「この人でいいのかな…」結婚に迷いがあった女。披露宴当日、両親への手紙で告白した本音
東京のアッパー層。
その中でも、名家や政財界などの上流階級の世界は、驚くほど小さく閉じている。
例えば、ついうっかり“友人の結婚式”なんかに参加すると「元恋人」や「過ちを犯した相手」があちこちに坐っていて冷や汗をかくことになる。
まるで、いわく付きのパールのネックレスのように、連なる人間関係。
ここは、誰しもが繋がっている「東京の上流階級」という小さな世界。
そんな逃れられない因果な縁を生きる人々の、数珠繋ぎのストーリー。
Vol.7 P.M.4:05 花嫁からの手紙、花束贈呈
新婦・二ノ宮マサミ(TSUDAパール社員・35歳)
「パパ、ママ。35年間、私を大切に育ててくれてありがとう。
長い時間がかかったけれど、無事に今日という日を迎えられたのも、いつも優しく見守ってくれたパパとママのおかげです。
私は小さい頃、家族でパズルに挑戦するのが大好きでした。
今思うと、お受験のお勉強の一環だったんだと思います。でも私は、忙しいパパとママが一緒にパズルをしてくれる時間が大好きだったの。
必要なピースが見つかって、ぴったり嵌まった時はとっても嬉しかった。
そして私はついに、人生でかけがえのないパズルのピースを見つけました。
それが、向一郎さんです…」
マイクを差し出している向一郎と、一瞬目と目を合わせ微笑むと、私はまた手紙に視線を落とす。
両親に送る、花嫁の手紙。何ヶ月もの間、推敲を重ねた手紙。
別に、この手紙にかぎったことじゃない。私は昔から念入りに、やるべきことをする。
式の準備。会社での仕事。部活のマネージャー業。中学受験。
どれもこれも入念に準備をして、一生懸命に努力をしてきた。
でも…一生懸命になっても、叶わなかったことがふたつだけある。
ひとつは、慶應幼稚舎に受からなかったこと。
もうひとつは──。
私が、男の子として生まれてこなかったこと。
終盤を迎えつつある披露宴会場では、“花嫁の手紙”シーンの定番だというBGMがかかっている。
「私がパパとママを選んで生まれてきたんだよ」みたいな歌詞が、ソウルフルな歌声で歌い上げられている。
まさに私も同じ気持ちだから、この歌を聞くと胸が熱くなってくる。
でも。パパとママの方は、私を選んだのかな。
私がまだママのお腹にいるとき、私の名前は、「正光(まさみつ)」になる予定だったらしい。
二ノ宮総合病院を設立したひいおじいちゃまの代から、受け継がれている「光」の一文字。
でも、私は女の子だったから、「光」をもらえなかった。
適当にカタカナを当てて、少し足りないマサミになった。
そういうふうに、お正月に酔っ払ったおじいちゃまから聞かされた。
少し足りない私は、パパの母校である慶應幼稚舎にも受からなかった。
「女の子は難しいから」「怪我してたし仕方がない」「変に幼稚舎から入らないほうがいい、中等部からのほうが価値がある」…。
色んな人が色んな言葉で慰めてくれたけれど、単純に、実力不足だっただけだと思う。
悔しくて悔しくて、パパとママに喜んでほしくて、中学受験は入念に準備と努力を重ねた。死に物狂いで勉強して、無事に中等部には合格できた。
けれど、ひとしきり大喜びしたパパがポロッとこぼした本音は、「これでマサミが男の子だったら完璧だったのになぁ」。
私のやるべきことは、これじゃなかったんだ。
パパはいつもそう。
「大きくなったら、パパみたいにラグビーやってみたい」と私が言えば、「女の子には難しいよ。せめて、ラグビー部のマネージャーとかだね」とパパが言う。
「将来は私もお医者さんになる」と私が言えば、「女の子なんだし、ママみたいにお嫁さんになったっていいんだよ」と言われる。
やんわりと「それはマサミのやるべきことじゃない」と伝えてくる。
せめて経営者としてだけでも病院経営に携われないかと思って、津田のおばちゃまに憧れていたけど…。二ノ宮では医師でなくちゃ経営にも入れないと、いつもの調子で言われてしまった。
下手に中等部から慶應に入ってしまったものだから、女子の身で医学部への内部進学なんて、狭すぎる門。どれだけ努力しても、私の実力では限界を超えている。
だから私は、“入念な準備”の方法を変えることにしたのだ。
二ノ宮総合病院の歴史を継承させるのにふさわしい、お婿さん探しという方向に。
「パパ。やっぱり私は、お医者さんと結婚したほうがいいよね?」
そう聞いた私に、パパは困ったような顔で答えた。
「そんなこと気にしないで、マサミが心から好きになった人と結婚しなさい」
当然「そうだね」と言われると思っていた私は、一瞬戸惑った。
だけど、そんな訳がない。
二ノ宮総合病院は、昭和初期から続くファミリービジネス。私が後継にふさわしい人と結婚するのが一番望ましい形なのは、どう見ても明らかだ。
だから、医学部の向一郎が告白してくれた時は、嬉しかった。
チー子が向一郎のことを好きなのはなんとなく察していたから、気後れしていたけど…。
チー子にも彼氏ができて、何度も告白してくれていた向一郎と付き合うことになった時は、すごく嬉しかった。
私のバックボーンが目当てなことはありありと透けて見えていたけど、利害は一致していた。
最初にプロポーズしてもらった時も、「やるべきこと」が無事にやれそうなことに心底ホッとした。
けれど、当時24歳だった私は、まだそのプロポーズを受けるわけにはいかなかったのだ。
安堵の気持ちの中に、一抹の迷いを感じていたから。
結婚相手は、代々医師家庭の“同じ世界”の人を相手に選んだ方がいいんじゃないか…って。
「向一郎と結婚するって言ったら、パパは本当に喜んでくれるかな…」
彼氏として両親に会わせたことは、これまでに何回かある。
だけど、結婚相手としては?二ノ宮の後継ぎとしては?
