界で初めての挑戦について、ここには未来があるという確信を抱いて挑んでいく。フロンティアであり、イノベーターであるという精神を忘れてはならないという。

新たな発想を持つにはセンスを磨くことが肝要

一方、「変えていくこと」については、あくことなき挑戦への姿勢と言える。「ここ数年で、社員が挑戦を恐れなくなり、恐れず前に進むようになってきたのは嬉しい変化です」(中西さん)。

コラボレーションが1つの契機になって、社内の空気ががらりと変わってきた。このエネルギーを風土として根づかせていくことが大事と中西さんはとらえている。

「未来に向けた発想を持つには、個人としてのセンスや感度は欠かせない要素。若い人たちにも、新鮮な視点を持ってどんどん活躍していってほしいと考えています」と中西さん。「経営も勘や感は大事な要素のひとつですが、社員にもそこは強く意識してほしいと思っています」。

一連の話を聞いていて、日本が世界に誇れるラグジュアリーブランドの先には、明るい道が拓けていると感じた。


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(川島 蓉子 : ジャーナリスト)