現役時代を回想したバッジョ。(C)Getty Images

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 サッカー界では今夏、多くのビッグネームが巨額サラリーを提示され、サウジアラビアに向かった。 かつて世界有数の選手として名をはせた元イタリア代表のロベルト・バッジョは、同じように中東行きを選んでいただろうか。『Sport Week』のインタビューでのこの質問に、元バロンドーラーは「分からない」と答えている。(『Gazetta dello Sport』紙より)「私の時代はスペイン、そして特に日本から重要なオファーを受けた。だが、私は代表のことを気にかけていたんだ。常にイタリア代表のユニホームを手にするために、イタリアに残りたかった。日本には行きたかったよ。2002年のワールドカップでね」 日韓ワールドカップでバッジョはイタリア代表に選ばれなかった。今でも当時への悔しさをのぞかせたのは、世界王者になる夢を果たせなかったからだ。【PHOTO】ユベントスの「歴代10番」の系譜と戦績を厳選フォトで一挙チェック!


 そしてバッジョとワールドカップと言えば、1994年アメリカ大会決勝のPK戦での失敗が思い出される。バッジョは当時のことを「消すことはできない」と振り返った。「子どものころからワールドカップ優勝を夢見てきた。それが、考えもしなかった唯一のかたちで終わってしまったんだ。決勝を戦い、ゴールを決め、イタリアを喜ばせるために勝つことを、どれほど夢みたことか。それが、願望の列車は逆に行ってしまったんだよ」 そのような失敗から人は学ぶものともいう。バッジョは「今ならそう言えるかもしれない」と、当時は容易に受け入れられなかったと認めつつ、「未来の自分がどうありたいかも決めなければいけない」と続けた。「一生泣きわめくか、雪辱のために顔を上げ、前を向くか。その選択が未来の自分を決める。その意味では、成長の瞬間だった」 歴史に名を残した偉人の言葉には、学ぶことがたくさんある。構成●サッカーダイジェストWeb編集部