どのように生きるかと同じように、どのように死ぬかを、まだ元気なうちに身の回りの人と話し合っておくことが推奨されています(写真:プラナ/PIXTA)

2018年に厚生労働省が改訂した『人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン』に盛り込まれているACP(アドバンス・ケア・プランニング)をご存知でしょうか。愛称を「人生会議」とし、普及活動を行っていましたが、2023年6月の調査で国民の72.1%が「知らない」と回答していることが報道されました。医師や看護師も20%程度が知らないと回答しているとされています。(2023年6月22日共同通信

終末期に何らかの医療行為の選択(胃ろうをつけるか、心臓マッサージを行うかなど)が必要なときに、今まで通りの自分の考えできちんと意思決定をすることはなかなか難しいことです。実際に終末期に意思決定が必要な患者さんの約7割が「意思決定が困難」といわれています。

どのように生き抜くか――。どのような医療やケアを受けて人生の最終段階を過ごしていくかについては、できれば元気なうちに考えておくことが、自分らしい人生を生き抜くために大切なことです。実際には医療やケアの専門スタッフと話し合いながら、希望すれば家族や友人も一緒に考えていくプロセスになりますが、終末期の医療や介護サービスの実際を知っておくといざというときに役に立ちます。

これまでに1000人を家で看取った在宅医・緩和ケア医の中村明澄さんの『在宅医が伝えたい 「幸せな最期」を過ごすために大切な21のこと』から、いくつか事例をご紹介します。

いつか妻と旅行に行ける日を夢見て…

私の原点といえるのが、研修医になったばかりの頃に出会った、末期の膵臓がんの今井達さん(仮名・39歳)です。働き盛りの会社員の男性で、妻の希望もあって、本人には終末期ということは伝わっていませんでした。

腹水が溜まって、歩くのもやっとという状態だったのですが、自分が終末期とは知らない達郎さんは、病院で腹水を抜いては、体にむちを打って必死で会社に行こうとします。

あるとき達郎さんに「仕事に行くのがつらくないですか?」と聞きました。すると達郎さんは、きっぱりとこう言いました。

「頑張って働いてお金を貯めて、元気になったら苦労をかけてきた妻を海外旅行に連れていってあげたいんです」 

このとき達郎さんは、すでに余命が1〜2カ月という時期でした。家族が本人を気遣って、「もう治らない」という事実を言わないでおきたいと考える気持ちもわかります。

しかし、現実を知らないがために、「いつか妻と旅行に行けるときがくる」と信じ、体にむちを打って会社に行き続けて過ごすことが、本当に本人のためと言えるのでしょうか。もう残された時間は限られているというのに……。

頑張り続けようとする達郎さんを前に、言葉にならない葛藤を抱えているうちにも、症状はどんどん悪化します。達郎さんはついに、体を動かせなくなるギリギリの段階まで会社に通い続け、その後入院。結局、近場の旅行さえ行けないままに亡くなってしまいました。

本人に余命宣告をしていなくても、人は最期が近づいてくると、自分の状態について察するものです。最期が迫った現実を前に、達郎さんは「もう旅行に行くことはできないんだ」と静かに悟ったと思いますし、「もっと早く知りたかった」と思ったかもしれません。

私は達郎さんの気持ちを思うと、無念で仕方がありませんでした。それから20年以上が経った今でも、思い出すと涙がこぼれるくらい、私にとって悲しい最期で、“知らないことのデメリット”を強く感じた原体験でもあります。

夫と母親は本人に病状を伝えず…

もう1人、印象深い患者さんのエピソードがあります。末期の乳がん患者だった井上陽子さん(仮名・34歳)。6歳と4歳の幼い2人の子どもを持つ母親でもありました。

治療を続けるなかで陽子さんを支えていたのは、夫と母親です。2人は陽子さんを傷つけないようにと病状を本人に伝えずにいました。しかし、本人の気持ちや性格を思いやって、家族が良かれと思って事実を伏せることが、必ずしも本人のためになるとは限らないのです。

例えば、症状が進行していくなかで、事実を伏せているがゆえに、家族間のコミュニケーションが取りづらくなる場面が出てきます。隠し事があることで、どうしても家族間の会話が少なくなったり、一緒に過ごす時間が減ったりすることがあるのです。

特に「これ以上、できる治療がない」という段階が近づくほどに、事実を隠していることにどうしても限界が出てきます。家族がどれだけ「大丈夫」「もうすぐ良くなるから」などと励ましの言葉をかけていたとしても、それが事実でなければ、次第にお互いに苦しくなってくるのです。

