春になると、日本を彩る桜の花。

大都会・東京も例外ではない。

だが寒い冬を乗り越えて咲き誇ると、桜はあっという間に散ってしまう。

そんな美しく儚い桜のもとで、様々な恋が実ったり、また散ったりもする。

あなたには、桜の季節になると思い出す出会いや別れがありますか?

これは桜の下で繰り広げられる、小さな恋の物語。

▶前回:年下の彼女が、先に出世した。自己嫌悪のあまり別れを決意した男は、誕生日の夜に…




川端望海(30)「恋してないって、そんなに変…?」


「つらい結婚式だったな…」

引き出物の大きな紙袋をぶら下げ、望海はひとり、とぼとぼと歩く。

― なんで、親友にあんなこと言われなくちゃならないの。

17時40分。

白金台の人通りはまばらだ。

望海はスマホの地図アプリを立ち上げ、二次会会場の店名を入力しながら、ため息をつく。

― ほんとは二次会に行かずに、このまま家に帰りたい気分…。

もちろんそんなことはできないと思い、歩き始める。

会場に、18時には到着しなくてはならない。

おめでたい日だというのに、望海の感情は、完全に後ろを向いていた。



気持ちが暗くなったのは、4時間ほど前のことだ。

今日は、高校時代からの仲良しグループ3人のうちのひとり、杏の結婚式。

会場の八芳園の桜は満開で、ベストシーズンだった。

望海がうっとりしながら受付場所を探していると、背後から、耳慣れた声がする。

「あ、望海!いたいた!」

明るい声に振り返ると、悠花が手を振っている。悠花は仲良しグループ3人のうちの、もうひとりだ。

「お、悠花!おはよう」


望海は駆け寄り、悠花の手を取る。

「悠花のワンピース、似合ってる」

「ありがとう」

「いよいよだね、ついに杏も結婚かあ」

望海と悠花、そして今日の主役である杏。3人は、高校時代からずっと一緒にいる。

高校のダンス部で仲良くなり、以来、何をするにも3人で行動を共にした。

偶然3人とも青山学院大学に入学したこともあり、卒業してからも疎遠にはならなかった。

学部は違ったが、山あり谷ありの若き日々を、3人で逐一共有しながら乗り越えてきた仲だ。

大学を卒業すると、一時期疎遠になったこともあった。

社会人になって、望海が大手通信社の記者職に受かり、島根県に配属されたから。

しかし望海は福島、秋田と転勤を重ね、ようやく去年東京に戻ってきた。

関係は無事に復活。最近は月に1回は集まり、有名レストランでランチをしている。

「キレイだね…。私の結婚も八芳園で挙げればよかったな。だいぶ今さらだけど」

羨ましげにつぶやいた悠花の横で、望海は考える。

2021年の秋に悠花が式を挙げ、今日、杏も式を挙げる。つまり、グループ3人のうち自分だけが未婚ということになる。

疎外感がないと言ったら嘘になる。しかし望海は、極力気にしないようにしていた。

― だって私、相手もいないし。そもそも、結婚よりもまだ仕事に集中していたいし!

