“Twitter”上にツリー形式の東京物語を連投し、現代人の抱える葛藤を巧みに描く麻布競馬場。

“タワマン文学”という新しいトレンドを生み出した彼による、東京カレンダーのエリア特集と連動した「街エッセイ」もついに最終回!

進化を続ける港区で彼が最近足繁く通うお店、そしてこの街に対する思いを語ってもらった。

【これまでの街エッセイはこちら!】
vol.01 「東麻布は麻布十番じゃない」と言う女。
vol.02 港区おじさんと、22時の麻婆豆腐。
vol.03 選ばなかった人生と、恵比寿のカスエラ。


vol.04 僕だけの『キャンティ物語』を探して。



『キャンティ物語』(野地秩嘉著・幻冬舎文庫)という本がある。

その名のとおり、飯倉の老舗イタリア料理店『キャンティ』のオーナーである川添浩史・梶子夫妻と、彼らのお店に集ったスターや文化人たちが過ごした長くて短い、そして痛々しいほどに美しくて儚い十数年がそこに描かれている。

さまざまなフィールドで時代を彩った若き才能たちを、あるいはブイヤベースに燗酒を合わせたがるような厄介な食通たちを、「パパ」「タンタン」と呼ばれた川添夫妻は愛おしく見守り、手厚く庇護し、時には悪戯っぽく笑いながらちょっかいを出す。

そこで過ごした日々は、彼ら全員にとって生涯忘れ得ぬものになったに違いない。

数年前、その『キャンティ』を初めて訪問する機会があった。薄暗く落ち着いた雰囲気の地下一階。赤と白のチェックのクロス。前菜を恭しく運んでくるワゴン……。

印象に残るものはたくさんあったが、その中でも僕が特に覚えているものがふたつ。

まずひとつ目は、開店当時からレシピを変えていないという、大葉とパセリをふんだんに用いた名物「スパゲッティ バジリコ」。

それからふたつ目は、隣のテーブルにいた3人組のお客さんたち。

ダークカラーのスーツをきちんと着込んだ40代中盤くらいの男性たちは、席につくなりジャケットを脱ぎ、ネクタイをほどき、「さぁ〜食うぞ食うぞ!」と宣言したかと思うと、いかにも手慣れた様子で旨そうなメニューやボトルワインを次々と頼んだ。

耳に入ってくる会話を聞くに、どうもこのあたりの会社の経営者仲間らしい。

普段は肩肘張って生きているであろう人たちが、求められる品性の水準をきちんと維持しつつも、しかし随分寛いだ様子で好き勝手飲み食いしている――

それは、僕があの本を読んで想像した、あの頃の『キャンティ』の光景そのものだった。

その途端、会ったことのない誰かの遠い思い出の中にしか存在しなかったはずの『キャンティ物語』は、突如として実体を獲得した。

つまり――僕も彼らみたいになりたいと、図々しくも憧れてしまったのだ。

ところで最近、よく行く店がある。白金高輪と恵比寿と広尾を結んだ三角形の中心、恵比寿三丁目交差点あたりの『kermistokyo』。

通称“ケルミス”は、近所のワインバーの店主が「あそこ旨いですよ」と教えてくれて、今年の初夏から定期的に伺うようになったお店だ。

シェフのノブさんとサービスのゆうこさん夫婦は、どんな新顔だろうが常連だろうが、誰だって優しく受け入れ、丁寧に接してくれる。




エリア的に「どこのお店」と気軽に説明しづらい場所にある“ケルミス”は、その上お店のジャンルまで説明しづらい。

メニューには素材が列挙されているだけで、コース仕立てで次々と出してくれるそれぞれの料理の仰々しい正式名称をノブさんが教えてくれたことは一度もなかった気がするが、シグネチャーメニューである「ビーツのステーキ」をはじめとして、何を食っても旨いからそんな些細なことは気にならない。

お酒のペアリングも、ワインから日本酒まで自由に用いながらも毎回ピタリと当ててくる。つまり、レストランとしての地力が大変に高いのだ。

その上、“ケルミス”はとっても自由で楽しいお店だ。

「世界で一番旨い肉料理は焼肉」と信じるシェフは、質のいい赤身肉に焼肉のタレを想起させるような親しみやすい、それでいて凛とした気品のある自家製の甘いソースを合わせたりする。

営業形態もずいぶん変わっていて、全国各地、時には海外からシェフたちが訪れ、月のうち何日かはポップアップ営業をやっているし、普段の営業日もコース提供が終わった21時以降は「バー営業」ということで、〆の焼きそばやナポリタンを頼むことができたりもする。

バー営業の間、ポップアップで来ていたシェフとノブさんが即興でコラボしてメニューにないものを作って食べさせてくれることもある。

同じ席に座っているのに、まるで毎日違ったお店にいるような不思議な気分になる。


“ケルミス”に集う人々は、「客としての粋な振る舞い」を持っている


そんな自由な空気に引き寄せられてか、“ケルミス”のお客さんは旨いもの好きの自由な人たちが多い。

カウンターに並んだ彼らは、美味しい料理をニコニコと嗜み、気前よくボトルワインを注文する。それを隣近所に振る舞ったりしているうちに、自然と会話が始まることもある。

料理がひと段落すると、カウンターの後ろあたりを野良犬みたいにフラフラと歩く癖のあるノブさんがそこに混ざったり混ざらなかったりするし、ゆうこさんがそれを見て苦笑したり苦笑しなかったりする。

深酔いして騒ぐ人も、初対面の相手に不用意な深入りをする人もいない。

僕も含め、常連客たちはこのあたりに住んでいる人が多いようだが、もし僕たちが昼間の白金商店街や深夜の西麻布交差点ですれ違うことがあったとしても、お互いわけ知り顔で小さく会釈して通り過ぎることだろう。