実際に陽子さんも、つらい症状と闘っているときに、「家族から『頑張って』と言われることがとてもつらかった」と、あとで明かしました。

自分ではなく、家族のために治療を

陽子さんは、がんの終末期の痛みやつらさと闘いながら、いろいろな病院に行っては、複数の医師の意見を聞いていました。私や家族から見れば、本人の意思で、何か期待を持っていろんな病院に行っているのだと思っていたのですが、陽子さんからすれば「頑張れ」という家族のためだったようです。

この頃の陽子さんは、痛みを抑える薬を注射で使っていました。注射の薬は、持続的に体に入っていきますが、急に痛みが出たときや痛みが強くなってきたときに対応できるように、患者さんがボタンを押すと追加で痛み止めの薬が使える仕組みになっています。

陽子さんは、押し寄せる痛みと闘うため、何度もボタンを押していました。ある時つらそうに、「この痛みって、病院に行ったら何とかなるのかな?」と私に聞きます。つらい症状が続いているなかで、自分の状況を知らずに闘い続けるのが、本当に本人のためになるのでしょうか……。

こうして会話ができる時間も、少なくなってきていると思った私は、家族に「もし本人が亡くなることをわかっていたら、例えばお子さんにビデオレターを残したいなど、やりたいことがあるかもしれない。本人に伝えることについてもう一度考えませんか?」と相談しました。

そして家族の同意を得たうえで、本人がどうしたいと思っているか聞いてみることにしたのです。

私は「このあいだ、病院に行ったら何とかなるのかな? と言っていたけれど」と前置きし、「今どういう状況か知りたい? もし、つらい話になったとしても知りたい?」と率直に尋ねました。陽子さんは、「うん、知りたい」と迷わず頷きました。

末期がんである現実を伝えたときの陽子さんの受け止めは、意外なほど冷静でした。家族は、陽子さんは末期がんである現実を受け止め切れないと思い、心配のあまり事実を伏せていたのですが、陽子さんからすれば「このつらさは一体いつまで続くのか」ということが、最大の恐怖だったようです。

命の終わりが見えることより、いつまで続くかわからないつらさのほうが怖くて苦しいというのは、陽子さんに限らず、これまで末期がんの患者さん複数から言われたことです。

「このつらさがずっと続くわけじゃないんだ」「ほっとした」「良かった」

本当につらい話だったと思いますが、陽子さんはこう言いながら、現実を受け止め、やわらかい笑顔を見せてくれました。

「子どもたちに『行ってらっしゃい』が言いたいから、最後まで自宅で過ごしたい」 

これは、自分の余命を知った陽子さん本人から伝えられた希望です。陽子さんは「自分が死んでいくところも、子どもたちに見せたい」「死んでいく様子を見せることも、母親としての大切な役割だと思う」という明確な意思を持ち、病院や施設ではなく、自宅で最後まで過ごす選択をしました。

自分に残された時間が、あとわずかしかないという現実を前に、「今私にできること」を最優先に考えるその姿に、家族も私も、とても勇気づけられました。

子どもたちのためにできることを

出会った当初の陽子さんは、どちらかというと精神的に少し不安定なところがあり、なかなか物事を決められず、どこかフワフワしている印象でした。だからこそ、家族もなかなか本人に現実を伝えられずにいたのです。


ところが、自分の余命を受け入れてからの陽子さんは、急にお母さんの顔になり、できないことを嘆くのではなく、今できることを考えて行動しようという気丈な振る舞いに変わりました。自分が今、子どもたちのためにできることを第一に考え、最期の時間を過ごしたのです。

不思議なことに、陽子さんは現実を知ってから、つらい痛みが和らぎ、ぐっと穏やかになりました。自分がどういう状況にいるのかがわからないという不安から解き放たれほっとしたことで、楽になれたのかもしれません。

陽子さんが家族に見守られながら、自宅で息を引き取ったのは、それから1カ月後のこと。陽子さんはあのとき、自分の状況を知ったからこそ、自分なりに死に向けた準備をしたうえで最期を迎えられたように思います。

本人への告知には大きな葛藤を抱えていた家族も、看取ったあとには「あのとき、伝えられて良かった」と話していたのが印象的でした。

余命があと少しという現実は、残念ながらどうあがいても変えることはできません。しかし、その現実は変えられなくても、それからの時間をどう過ごすかは自分次第であることを、身をもって教えてくれた患者さんでした。

「神よ
変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受け入れる冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」

これはアメリカの神学者、ラインホルド・ニーバーの祈りの言葉で、私がとても大切にしている言葉です。変えることのできるものを変え、変えることのできないものを受け入れて最期を過ごした陽子さんは、まさにこの言葉を体現した患者さんだったと思います。

(中村 明澄 : 向日葵クリニック院長 在宅医療専門医 緩和医療専門医 家庭医療専門医)