長らく地方配属で下積みをしてきた望海にとって、東京で記者をやれる日々は本当に刺激的だ。

人生のすべての時間を仕事に使って、もっと立派な記者になりたい、と強く思っていた。

「望海、受付しちゃおう」

悠花に促されて受付を済ませると、高校時代のたくさんの見知った顔が集まってくる。




久々の元クラスメイトたちに近況報告をし、しばらくして話題が一旦尽きてしまうと、悠花は屈託のない笑顔でこう言った。

「ねえ、みんな聞いて」

「なに?」

「望海ね、こんなにかわいいのに、まだフリーなんだよ」

なんで今そんな話?と、望海は驚く。しかし悠花には悪気がなさそうだった。

居心地が悪くなる望海をよそに、場が沸き立つ。

「え、もったいない!相変わらずかわいいのに!」

「でも望海は記者さんだもん。忙しいもんね」

「でも忙しいだろうけど、結婚するなら早いほうがいいよ」

結婚していないのは、招待客のなかでも自分だけらしいと望海は悟る。

「あ、ありがとう…。でも私、今は結婚は考えてないの。仕事に専念したいし、恋する気分でもない」

表情をこわばらせて説明すると、場は余計に沸き立った。

「えーもったいない!」

「もしかして、大失恋の直後とか?」

正直に言って、しんどかった。化粧室に逃げ込もうと思ったそのとき、悠花が真顔で言った。

「だから望海さ、今日の結婚式で相手を探したらいいじゃん!杏の旦那さん、あの大手商社だもん」

悠花の無邪気な声に、周囲も応じる。

「いいね、そうしようよ!」

「望海かわいいんだから絶対いい人見つかるって」

話が勝手に進んでいくのを、望海は薄笑いで見守るしかない。

「ぶっちゃけた話さ」と望海は、いつもの明るい声で言う。

「恋してないって、そんなに変…?」

その問いに、悠花は意気揚々と答えた。

「こんなこと言うのって時代遅れかもしれないけど、でも、最高の時期ってものはあるから」

「最高の時期?」と望海は小さい声で聞く。

「ほら、桜と一緒でさ、女性は満開の時期を逃さない方がいいのよ。望海はかわいいけど、いつかは…」

望海の表情が固まっているのに気づいたのか、悠花の語尾は弱々しく消えていく。

「…余計なお世話よ」

さすがに我慢ならない。頭を冷やそうと思って、場を離れた。

背後から「え、ごめん」と悠花の焦った声が聞こえてくる。

望海は、いらだっていた。

久々に会った元クラスメイトも、同情するような目で望海を見ている。

「望海?ごめん、悪気があったわけじゃないの」

追いかけて謝ってくる悠花を振り払い、望海はクラスメイトたちと離れた。




わかってはいた。

― 悠花は、悪い子じゃない。

思ったことをすぐに口にしてしまう傾向はあるものの、親友を傷つけようとしてわざとひどい言葉を発するような人間ではない。

だからたぶんこれは、悠花の親切なのだ。わかっているけれど、望海は悠花に失望してしまう。

― 今日は悠花と話したくないな…。

結局挙式には、クラスメイトと離れたところでひとりで参加した。

披露宴では悠花と隣の席だったものの、最低限しか言葉を交わさなかった。

せっかくの杏のドレス姿も、霞んで見える。

杏に悟られないように、望海は終始うわべの笑顔を張り付けていた。

晴れない気持ちのまま、披露宴が終わる。


クラスメイトたちより先に、望海は会場を後にした。

悠花への怒りは、時間が経ってみると、どうしようもない気まずさに変わっている。

とはいえまだ許せたわけではないし、仲直りしたいとも思えない自分がいた。

二次会の会場を目指して、夕暮れの白金台をトボトボとひとり歩く。

そのとき、望海は背後から、急に声をかけられた。

「望海?」

「え、和佳子さん…?」

和佳子さんは、望海が勤めている通信社の先輩記者だ。

望海と2つしか年齢が変わらないのに博識で、鋭い記事を書く。

さっぱりした美人で、社内でも一目置かれる存在だ。

和佳子さんが自分と同じ引き出物の紙袋を持っているのを見て、望海は目を丸くした。

「和佳子さんも、結婚式に?」

「そうよ、気づかなかったでしょ?私ね、新郎の大学時代の友人なの。

望海がいることに、披露宴の最後のほうで気づいて、びっくりしちゃった」

「全然気づきませんでした」

― ずっとうつむいてたしなあ…。

「望海はひとり?共通の友達はいなかったんだ?」

望海は、先ほどの悠花との一件を打ち明けた。

「私、結婚してないだけで、見世物みたいに言われて。恥ずかしくて…」

ちょうど視界に入った桜を指差し、「満開の時期を逃さない方がいい」という悠花の言葉を、和佳子さんに伝える。

「ふうん。その子、親友なんでしょう?たぶん、よかれと思って言っちゃったパターンよね」

和佳子さんは、真顔でうなずく。それからふっと笑った。




「桜と女性は一緒か。くだらないし、困っちゃうね」

「はい…」

寄り添ってくれる人がいるだけで、望海は救われた思いになる。

「和佳子さん。恋しないで仕事してるのって、そんなに変なことですか」

「変なんかじゃない」と和佳子さんは断言してくれる。

「私もよく心配される。32歳でひとりなのは大丈夫なのかって。でも私、彼氏もいないし、作ろうとも思わない」

それから和佳子さんは「でもね、恋みたいな感情は持ってるんだ」と言った。

「好きな人がいるんですか?」

「ううん。私はね、いつも“将来の自分”に恋みたいな感情を持ってるの。かっこいい記者になって、色んな人を助ける将来の自分。

その人に憧れがあるから、毎日エネルギーが湧くんだ。恋みたいでしょ」

― かっこいい…。

望海はぐっときて、無言で和佳子さんを見つめる。

「言っても理解されないことの方が多いけど。でも、理解されなくてもいいの。私は私の恋をまっとうする。

いつか、そういうかっこいい記者になったら、私の人生はそれでハッピーだから」




和佳子さんのショートヘアが、夕方の風になびく。和佳子さんみたいになりたいと、強く思った。

「遅れちゃうよ、行こう望海」

和佳子さんと並んで歩きながら、望海は、モヤモヤがほとんど消えていることに気づいた。

「私、たぶん自分のなかで潜在的に焦ってました。だから悠花の言葉に、過剰に傷ついたんだと思います。

今、自分に余裕が生まれてきました。悠花と仲直りできそうです」

「そう?」

和佳子さんは「よかった」と微笑んだ。

「ねえ、桜はもうすぐ散るけれどね、散ったあとの緑だって、花に負けないくらいきれいよ。

あの美しさを感じられる人でいたいよね」

和佳子さんのさっぱりした声色が、望海を包み込む。

春らしい、あたたかな気持ちが芽生えていく。

2人は軽快な足取りで、二次会会場へと急いだ。

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