2023年現在の港区における「客としての粋な振る舞い」みたいなものを、“ケルミス”に集う人々はみんな暗黙のうちに共有しているようだし、それに対して敬意を持っているように見える。

少なくとも僕はそうだ。好きなお店にとって好ましい客でありたいに決まっている。財布が許す限り気前良くいたいし、よく整えられた光景の一部でありたい。

僕たちがお店に対してできることは、せいぜいそれくらいなのだから。

ここ3年ほどの間に、僕が通っていたお店もいくつか姿を消してしまった。「最近の港区は高齢化がひどい」と、僕の知人のとある港区女子は指摘した。

彼女によると、広尾や麻布十番あたりのお店が閉まったかと思うと、お金をだぶだぶに余らせた高級店が空きテナントを抑え、客単価数万円の会員制や紹介制のお店にしてしまう。

そうなると、客層はお金に余裕のあるおじさんに偏っていくという仕組みだそうだ。

確かに、僕の周りの人たちを思い出しても、以前から港区で遊んでいた「港区男子」はそのまま港区で大人というか「港区おじさん」に進化し、インスタに「#会員制」「#紹介制」みたいなギンギンのハッシュタグをつけた彩度ギンギンの写真を相変わらず投稿している一方、最近の若者によく行くお店を聞くと「学芸大学」「幡ヶ谷」「三軒茶屋」みたいな答えが返ってくるし、彼らは遊ぶ場所だけではなく住む場所としてもそのあたりを選ぶことが多いようだ。

僕自身も、いつまで港区に住み、港区で遊ぶだろうか?と自問してしまう日がある。

僕の先輩のとある港区おじさんは、港区での日々を「同じコースを永遠にグルグル回る」と評した。

頑張って働く。お金が増えたら行ける場所や住める場所が増える。そこでお金を使いつつ、新しい人と知り合ったり新しい仕事のチャンスを得たりする。そうしてまた頑張って働く。それでお金が増えたら……と、規模こそ大きくなっているが、港区で僕たちは永遠に同じことをやっているだけなんじゃないか、と彼はある日気付き、とてつもない虚無感に襲われたのだそうだ。

もしかしたらそれこそが人生の本質であり、僕たちはどこまで行ってもそこから逃れられないのかもしれない。

現に、僕は他に行くべきところを思い付かない。それは人生の幸せについて考えることを怠っているせいかもしれないし、それよりもむしろ――

いつまで続くとも分からないそんな虚無を、僕はむしろ積極的に楽しんでいるせいかもしれない。


いつの日か、僕は“彼ら”のようになれるだろうか?


永遠に続くものはこの世に存在しない。

どんな繁盛店でも何かの事情で閉じなければならないこともあるし、お客さんだって、経済的な理由や健康上の理由で二度とそのお店に通えなくなることもある。

だから、“ケルミス”みたいなお店を見つけて、そこに通えているという事実は、もしかするとちょっとした奇跡なのかもしれないと、僕は最近たまに考える。

いい店がある。それを見つける。そこに通える余裕があって、そこでたらふく飲み食いできる体がある。そこに誘える気楽な友人や愛しいパートナーがいる。

それらがすべてそろってこそ、東京カレンダーの港区特集号のページの上に踊る艶やかなシーンが実現するのだ。

いつの日か、僕は彼らのようになれるだろうか?

彼らというのは、あの日キャンティにいた3人組のことで、『キャンティ物語』に描かれた日々のことをこの目で見たわけではない僕にとって、彼らこそが僕にとっての“キャンティ”そのものだった。

そういえば、今月末に仲良しの港区おじさんふたりを連れて、“ケルミス”に行く用事がある。

そういえば、“ケルミス”のコースには時折、全粒粉の細うどんに大葉ベースのジェノベーゼソースを合わせたものが出てくる。




気心の知れたおじさんが3人カウンターに並んで、序盤くらいは仕事の相談なんかも真面目にやって、そのあとは最近あった馬鹿馬鹿しい笑い話を交換しながら「旨い旨い」と言いながらうどんを啜れば、それは僕にとっての『キャンティ物語』になるかもしれない。

残念ながら、僕はこの港区においてまだ何物でもない。

若き才能と呼ばれるには成果は足りないし、そもそも若さもかなり失ってしまった。厄介なほどの美食哲学を積み上げるための道も、まだまだ長く険しいに違いない。

僕が『キャンティ物語』の登場人物を名乗るには生意気が過ぎるだろう。

でも、それでも僕はこの街の好ましいお店で、好ましい人たちと過ごすこの時間を、誰に何を言われようが、泣きたくなるくらいに愛して、大事な思い出のひとつとして飾りたい。

永遠に続くものはこの世に存在しない。ただ、人生はそれが終わる最後の瞬間まで続き、僕たちはそれを思い出の数々によって飾ることができる。

どういうわけか、僕にとっての思い出は飲食店のカウンター席やテーブル席で生まれることが多いし、東カレを読んでいる人たちもきっとそうだろう。

それが別に港区のお店でなくてもいいだろうし、ジャケット必須のお店や、せめてゴールドカードくらいじゃないと格好がつかないお店じゃなくてもいい。

自分なりの方法で、自分なりに好きなお店を見つけて、それを自分なりのやり方で愛せば、それでいいに決まってる。その手助けを、きっとこの雑誌は未来永劫ずっとやってくれるはずだ。


■プロフィール
麻布競馬場 1991年生まれ。著書『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(集英社)が好評発売中。
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