アメリカ海軍最後の艦上攻撃機といわれるA-7「コルセアII」。この機体は史上最後の艦上攻撃機と呼ばれる存在です。ただ後に米空軍も採用した傑作機に。かつて日本にもたびたび姿を見せた往年の名機はどのようにして生まれたのでしょうか。

アメリカ海軍向け最後の“純”艦上攻撃機

 アメリカ海軍の強大な戦力の象徴である原子力空母。これに搭載される空母航空団は、1隻で中小国の空軍と同等の航空戦力を持っていると言われます。そのため、さぞかし多種多様な軍用機を搭載していると思いがちですが、2023年現在、機種の統合が進んでおり、戦闘機と攻撃機の分野に関しては、F/A-18E/F「スーパーホーネット」が両方の役割を兼務しています。

 なぜ、そのようなことが可能なのかというと、これはF/A-18に内蔵されている電子機器の高集積化と計器類の画面表示化による恩恵といえるでしょう。遡ると、原型のF/A-18A/Bは開発段階までは戦闘機型のF-18と攻撃機型のA-18の2種類が計画されていましたが、コックピットの画面に地図情報などの攻撃機モードの表示を加えることで、わざわざ攻撃機型と戦闘機型に分ける必要がなくなり、最終的に両方の任務に使用可能なF/A-18として一本化されました。

 ということは、F/A-18が登場する前は攻撃機と戦闘機を別々に空母搭載用として用意していたことになります。事実、F/A-18はF-4「ファントムII」戦闘機とA-7「コルセアII」攻撃機、双方の後継という形で生まれました。


1981年5月16日、旧アラメダ海軍航空基地で撮影したA-7B攻撃機(細谷泰正撮影)。

 F/A-18は、冒頭に記したように多用途性に優れた「戦闘機」です。そのため、このA-7「コルセアII」が2023年現在、艦載用の“純粋な”攻撃機として採用された最後の機体ということになります。

 アメリカ海軍にとって、事実上最後の制式艦上攻撃機となったA-7「コルセアII」。一体どのような機体だったのか改めて振り返ってみましょう。

なぜF-8戦闘機とソックリなのか

 A-7「コルセアII」が生まれたのは1960年代初頭のこと。当時、空母搭載用の艦上攻撃機として用いられていたのは、マクドネルA-4「スカイホーク」攻撃機でした。同機はアメリカ海軍、海兵隊をはじめ多くに国々に採用された優秀な攻撃機で、トップガンの敵機役やブルーエンジェルスの乗機にも採用されるほどの優れた飛行性能を誇る名機でしたが、攻撃機として重要なポイントである兵装搭載量にアメリカ海軍は満足していなかったのです。

 そこで海軍は複数の航空機メーカーへ、A-4に代わる新型攻撃機の仕様書を出しますが、開発費を抑えるために既存の機種をベースにするという条件を付けます。その結果採用されたのがヴォート社(現LTVアエロスペース)のA-7でした。


1981年5月16日、旧アラメダ海軍航空基地で撮影したA-7B攻撃機(細谷泰正撮影)。

 A-7は同じくヴォ―ト社が作った傑作戦闘機F-8「クルセイダー」に近似した外形をしていますが、それもそのはず、前出したような「既存機をベースに作る」というアメリカ海軍の要求に沿って、F-8戦闘機をベースに開発された攻撃機だったからです。

 ただ、完成した試作機は外形こそ似ていたものの、F-8の特徴であった主翼の取付け角可変機構は省略され、新設計の大きな主翼にアメリカの攻撃機としては初のターボファンエンジンを搭載することで海軍が要求した1万5000ポンド(約6.8t)という兵装搭載量を達成していました。なお、試作機は1965年9月27日に初飛行し、「コルセアII」の愛称が付与され制式採用されています。

 エンジンには、空軍のF-111戦闘爆撃機で採用されたばかりの戦闘機用ターボファンエンジン、TF-30のアフターバーナー非装備型が用いられていました。TF-30は強力で低燃費なのが採用の理由でしたが、コンプレッサーストール(エンジン不調)が起きやすいという欠点を抱えていました。

