日沖 博道 / パスファインダーズ株式会社

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先日、「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングが3月から最大40%の賃上げを行うことが報道された。ファーストリテイリングはグローバル企業なので、世界各地での現地雇用者のほうが本社の日本人社員より給与が高くなっているという「逆転現象」の差分を少しでも埋めようとしたとのこと。以前から問題意識を抱えていたようだ。

また幾つかの大手企業も大幅な賃上げ方針を表明している。日本生命が来年度から平均7%、ロート製薬も平均7%引き上げることを、それぞれ公表している。サントリーホールディングスも(ベアも含めて)月収ベースで6%の賃上げを検討しているそうだ。他にも幾つか伝わってきている。

大手企業では賃上げムードが高まってきたようだ。同じ業界の競合企業が賃上げすれば横並びで追随せざるを得ないのが実情なので、波及効果はそれなりに期待できる。

日本企業の給与水準は他の先進国と比べるとこの20年以上、最低水準に張り付いている。 その主な理由は、バブル崩壊以降、物やサービスの「付加価値を創造する」ことよりも「コスト削減」、とりわけ賃金を抑制する安易な戦略を日本企業の経営者が優先させてきたことにある。

大企業でさえそうだったから、その下請けになって「コスト削減」を押し付けられてきた中小企業の経営者は思考停止状態で、取引先大企業の猿真似をしてきた例が多い。

大企業も中小企業も同様だが、賃金を抑制する言い訳は「賃上げか、雇用か」というものだった。人件費を上げると競争に負ける、経営が打撃を受けたら首切りにつながるぞ。それよりは安い給料で我慢せよ。そういう理屈だった。

でもその真実は、経営改革に効果的ないい知恵が回らないので、人事コンサルなどが提示する、賃金抑制策のための人事制度や施策に安易に飛びついていただけの例が多いのだ。

もう一つのやり口、有期雇用契約の活用と派遣労働の規制緩和による「非正規雇用者の増大」も、長年にわたる日本の給与水準抑制の大きな要因だ。これは日本社会の根を相当腐らせてしまった、アベノミクスの最悪の政策の一つだ。その動きに向けて旗を振り、経済オンチの政治家や官僚を言いくるめて、労働者から人材派遣業に富を移転させる道筋を作った人物たちこそ「A級戦犯」と言えよう。

でも人件費抑制を主たる方策としている限り、社員のやる気も帰属意識も高まらない。ましてや給与の不満を抱えた社員は、戦略的に付加価値を上げるために知恵をひねり出そうとは思わないし、転職の機会をうかがい続けているので本気では定着してくれない。これでは企業の生産性が高まるはずがないので結局、負のスパイラルに陥るしかない。

一部の企業はようやくそれに気づいたのだ。そのきっかけが今回の物価高だというのはちょっと情けないが、何もしないよりはずっとましだ。この動きがもっと広がれば日本という社会・市場が少しでも魅力を取り戻すことにつながると期待したい。

でも問題は、国内雇用の大多数を占める中小企業がこの賃上げに追随できるかだ。正直、かなり微妙なところだ。

先ほども触れたように、中小企業は取引先から価格を抑えるようにと要請されることが少なくない。原材料費が上がっても売値はそう簡単に上げられない、つまり価格転嫁しにくい。既にコスト削減が限界に来ているケースが大半だろうから、すると賃上げのための原資を確保するのが難しい。これが、中小企業で働く人の給料が上がらないどころか実質的には長期に下がり続けている、構造的要因だ。

その構造的要因を踏まえ、中小企業が賃上げを実現するには付加価値を確保・拡大する必要が絶対的にある。そのための方策は3つ。すなわち「適正な価格転嫁の実現」「差別化戦略の実行」「生産性の向上」の3つを組み合わせることだ。いずれも簡単ではない。

「適正な価格転嫁の実現」は直近の対策だ。主に大手企業と取引しているB2Bビジネスの場合を想定すると、過去の原価や売価の推移記録をエビデンスとして取引先に示し説得する、地道なやり方しかない。そしてそうした妥当な要請に耳を貸さないたちの悪い大企業取引先を思い切って「切る」一方で、よい取引先との取引を地道に開拓し増やすことで原価率を改善するのが近道だし、王道だ。

中期的な対策ながら、一番重要かつ効果的なのは2つめの「差別化戦略の実行」だ。長年のデフレ下で色々な業界が価格競争に陥ったのは、多くの企業が知恵を使わずに同質的な商品やサービスでの競争に埋没したからだ。特に中小企業はその傾向が強かったと思う。

裏返せば、今後中小企業が最も重要視すべきは、商品・サービスの差別化を図り、自社ブランドの開発を進めるなどで価格決定力を持っていくことだ。これは簡単ではないが、少なくとも個々の会社の頑張りと工夫次第で可能な話だ。そして成功事例はそれなりにあり、継続的に取り組むことで知恵はついてくるという性格の話だ。

3つめの「生産性向上」は、業界によっては短期的にも可能だが大半の中小企業にとっては中長期的な対策で、典型的にはデジタル化、さらにはDX化の推進だ。デジタル化の遅れによって日本の中小企業の労働生産性は大企業のおよそ半分だと言われている。だからデジタル化・DX化を進めなさい、というのが世の評論家や官僚たちの言い分だ。しかし事はそれほど単純じゃない。

多くの中小企業の業務で最も手間が掛かる部分は受発注および請求処理だ。その部分をDX化して効果を上げるためには、自社単独でIT化・ソフトサービス導入を実施するだけでは完結しない。むしろ中途半端に着手しても、一部はオンライン(しかも取引先に合わせて多数のシステムを導入しなくてはいけないことも少なくない)、一部はファクス、一部は電話での受発注処理、と却って煩雑化してしまいかねない。

いまだにファクスが受発注端末である業界が少なくないのは、そうした事情があるからだ(ファクスは受発注業務に使うには非効率的だが最も汎用的な手段だ)。小生は過去に複数の業界でこの問題に取り組んだ経験があるが、一つ片づけるだけでもとんでもない労力が掛かる話なのだ。

本当に受発注業務を効率化するためには川上と川下の業界が共通オンライン化しないといけない。そうなるとバリューチェーン上の業界全体でまとまることが必要になってくる。これに取り組むためには、地域経済を面倒みている地域金融機関が腹を据えて協力してくれるという条件が満たされないと、目途が立たないことがむしろ普通なのだ。

もしそういった条件が満たされるなら、中小企業庁や自治体の支援制度などもうまく活用して現実的なDX化を着実に進めることだ。ただしベンダーに勧められたからと安易に飛びつくと、使えないツールばかり抱えることになりかねない。よく調べて比較して、自分たちでよく考えることが不可欠だ。

こうした3つの方策のいずれかに挑戦すらできない情けない中小企業は、物価高で原材料費が上がる中で付加価値を確保できず、賃上げもできず、新しい働き手を確保できず、転職に自信がない能力的に劣る人材か高齢者しか残らなくなってしまう。

今は日本経済にとっても、そして中小企業にとっても正念場なのだ。