年齢を重ねても、新しいことに果敢に挑戦していく。いつまでもそんな人生を過ごしたいものです。今回編集部が注目したのは上林恵子さん。57歳でパーソナルスタイリストへの道を歩み出しました。「何かを始めたい」と思っている人は、ぜひ参考に。

家族のために、周囲のために走り続けた仕事人生

「人とのご縁にはとても恵まれていると思います」と華やかな笑顔でご自身についてのことや仕事のことを語る上林さんですが、ここまでの道のりは決して平坦ではなく、さまざまな経験をしてきたと言います。

「服飾専門学校を卒業後、デザイナー兼パタンナーとしてアパレルメーカーに入社。結婚を機に退職しましたが、出産・子育て中もマーケティングリサーチやブランドの立ち上げ事業に関わるなど、服飾関係分野のキャリアは重ねていました」(上林恵子さん・以下同)

アパレルメーカー退職後の数年間は、ほぼ専業主婦として家事と育児をメインに奔走していましたが、会社員を辞め起業したばかりの夫を金銭面からもサポートするため職探しを開始することになったそう。

「夫が起業することになり、『ちょっとおかず稼ぎに行ってきてくれない?』とお願いされたので、すぐに働かせてもらえる会社を手当たり次第探しました。

その後、夫の会社とも繋がりがあった不動産関係の会社が発行している住宅情報誌のライターとして再就職。手腕が認められ、ほどなく校正チームメンバーとして選出されました。スポット的な記事制作だけでなく、誌面に深く関わるようになりましたが、あるときジュエリー会社からお誘いを受けたことをきっかけに再度ファッション業界へと舞い戻ることになりました。

ライターの職を辞し、販売促進企画室の一員としてジュエリーショーやVIP顧客のパーティー企画、ジュエリーデザインなどにも携わりました」

順調にさまざまな仕事をしてきた上林さん。思いがけないことも起きます。

趣味が高じてステンドグラス作家の道へ。しかし、その矢先に病が発覚

「ただ、このころは仕事ばかりの人生で全く息抜きができていないことに気づいたんです。なにか趣味を見つけたいと思い、出合ったのがステンドグラスでした。ポップなステンドグラスの雰囲気と世界観にほれ込み、すぐ教室に通い出しました」

通っていた教室の先生から『自分で教室を開いたら?』と提案されるまでにステンドグラスをつくることを極めた上林さんは、ジュエリー会社の仕事を退職し、自宅付近でステンドグラスのスクールを開業します。

「個展を開催した際にギャラリストからスカウトを受けたことをきっかけに、40歳でアートステンド作家として本格的に活動を開始しました。ありがたいことに、上海アートフェアやパリ・ジュネーブの展示会に参加することができました。

ただ、約40年もの間ずっと働き詰めだったこともあり、一度このあたりで仕事をセミリタイアして少しゆっくりと生活を楽しめたらいいなと思っていた矢先、がんが発覚したんです」

病を通じて考えた本当にやりたかったこと。新たな職業との出合い

闘病生活を送る中で、“これからのこと”について改めて考えを巡らせた上林さん。

「自分の身ひとつでできることはないだろうかと考えたとき、パーソナルスタイリストという職業が思い浮かびました。もともとファッションが大好きだったことが、最大の決め手となりました」

「この先また仕事を始めるなら、在庫を抱えたり、家賃など長期での契約が必要となるものはリスクが大きい。ちょうど自分の体型の変化や年齢による変化が気になっていて、またスクールでは多くの生徒さんたちも同じような悩みを抱えていたことを思い出し、身ひとつでできるパーソナルスタイリストを目指すことにしました」

なにかを始めるのに、“時期が遅すぎる”ことはない

「長年ファッション業界に身を置いていたことでスタイリストとしての知識もある程度もち合わせていたため、新たに勉強が必要なのはパーソナルスタイリストとしてのノウハウを学ぶことだけでした。

私が若いころはまだパーソナルスタイリストという職業がなかったこともあり、それほどなじみもなかったので、まずは養成所に通うことから始めました」

60代の上林さん。時間は有限である中で、今を、未来を、どう描くか? 人生の第二幕では、妻、母、祖母といった自分に課せられた役割ではなく、“あくまでも自分軸で”物事を考えるようにしました。そこには、好きなことをとことん突き詰めて、楽しみながら生きていくのだという前向きな強さがありました。