「常識」だと思い込んでいる子育て知識は、じつは医学的・発達科学的にみれば正しくないことが多い――。そう語るのは、『「発達障害」と間違われる子どもたち』などのベストセラーで知られる、小児科医・「子育て科学アクシス」代表の成田奈緒子先生です。

ここでは成田先生の新刊『誤解だらけの子育て』(扶桑社刊)から、「ほめる子育て」の弊害について紹介します。

小児科医が「ほめる子育て」をすすめない理由

子ども時代には、自己肯定感を高めることが大事。そのためには、親がどんなささいなことでもほめてやるのがよい。そんな「ほめる子育て」は、今や日本の親御さんの間ですっかり市民権を得ています。

日本で「ほめる子育て」が流行し始めたのは、1990年代頃からだと言われています。バブルが崩壊し、社会全体がネガティブなムードに包まれるなか、さまざまな国際調査で、日本の子どもたちの自己肯定感が世界的に見て低いことが問題視されるようになりなりました。そこで欧米の親たちが子どもに行っているような「ほめる子育て」を取り入れよう、という動きが起こったのです。

●ほめ言葉は子どもを縛る“呪い”になる

以来、さまざまな「ほめる育児メソッド」が、書店にもネットにもあふれていますが、子育て科学アクシスでは、基本的に親が子どもをほめることを推奨していません。なぜなら、ほめ言葉は“子どもを縛る呪い”にもなるからです。「〇〇ならばよい」「〇〇だと悪い」という、評価の基準をつくってしまいます。

たとえば、よかれと思って言いがちな「いい子にしてくれて助かる」という声かけ。これは不安が強めの性格傾向を持つ子どもにとっては、「親の前では常にいい子でいなくてはならない」というプレッシャーになってしまいます。

また、学校のテストの結果を見て「90点を取ってえらいね」と点数を基準にほめてしまうのもNGです。「90点以上を取らないとほめられないのではないか」と子ども側にも基準ができ、余計に不安を感じてしまう子もいます。

逆に70点しか取れなかったことを、「70点も取れたのね。がんばったじゃない」などと無理にほめることも、「子どもはほめねばならない」信仰に囚われた、誤った関わり方です。

いずれにしても、「ほめる子育てこそが理想である」というのは誤解です。子どもは常にほめなければいけないわけではなく、ただ認めるだけでいいのです。ただし、「家庭の軸」を守らなかった場合は、容赦なく叱るべきだと私は考えています。

●これだけは譲れないという「家庭の軸」を立てる

では「家庭の軸」とはなんでしょう。私たち子育て科学アクシスでは、親がしっかり考えて「これだけは普遍的に絶対に譲れない」軸を2、3本だけ立てて、家庭生活を行ってくださいと言っています。

そうなると、多くの場合「生きるか死ぬか」に関することに絞られていくはずです。「死んではいけないし、死なせてはいけない」というのは最たるものでしょう。

たとえば「ゲームを長時間やらない」というのは別に「家庭の軸」に抵触しないので叱る必要はありませんが、夜9時の就寝時刻を過ぎてもゲームをやるのは「命を削る行為」として絶対に許されないので、見つけたときには真剣に叱ります。

ただし、このときに「ゲームなんかして」とは言いません。ただただ「うちの家では9時就寝“だけ”が大切である」と伝えるのみです。

かたや、子どもがどんなに部屋を片づけなくても、テストで繰り返し赤点を取ってきても、家族の命も本人の命も脅かされないので、叱る必要はないということになります。

ただ、もしも家族共用の廊下にリコーダーを放りっぱなしにしていたら「お母さんが急いで廊下を走ったときに、間違ってリコーダーを踏んで転んで頭打って死んだら大変」なので「共用の部分には危険な散らかしはしない」と叱ります。

「家庭の軸」を脅かすこと以外は叱らない、どんなに部屋を散らかしていても、学校のテストで悪い点を取っても口を出さないなんて、耐えられそうにないと思われるかもしれません。そんなときには「ただ認める」ことが有効です。

「こんなに散らかして、よく平気だね」「よくもまあ、これだけ間違えたね」など、子どものありのままを認める言葉がけをすれば十分なのです。

できていないことについて叱られるのではなく、ありのままの自分を認めてもらうことこそが、「親だけは、私のことをちゃんと理解してくれている」と、不安定な思春期の「心のよりどころ」になっていきます。