年齢を重ねるにつれ、「もらう側」から「あげる側」に変わっていくお年玉。ここではESSE読者267人に、お年玉に関するアンケートを実施しました。

ESSE読者267人に聞いた!「お年玉」エピソード

今では渡すことの方が多いかと思いますが、もらったときのうれしさやワクワク感は忘れられないですよね。そこで、お年玉にまつわる印象深いエピソードを教えてもらいました。

●今も忘れられない、お年玉の思い出

まずは、ちょっと悲しかったトホホな出来事からご紹介。

・「幼い頃は、年始に親戚が集まった際、食事をしてお年玉をもらうのが決まりでした。いつからか、今年の抱負を述べ、そのあとに特技や芸をしないともらえなくなり、幼いながら苦痛を感じていました」(神奈川県・41歳)

・「昔親戚からもらったお年玉で、袋をあけるとお金が入っていなかったときがあった。中学生くらいの頃だったのでそのままなにも言わず気持ちだけ受け取りました」(岡山県・38歳)

・「3人兄弟末っ子の私は、いつも上の兄弟より少ない金額で、『高校生になったらきっと同じくらいもらえるー!』と楽しみにしていたのに、実際高校生になったら叔父、叔母からお年玉を忘れられて、悲しかった」(福島県・37歳)

確かに、「ある」と思って期待していたものが「ない」とショックも大きいですよね…。自分があげるときも、中身が入っているか確認してから渡すように気をつけたいところ。一方、お年玉に対する憧れを抱いたという方も。

・「従兄弟のお兄ちゃんが社会人になった年に、私たち従兄弟全員にお年玉として10000円ずつくれた。大人になるってこんな大金を子どもにあげられるんだ、かっこいいな! と未来に対してキラキラしたイメージが湧いた」(香川県・38歳)

・「幼少期にお年玉を自分もあげてみたいと思い、折り紙でつくったカゴに10円玉を入れたものを親戚の会う人会う人に配っていました。しかも、親のお金で」(埼玉県・41歳)

●やっぱり気になるのはあの問題…

そして、やはりあったのが、「預かってるからね」のお年玉はどこへ問題です。まだお金の管理ができなかった幼少期、両親や親戚からお年玉を渡されたけど、「預かっとくね」と言われたという経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。

エピソードのなかには、「祖母が貯め続けてくれていたお年玉。娘が生まれ、見返してみたら何十万円にもなっていました。今はそれが元手となり、学資保険になっています」(東京都・40歳)というような、「家族が貯金してくれていた」といったものが多数ありました。しかし、一方で気づいたら両親が使っていたと回答した方もちらほらと…。

・「子どもの頃にもらったお年玉を大きくなるまで預かると父が管理していました。成人して就職準備に利用できるように、母が『そろそろ本人に渡してあげたら…』と父に言うと、『学費に使ったからない』との答えが…。私の学費、奨学金で払ったのですが〜(笑)」(千葉県・59歳)

・「子どもの頃に親が預かったお年玉が、結局どこに行ったのか疑問でした。そういう疑問をもたせないように、自分の子どもにはしっかり管理をさせています」(東京都・42歳)

といった、反面教師にしている方もいらっしゃいました。もし思い当たる節がある場合は、思いきって親に聞いてみるのもいいかもしれませんね。

●色褪せないお年玉と家族の思い出

・「亡くなったじいちゃんが、毎年年末ジャンボを100枚ほど買っていた。10万円以下は興味がないようで、番号がなかったら中学生の私にお年玉がわりに全部くれた。宝物を見つけるようですごく楽しかったです」(北海道・36歳)

・「20歳を迎えた成人式を迎える1月に、父からもう大人になるからお年玉はなしだよ、と言われました。寂しいような、でも自立した大人として認めてもらえてうれしいような…複雑な気持ちになったのが印象的で、三十路をすぎた今でもよく覚えています」(北海道・32歳)

成長するにつれて、いつか終わりも来る「お年玉」ですが、その思い出は年齢を重ねても残っている場合が多いようです。振り返ってみることで、懐かしさや忘れていた思い出が蘇るかもしれませんよ。