7年も付き合ったけど、彼とは結婚はナイ…。32歳女がある日悟ったワケ
愛おしい人といるときは、何気ない時間が特別なものに変わる。
そして、2人の時間をよりスペシャルなものにしてくれるのが、ワインだ。
ワインには、香りと舌の記憶とともに一瞬を永遠に留めてくれる不思議な力がある。
今宵も、ボトルの前に男と女がいる。
長い年月を経て、このテーブルに辿り着いたこのワインのように、とっておきの物語が紡がれる。
▶前回:「何度も2人で会ってるけど、進展しない…」痺れを切らした女がとった大胆な行動とは
Vol.3『ようやく結婚、と思った矢先…』隼人(35歳)
青山の街を見下ろすレストランで、ワインを飲みながら、隼人はある人を待っていた。
遅刻が常習の隼人にしては、今夜は用意周到だ。
ボックス席から夜の街を眺める。クリスマスを間近に控えた街は、華やかで忙しい。
その時、店のスタッフに案内され、1人の女性がやってきた。
「由奈!」
隼人は、軽く手を振る。
「珍しい!隼人が私よりも先に着いてるなんて。どういう風の吹き回し?」
由奈は嬉しそうに着席した。
パンツにホワイトのツイードジャケットを合わせ、コロンと丸みを帯びた上品なバッグを携えていた。
「バッグ、素敵だね。買ったの?」
「うん、ポレーヌで。ボーナスで買っちゃった」
付き合って7年になる由奈は、自分に似合うものをちゃんとわかっている。隼人は今年35歳、由奈は32歳だ。
隼人は、5年前に勤めていた会社を辞め、飲食や宿泊施設のコンサル会社を起業した。業界全体が冷え切ったコロナ禍は大変だったが、由奈の支えや励ましがあって乗り越えることができた。
「そんなの言ってくれれば、いつだってプレゼントしたのに」
仕事が軌道に乗った今は、金銭的余裕ができたので、由奈のためにお金を使いたいと隼人は思っている。
「ありがと」
由奈は小さく笑う。
隼人が由奈に会うのは3週間ぶりだ。ここ最近、平日は仕事が忙しかったし、1年前から始めたゴルフに夢中で土日はラウンドを回っていることが多かった。
実は、今日隼人は由奈にプロポーズする予定だ。
だから、最近お気に入りのレストランを予約した。
婚約指輪は一緒に買いに行くとして、今夜はちょっとしたプレゼントとして、ティファニーのネックレスもオンラインショップで購入してある。
「メインは、僕は和牛のフィレステーキを頼むけど、由奈は?同じのでいい?
ワインは、ピノだよな?せっかくだからジュヴレ・シャンベルタンでも…」
隼人がワインリストに目を落とす。
「うーん…やっぱりワインはいいや。私は、ビールで」
「今日はゆっくり食事を楽しもう」
ほどなく前菜が運ばれてきて、2人はグラスを合わせ乾杯した。
― プロポーズって意外と緊張するな。でも、きっと彼女は快諾してくれるはず…。
だが、気持ちはソワソワと落ち着かない。
「最近、なかなか会えなくてごめん」
口では謝ってみたが、長い付き合いの大人カップルだから、付かず離れずの距離感が隼人には心地よかった。
「気にしないで。私もそれなりに忙しかったから」
由奈はIT企業で広報担当だ。ちょうどリリース案件が重なり、残業続きだったという。
「大変な仕事だな。疲れてるんじゃない?」
心配の言葉をかけながら、隼人はタイミングを計った。
「でも、辞めたかったら気にせず辞めればいいよ。僕の事業も順調だし、だいぶ待たせてしまったけど、由奈を…」
そこまで言いかけて、隼人は言葉を止め、一瞬呼吸を整えた。由奈は隼人をじっと見つめている。
「幸せにしたいんだ。由奈を」
後に続く言葉をようやく絞り出すと、由奈は少し驚いたようだった。そして、うつむき、じっとテーブルを見つめている。
「隼人…ありがとう」
ここまでは、隼人には、想定内の返事だった。
しかし…。
「でも、私、隼人とは結婚できない。私の方こそ、今更こんなこと言ってごめんね」
― えっ!?今俺、プロポーズ断られた?
