日本では6割の夫婦が陥るといわれるセックスレス。「私は妻ではなく、お母さんになっちゃったんです」と振り返るのは幸恵さん(仮名・49歳)です。育休中も資格取得の勉強に励み、その後も家計のために働きまくっていた幸恵さんですが、30代に入るとガクンと体調が悪くなってしまったそう。常に妻に頼りっぱなしの夫は改心するのでしょうか?

「僕は変われない」妻の激務とワンオペを放置する夫

学生時代からつき合っていた夫と10年の交際の末に結婚し、子宝にも恵まれた幸恵さん。バリバリ仕事のキャリアも積んで、とても充実していそうに見えますが、じつは妊娠中から夫とのすれ違いが続いていたといいます。

「私は夫にもう少しがんばってほしかったんです。子どもも生まれたし、正直、夫の給料だけじゃとてもやっていけない。じゃあどうする? っていう話をしたときに『私はこういう資格をとろうと思う』って話をしても『いいねぇ、がんばってね』で終わり」と振り返る幸恵さん。

「それでついに『私はがんばるよ。あなたは? 一家の主として、あなたはどうなの?』って話を向けたんです。そしたらあからさまに嫌な顔をしながら『キミはがんばって、どんどんお金に換えていける才能がある。僕は無理だよ。変われない』って言うんです。あんなにゲームばかりする時間はあるのに。2人目とか無理だな、この人とはやっていけないな。そう確信したのもこの頃でした」

30代後半になって体の無理がきかなくなってきた

仕事と家事、そして育児をするなかで、あいている時間には常に資格試験の勉強に励む幸恵さん。でも若いころとは違い、35歳を過ぎたころから無理がきかなくなり、徐々に不調をきたすようになってしまいました。

「20代の頃と同じペースでガツガツがんばったのがよくなかったのかもしれません。疲れが取れにくいなっていう体のSOSに自分で気がつけなかったのかも…」と幸恵さん。なんとある日、職場で呼吸困難に。救急搬送される事態になってしまいました。

妻が救急搬送されても夫は変われなかった…

「正式な診断は結局つかなかったんですが、一過性の狭心症と言われました。倒れた場所が会社だったから、すぐに産業医が来てくれて『これはまずい』って救急車を呼んでくださって、人事の人が救急車に乗ってくれたんです。上司が救急車の後ろを社有車で追いかけてきて、病院に来てからもつき添ってくれて。そんなことになったら、夫の立場なら普通、言動とか行動って少しは変わるじゃないですか。夫は違った。全然変わらなかったんです」

自宅で一報を受けて、てきぱきと幸恵さんの入院の支度をしたのはまだ小学校にあがったばかりだった娘さんでした。夫はそんな状況のときですら、役に立たず。呆れを通り越して悲しみが沸いてきたといいます。

「気持ちは優しい人なんでしょうけれど、わかりやすくいうと、なにもしない、気がつかない。このとき夫に初めて『平穏無事な日常ではいいけれど、緊急時になにもできないのは、受け入れられなくなる日がくるかもしれない』って離婚を匂わせました」と幸恵さん。
けれど、この言葉すら夫には刺さらず。幸恵さんの体調は悪化の一途を辿っていきました。

夜になると38℃の熱。働き続けても夫は助けてくれず

退院後も、幸恵さんは時短勤務にするどころか、休むことなく働き続けました。

「正直、自分でこの生活スタイルを崩したら体がもたないなっていうのは感じていました。夫に『休んだら』って言ってもらっていたら休みたかった。けれど、現実は見て見ぬふり。家計に入れるお金が減ってしまうことの重大さを本人がいちばんわかっていたんだと思います。私の体を心配してくれることは一切ありませんでした」

そんな幸恵さん、今度は夜になると38℃の熱が出て、リンパが腫れる症状が数週間続きました。

「昼間は治まっているんです。薬を飲みながら、会社へ行って、夜リビングに倒れこんでいることを夫はわかっているのに家事や育児を代わってくれたりはしない。『大丈夫?』って一応聞いてくるから『しんどい』っていっても『そっか』っていってゲームを始める。産後のときと一緒ですよね。私は嫌なことは忘れていくタイプだけれど、さすがにこのときはつらくて当時を思い出し、もうレスをどうとかいうレベルの話は終わってしまった感じです」

その後、幸恵さんはリンパ節の病気であることが判明しました。

「これが現実」転機になった夫の単身赴任

このような生活が続いたある日、突如として夫が転勤を言い渡されて単身赴任することに。幸恵さんと娘は名古屋の自宅、夫は都内で単身赴任生活をすることになりました。

心の距離だけではなく、物理的な体の距離まで離れた二人。そして単身赴任先では案の定、夫はうまくやっていけず…。幸恵さんの苦労についてはまた次回。