7月25日に会見に臨んだ兼重宏行前社長(写真:共同通信)

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高さ8メートルもの外壁に囲まれた要塞のような建物。それが話題の企業・ビッグモーターの創業者・兼重宏行氏(71)の自宅だ。

「ビッグモーターは中古車販売の大手企業。同社は顧客から預かった事故車両を故意に損傷させ、水増しした修理代を保険会社に請求していたのです。

7月25日に兼重氏は会見を行いましたが、不正請求について、『(報告書を受け取った)6月まで知らなかった』『耳を疑った』などと語るばかり。責任を現場に押し付けるような姿勢にも批判が集中したのです。会見では兼重宏行氏は代表取締役社長を辞任、息子の宏一氏が取締役副社長を辞任することも表明しました」(経済誌記者)

山口県岩国市の小さな自動車整備工場からスタートし、一代で売上高5千800億円の大企業に成長させた兼重氏。その成功の象徴が、3年前に東京都内に建てられた冒頭の豪邸だった。

「付近には大使館や著名人の自宅も多い一等地です。敷地面積は約500坪で、中庭には大きな噴水もあり、茶室も建てられています。土地と建物で60億円の価値があると報じられています」(前出・経済誌記者)

この豪邸には、兼重氏とその妻A子さん、息子・宏一氏とその妻が住んでいるという。近所の住人によれば、

「兼重さんご一家と、近隣の住人は一切、交流がありません。皆さん、徒歩で外出することはほとんどなく、玄関から車で出かけますから、挨拶をする機会もないのです。今回の報道で、兼重さんのお宅だと知った人もいるそうです。

ご一家は白いベンツを持っていて、その車に乗っている(兼重さんの)奥さんの姿はときどきお見かけします」

実は3年前の引っ越し当初、兼重家と地域の町内会で“トラブル”が起こったのだという。前出の近所の住人が続ける。

「兼重さんの土地には、ソニー創業者の故・盛田昭夫さん(’99年逝去)のご自宅が立っていました。そのころから町内会のゴミは盛田さんの自宅そばの電柱に集められ、ゴミ収集車が回収していたのです。しかし兼重さんのお宅が建ったころ、ビッグモーターの社員を名乗る方から、『ゴミ出しのルールを変えたい』という申し出があったのです。

『家の付近にゴミがあるのは汚ならしいから』という主張で、『ゴミは1カ所に集めずに、各家庭でプラスチックの箱などに入れて出すべきでは』という提案でした。

収集業者さんとも相談してみましたが、“各戸を回るのは難しい”という回答でした。

しかし話し合うにしても、その当時は誰が住むのかも、町内会は知らなかったのです。社員さんに『どなたが住むのかを教えていただいたうえで、顔を合わせてご相談しましょう』と申し上げたのですが、『私たちは社員にすぎず、代理ですから』の一点張りで、結局そのまま決裂してしまいました」

ビッグモーターにまつわる疑惑の1つが各地の店舗前の街路樹に除草剤をまいて枯らしたというものだ。会見で兼重氏は「環境整備で……」という言葉を漏らしたが、店舗の周囲ではなく、豪邸周囲の美観も、従来のゴミ捨てルールを無視してまで、社員に命じて守ろうとしたのか。

■兼重夫妻は3人の子供の学歴に強いこだわりが…

A子さんは兼重氏にとって2番目の妻であり、兼重氏が再婚したのは40年ほど前だという。岩国市に住む兼重氏の兄によれば、

「整備工場を立ち上げたころは、かなり資金繰りが苦しくて、(弟は)当時、口を開けば『カネが、カネが……』と言っていました。私たち兄弟が借金の保証人になっていた時期もありました」

その当時の生活を支えてくれていた最初の妻とは、その後離婚。そしてA子さんと再婚したころから、経営はどんどん上向いていったという。地元に近所で評判になるほどの邸宅を建てたのは’88年、息子・宏一氏が誕生したころだった。

当時の兼重一家を知る、地元の住人はこう語る。

「A子さんは小柄な美人で、いつもキチンとした服装をして、生活感を感じさせない女性でした。兼重さんとA子さんの間には、男の子2人、女の子1人がいました。この界隈では珍しく教育熱心な家庭だったことを覚えています。お嬢さんが広島市内の中高一貫の私立校に合格したときには、うれしそうに話してくれました」

3人の子供は全員、私立校に通わせており、自宅から駅までの送迎はA子さんが担当していたという。

「兼重さんが、息子の宏一さんが早稲田大学卒でMBAを取得していたことを自慢していたという報道もありましたが、お子さんたちが小さいころから学歴は重視していたと思います。

A子さんはいつも白いベンツに乗っていたという印象がありますね。町のゴミ置き場は兼重さんの自宅から20〜30メートルほどのところにありました。そこにゴミを捨てるときも、ベンツで往復していたので驚いたものです。社長の奥さんともなると違うものだな……と。

兼重さんの会見直後に発売された週刊誌で、当時のA子さんのゴミ出しマナーがよくなかったという証言を読みました。地域の人が(A子さんが)ゴミの分別をしないので注意したら、何でうちのゴミを見てるんだ、って怒鳴られたというものです。A子さんが注目される存在だったのは間違いないと思います」(前出・地元の住人)

かつて兼重氏は、ビッグモーターの前身となるもの以外にも、会社を設立しており、頻繁に名称を変更していた。「有限会社ビッグボデー」「有限会社ブックセンタービッグ」といったものだ。

“ビッグ”という言葉にこだわりを持ち、巨大企業や巨大な邸宅をつくることに成功した兼重氏とA子さんだったが、晩節をけがしてしまった印象は否めない。