由奈の言葉を頭の中で反芻しながら、現実を受け止めようとする。
「ど、どうして?仕事が楽しいなら、続けても…」
「違うの!」
隼人が取り繕うように言うと、由奈は言葉を被せた。
「…言ってしまっていい?」
「何を?」
聞き返す隼人の声が上擦っている。
「隼人は、変わったよね。事業で成功したけど、昔とは人が変わってしまった」
「そんなことはないよ。人を取り巻く環境は、日々変わる。でも、僕自身は変わらず由奈が好きだし、何が変わったっていうの?」
こういう時は真摯に向かい合うのが正解だろう、と隼人は、焦りを押し殺し、冷静を装う。
「結婚のこと、待たせ過ぎたのだったら謝るよ」
「ごめんなさい。一時の業績の落ち込みを回復させたのはすごいと思う。でも昔みたいに謙虚で優しい隼人はどこかに行ってしまった。さっきのバッグのことだって…」
今日持っているバッグは、由奈が表参道のショップで一目惚れして買ったものだという。
「素敵だね、って褒めてくれるのは嬉しいけど。
プレゼントしたのに…って、上から目線。こうやって会うのだって、いつも自分の都合優先って気づいてた?」
由奈の口から発せられたのは、全て想定外の言葉だった。
「そんなふうに思っていたなんて…。謝るよ。本当に申し訳なかった」
「多分、隼人からすると、私は気を使わず好きな時に会える彼女なのよね?もちろん、隼人と結婚できたらいいなって思ってた時期もあったよ。でも…」
少し口ごもった後、意を決したように由奈は言い切った。
「一緒に暮らして幸せになれる気がしないの。私、結婚するなら対等な立場で楽しい時間を過ごしたいの」
お互い無言のまま時が流れた。
スープ、魚と順序立てて運ばれてきた料理を黙々と食べ、お会計を終えて、2人で店の外に出た。
ずっと無言だった由奈がやっと口を開いた。
「ごめんなさい。素敵なレストランだったのに、気分を台無しにして。私、今日は帰るね」
そう言うと、由奈は静かに去っていった。
◆
「“結婚できない”とは言われたけど、“別れたい”とは言われてないんですよ。でも俺、やっぱフラれたのかなぁ」
由奈が去った後、そのまま帰る気にもなれず、隼人は馴染みのワインバーに向かった。
そして、カウンターの向こう側にいるソムリエの山田に、レストランでの経緯と、自分のもやもやした気持ちを吐き出した。
「どっちかわからないから連絡を取りたいけど、さらに嫌われたらどうしよう、みたいな感じですか?」
「ま、そうですね…」
隼人が深いため息をつく。
「じゃあ、今日は飲みましょう。他にお客さんもいないので、私からの奢りということで」
そう言って、山田は一本のボトルを隼人の目の前に置いた。
「ラミニスタっていうギリシャのワインです。世界中でも珍しいギリシャの固有品種クシノマヴロというブドウを使用してるんですよ」
「ギリシャのワインは初めてだな」
隼人はラベルを見る。
「まぁ、隼人さんがいつも飲んでいるワインに比べると、リーズナブルですが」
グラスに注ぐと、凝縮された果実の香りが放たれた。
紫がかったダークチェリーレッドの色調が美しい。
「タンニンと強い果実味を感じますね。酸味が弱めなせいか、余韻がさっぱりとしている。個性的で、美味しいなぁ」
「ギリシャのワインの歴史は、実はフランスよりも古いんです。これはトップワイナリーで作られたワイン。個性が強いので、焼き鳥のハツとかレバーみたいなものと合いそうですね」
もう一口含み、隼人はハッとした。
「僕は、間違っていたのかもな」
隼人の脳裏に、ここ最近の由奈との出来事がスローバックする。
高級なレストラン、いいワインに素敵なプレゼント…。最近は、たまに会う由奈を喜ばせたくて、豪華なシチュエーションのデートばかりしていた。
でも、プレゼントは由奈の意見は聞かずオンラインで買ったものだし、ワインだってワインリストの上の方から適当に選ぶだけ。
ほんの数年前までは、由奈と2人で色々計画して、高い安いに限らず美味しいものとお酒を求め、屋台や市場などあちこちに出かけたものだ。
隼人はスマホを手に取ると、アルバムのあるフォルダを開いた。
2人で飲んだワインのエチケットの写真を保存したそこは、由奈と2人で過ごした思い出がぎゅっと詰まっていた。
エチケットを見ると、2人の会話も自然と思い出される。
いつからだろう。エチケットを写真に収めなくなったのは。そのころから、由奈との会話が減っていたような気がすると隼人は気づく。
「豪華なデートも、今日のプロポーズも、由奈を喜ばせるためっていうのは建前で、俺の自尊心を満足させたかっただけだって、彼女は気づいてたんだな。きっと」
「だとしたら、素敵な彼女じゃないですか」
山田は空のグラスにワインを継ぎ足してくれた。
隼人は、もう一口含む。すると、土やオリーブ、ジンジャーを思わせる複雑な香りが押し寄せた。
「昔、彼女とイタリアに行ったとき、飲んだワインにも似ています。たしかネッピオーロのワインで…」
そうだった。由奈は、大人しそうな容姿に反して、「人生で一番好きなことは、好きな人たちと楽しくお酒を飲むこと」だとよく言った。
「1週間イタリアにいたんだけど、楽しかったなぁ。毎日ワイン飲んで…」
隣に居合わせた人と陽気に乾杯を繰り返した彼女の顔が浮かぶ。そういえば最近、あんな彼女の顔は見ていない。
「女々しいですね、俺」
「いえ、そんなことは。乾杯は1人じゃできないですもんね」
山田は言った。
◆
半年後。
「ごめん、遅くなって。何着て行こうか直前まで悩んでしまって」
隼人が謝る。由奈は笑いながら車の助手席に乗り込んだ。今日は鎌倉に住む由奈の両親に挨拶に行くのだ。
あの日以来、隼人は由奈に必死で謝り、2人の関係をやり直すために頑張った。最初は訝しげな様子の由奈だったが、2人の時間を大事にするようになった隼人に次第に心を開いていった。
先日、ようやく隼人のプロポーズをOKしてくれたとき、由奈が言った。
「私、子どもができても、歳をとっても、一緒にワインを飲んだり、腕を組んで歩ける関係の夫婦が理想なの。うちの両親みたいに」
「そうなるように頑張るよ」
もちろん、その言葉に嘘はない。
車の後部座席には、挨拶の手土産「ラミニスタ」がある。ワイン好きの由奈の父親と一緒に飲めたらいいなと思っている。
隼人は隣の由奈にチラリと目線をやると、どことなく楽しそうな彼女がいた。
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