 実際、最初の量産モデルであるA-7Aでは、機首の空気取り入れ口がカタパルトの蒸気を吸い込むことによりコンプレーサーストールを起こすという問題を含有していたのです。そこで、対策として運用時は離陸重量を減らすことで最大出力を抑制するというが講じられます。その一方で、抜本的に改良を施した新モデルの開発を進められ、結果としてA型よりも高出力なエンジンを搭載したB型が作られたことで、コンプレッサーストール問題をクリアしています。

ちょっと違うアメリカ空軍採用モデル

 こうしてA-7「コルセアII」は安定して性能を発揮するようになります。一方、海軍での運用成功に着目したのがアメリカ空軍でした。当時、空軍では旧式化していたF-100D戦術戦闘機に代わる新型機を必要としていたのです。

 空軍では空母のようなカタパルトは使用できないため、TF30エンジンよりも強力なエンジンを求めていました。そこで空軍が選んだのはアリソン製(現ロールスロイス)TF41ターボファンエンジンでした。これはイギリス海軍モデルのF-4「ファントムII」戦闘機に搭載されたロールスロイス・スペイの発展型で、F-111戦闘爆撃機への採用を目指してロールスロイスとアメリカのアリソンが共同開発していたものです。


1982年5月20日、旧モフェットフィールド海軍航空基地で展示されていたA-7D攻撃機(細谷泰正撮影)。

 TF41は純アメリカ製ではない点が不利に動き、F-111には採用されずに終わりましたが、TF30よりも強力でコンプレッサーストールも起きにくいエンジンに仕上がっていました。そこにアメリカ空軍が白羽の矢を立てたのです。TF41を搭載した空軍型はA-7Dと呼ばれ、空軍仕様としてフライングブーム式の空中給油装置、Mk12機関砲に代わりM61A1バルカン砲を搭載するなど細かい改良が施されていました。

 これによりアメリカ空軍が採用したA-7Dは優秀な攻撃機へと昇華します。このような好結果を横目に見ていたアメリカ海軍は、空軍型A-7Dを参考にして、既存モデル空母搭載用A-7にもTF41エンジン、M61バルカン砲を搭載することを計画。こうしてA-7Eを生み出し、海軍型の決定版として量産・配備を進めたのです。

 一方、アメリカ空軍では近接航空支援用の対地攻撃機として運用していたA-10「サンダーボルトII」攻撃機の高速化を目指して次世代戦術戦闘機を計画しました。その候補のひとつとして作られた試作機がYA-7Fです。

F-16に比肩? 超音速飛行が可能になった最終モデル

 YA-7Fは、搭載エンジンをF-15「イーグル」やF-16「ファイティングファルコン」と同じアフターバーナー付きのF100ターボファンに換装しており、さらに主翼付け根には小型ストレーキを設けることで飛行特性の改善も図っていました。その結果、YA-7Fは超音速飛行が可能なまでに性能向上を果たします。

 同機は2機が作られF-16と比較評価が行われましたが、次世代戦術戦闘機として採用されたのはF-16でした。ちなみに、この結果には、YA-7Fという競合機を登場させることでF-16の大幅値引きをメーカーに飲ませようと空軍当局が画策したという指摘もあるとか。

 ただ、F-16と張り合えるまでにA-7「コルセアII」が進化できたのも事実です。なお、このYA-7Fは「コルセアII」シリーズの最終モデルで、1機がカリフォルニア州エドワーズ空軍基地、もう1機がユタ州ヒル空軍基地、ともに基地内にある博物館で展示されています。


1983年5月22日、フェアチャイルド空軍基地で撮影したA-7E攻撃機(細谷泰正撮影)。

 アメリカ海軍では、1991年の湾岸戦争を最後に後任のF/A-18「ホーネット」と交代する形でA-7「コルセアII」は第一線から退きましたが、同空軍では1993年まで州兵航空隊で運用され続けました。

 なお、1970年代から80年代にかけては、横須賀を事実上の母港とするアメリカ空母の艦載機として厚木飛行場にも駐留していたので、A-7「コルセアII」は日本でも比較的目にするなじみ深い機体でした。