すべては友達同士の会話から生まれた。2016年にデイビッド・ベッカムがMLS(メジャーリーグサッカー)で新チーム創設を画策している際、リオネル・メッシは彼にこう約束したのだ。

「すべてうまくいったら、いつかはそのチームでプレーするよ」

 それから7年、その言葉は現実となった。インテル・マイアミのピンクのユニホームを着て、今、メッシは笑っている。

 バルセロナからパリ・サンジェルマン(PSG)に移籍した時、メッシは記者会見で涙を流した。今回の移籍でもメッシは涙を流していたかもしれない。ひそかに、誰も見ていないところで。


MLSのインテル・マイアミでデビューを果たしたリオネル・メッシ photo by AP/AFLO

 誰もが知るとおり、メッシが本当に行きたかったのはバルセロナだ。バルセロナは彼が人生の大半を過ごしてきた場所だ。友人もいる。家もある。家族もあの街を愛している。メッシが本当に「故郷」と感じる場所はアルゼンチンの地元ロサリオではなく、バルセロナだろう。

 実際、メッシのバルサ帰還を多くの者が画策していた。たとえばペペ・コスタ。彼は元ナイキの人間だったが、バルサに請われて選手のサポートスタッフになった人物だ。メッシは特に彼を信頼していて、第二の父親のように慕っていた。彼はメッシがバルサに帰ってきて、望む限り現役としてプレーし、その後はチームの幹部として永遠にバルセロナに残ることを願っていた。

 では、なぜメッシの帰還は成功しなかったのか。

「最後までバルセロナからは正式なオファーは届かなかった」とメッシ側は主張する。バルセロナは「オファーはした」と言っているが、バルセロナがしたのは「帰ってこないか?」という打診のみだった。年俸や詳細ま条件などの具体的な話は一切されていない。

 実際、メッシがマイアミに行くという噂が立っても、バルセロナは動かなかった。ベッカムが提示したのと同じだけの金額を約束できなかったからだ。バルセロナはメッシがPSGに行った2年前と変わらず、今もスペインのファイナンシャルフェアプレーに苦しんでいる。

 だが、メッシへの高い年俸を払いきれないと言っておきながら、バルセロナは高給取りのイルカイ・ギュンドアンを獲得した。この知らせにメッシの父は怒った。「メッシに対するリスペクトが足りない」と、舵は大きくマイアミに向かって切られた。

【「故郷」に帰れなかったメッシ】

 PSGに行ったことは、メッシの人生最大の過ちだったのだろう。パリでメッシは苦しい思いしかしなかった。チャンピオンズリーグ(CL)は優勝できず、プレッシャーは大きく、フランス語はわからず、最後はサポーターに「出て行け」と抗議までされた。そうした傷を癒すには「故郷」に戻ることが必要だったはずだ。

 バルセロナには友人のシャビもいる、彼を愛するサポーターもいる。もし両者がもう少し歩み寄れたなら、結果は違っていたはずだ。結局はメッシもバルサも、PSGへの移籍騒動から何も学んでいなかったわけだ。

 この成り行きに苦しんでいるのはバルセロナのサポーターだ。確かにメッシがPSGに移籍した時は「他のクラブチームを使ってバルサに復讐をした」と怒っていた連中もいたが、時が経つにつれメッシを慕う気持ちのほうが勝ってきた。彼らはこの夏の帰還をずっと待ち望んでいた。今、彼らは見捨てられたような気分を味わっているだろう。サポーターの気持ちは完全に置き去りにされている。

 カンプノウには1950年代のスター、ハンガリーのラディスラオ・クバラと、ヨハン・クライフの銅像が立っている。そこにメッシの銅像も建てられる予定だった。しかしその場所には、今はゴミがうず高く積まれている。

 故郷に帰れないメッシが、その代わりに得たのは金だ。

 インテル・マイアミのオーナーのホルヘ・マスは、メッシがバルセロナにいる2019年からすでに交渉を始めていたと明かしている。キューバ系アメリカ人のマスは、サッカーのことをほとんど知らない。だが、ビジネス界で成功した人間だけに嗅覚はすごいものがある。彼はメッシを使い、アメリカのサッカービジネスをより大きなものにしようとしている。

 そのため、メッシ獲得にはいくらでも金を払えと指示していたと聞く。実際、メッシの契約はサッカー選手というよりは、映画配給権のような契約だ。年俸やボーナスなどの他に、チケットの売上金の一部、ユニホームやグッズの売り上げの一部、「Apple TV」の加入者増加による利益の一部、そしてMLSの新しいチームを作る権利まで与えられた。2025年には新しいスタジアムもメッシのために作る予定だ。

【マイアミの豪邸での生活】

 メッシの移籍の裏にはアディダス社の影もちらつく。ベッカムはアディダスとの契約が長く、それはメッシも同じだ。彼らはメッシとともにナイキの本拠地であるアメリカに殴り込みをかけようと考えている。アメリカのマーケットは当然ながら、バルセロナのそれよりも大きい。現在、アメリカのスポーツショップには、アディダスのシューズを履いたメッシのポスターが貼られている。

 しかし、メッシは大金と引き換えに、目指す目標を失ってしまったように見える。PSGならCL優勝という大きな目標があったが、インテル・マイアミには? MLSでの優勝か? 

 メッシにはもう本気で目指すものはないのだろう。かつてジーコやドゥンガが日本に行った時のような「日本のサッカーを発展させる」という挑戦さえも存在しない。おまけにインテル・マイアミは先日、3カ月ぶりに勝利したようなチーム。順位はイースタン・カンファレンスの最下位だ。

 すべてを振り切るかのように、メッシはマイアミで豪勢な生活を送っている。日本の読者にはその感覚がわからないかもしれないが、南米人にとって憧れの地といえばマイアミだ。ニューヨークでもロサンゼルスでもない。マイアミに住むというのは、成功の証でもある。

 メッシが住むのはサニー・アイルズ・ビーチにそびえる「ポルシェ・デザイン・タワー」。60階建ての円筒形の建物で、360度の視界が楽しめる。部屋は880平米、プライベートプールにはレストランのサービスもあり、居住者専用のバーにワインセラー、新作映画が見られるシアタールームまである。

 何よりの売りは、建物に車用のガラス張りのエレベーターがあり、ご自慢の高級車を部屋まで持ち上げ、それを眺めながら過ごせるようになっていることだ。ここには多くの億万長者が住んでいて、その中にはバスケットボールのマイケル・ジョーダンやボクシングのフロイド・メイウェザーなどが含まれる。最近では近くのスーパーで家族と買い物している姿をパパラッチされているが、そのスーパーはインテル・マイアミのスポンサーのため、「やらせ」との声も聞かれる。

 半年前に世界の頂点に立っていたメッシ。MLSデビュー戦でゴールを決めたなどとニュースになっているが、今後は少しずつ、彼のニュースは減っていくのではないだろうか。我々は今、ひとりの王の終焉を見ているのかもしれない。