「すごくいい青年だね」
日頃はそう向一郎のことを評価しているパパは、なんて言うだろう。
そう考えるとモヤモヤしてしまって、即答することはできなかったのだ。
プロポーズされたことをパパに言えないまま、追加の2回目のプロポーズを受けたのは、ちょうどチー子から「結婚する」って報告を受けた時だった。
チー子の旦那様は、幼稚園から暁星のおぼっちゃま。さらには、義母はチー子の母校である東洋英和の卒業生。
「同じ世界だから話が早い」って喜ぶチー子を見て、とてつもなく羨ましかった。
一度だけお邪魔した向一郎の実家。そこでお会いしたご両親は、私の世界では会ったことのないような人たちだったから。
だから私は、2回目のプロポーズも保留にして…試してみることにした。
向一郎が、どこまで私の世界に来てくれるか。あえてつれない態度をとって、どこまで合わせてくれるかを確認した。
そして、3回目のプロポーズの時。
自力で留学まで決めて「二ノ宮にふさわしい医師になる」という決意を見せてくれた向一郎に、私の感激はどれほどだっただろう。
「留学が無事に終わったらね」
付いてきてほしそうな向一郎にそう伝え、私はついに、ママにだけ決意を伝えた。
「私、向一郎が留学中の4年間、お見合いしたいの。うちと、家柄が似た人と」
本当は、もっと早くにこうするべきだったのかもしれない。向一郎との居心地の良さに浸っている間に、私もいつのまにか30歳。
ろくなお見合い相手は見つからないかもしれない。
そんな憂いとは裏腹に、私の元にはどっさりと医師家庭からのお見合い話が舞い込んだ。
二ノ宮と同規模の総合病院の息子。地方病院の息子。クリニックの息子。代々の勤務医…。
― もしも二ノ宮にぴったりな人がいたら、向一郎と別れてその人と結婚しよう。
そう意気込んで挑んだ数々のお見合いだったけれど、この決意は意外にも、私に予想外の確信をもたらしたのだった。
向一郎以上の人は、いない。
同等の医師家庭は、二ノ宮の後継ぎにはもらえない。育ちのいい勤務医には、二ノ宮レベルの大病院を切り盛りする強さがない。
裕福でなく、世界が違うことで、私はこれまで向一郎との結婚への一歩を踏み出せなかった。
けれど、やっと気がついたのだ。
ハングリー精神があって、後ろ盾がない───。それこそが、私が結婚するのに最適の条件だったということに。
向一郎こそが、探し求めていた二ノ宮総合病院にとっての、最後のパズルのピースだったということに。
◆
入念な推敲を重ねた原稿を読み終えると、向一郎がマイクを下げて、私ににっこりと微笑みかけた。
私も、向一郎を見つめて微笑む。
ふと、サエのスピーチを思い出す。きっと2人の間には何かがあったのだろう。遠く離れたアメリカでまで、因果なものだ。
だけど、文句を言うつもりはない。私だって留学中に散々他の相手を探していたし、万が一の時のために学外の友人には、向一郎という恋人の存在を長年うやむやにしてきた、私のせいでもある。
それに…。
サエのスピーチで顔を真っ青にする向一郎の表情を思い出すと、私の胸は温かな感情で満たされるのだった。
蒼白になるほど、私を…二ノ宮総合病院を、失いたくないと思っている。
たとえ家が目当てでも、本当の愛じゃなくても。長いあいだ私を女性として求めてくれたのは、向一郎だけだったから。
「それでは、花束贈呈です」
大きな花束を抱え、パパに向かって進む。
一歩一歩踏み出す時に、我が家に代々伝わる赤い色打掛の重さをずしりと感じる。
これが、私が背負っている、家の重みだ。
面々と繋いでいくべき、血の赤さだ。
「マサミぃ」
私の手紙に感激したチー子が、感動の涙を拭っているのが見えた。旦那様が肩を抱き、日向子ちゃんが心配そうに見つめている。
ああ、完璧だ。
あるべきところに、あるべきものが収まっている。パズルのピースが噛み合ったような、幸福な家族。
私も、あんなふうに幸せになりたい。ああ見えるようになりたい。
でも大丈夫。私だって、少し足りないマサミだって、パズルのピースを見つけたんだ。
たどり着いた金屏風の前で花束を渡すと、パパは瞳を潤ませて言った。
「マサミ、良かったね。向一郎くんと幸せになるんだよ」
「任せて、パパ」
私はやるべきことをする。念入りに。一生懸命に。
これまでもそうだったように。これからもそうする。
子どもが生まれたら、ちゃんと「正光」って名付けるからね。
【スモールワールド相関図】
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