「離婚するまでの10年間レスでした」と語るのは大阪府のワーママ・千夏さん(仮名・30代)。学生結婚当初からの義理の両親との同居生活、初めての子育て、資格取得のための猛勉強…。とにかく必死の毎日だったという当時を振り返っていただきました。

学生結婚で夫の親と同居。慣れない新生活に必死で…

大学3年生の夏休み、学生結婚をしました。私のおなかの中に新しい命が宿ったことがきっかけです。夫は学生時代からずっとサッカーをやっていて、体育会系ではあるけれど、ものすごく几帳面な性格。毎日メールや電話をこまめにしてくれて、一緒にいるととても安心感がありました。

しかし、お互いまだ就職もしていない学生同士の授かり婚。順風満帆な船出とはいきませんでした。

●結婚の条件は夫と親と同居すること

とくに経済的な部分は両家の親に頼らざるを得ないことが多く、新婚生活は夫の実家に私たちが身を寄せる形でスタート。義理の両親はとても穏やかで優しい人ではあったけれど、その家ならではのルールに慣れていくことには時間がかかりました。

そもそも家事も初めてだったし、自分の家にいるときと違い勝手もわからず、戸惑うことの連続。たとえばホウレンソウをゆでるとき、私がお鍋のなかにパッとまとめて入れたら、義母に「芯のところを先に入れて、葉っぱの部分は最後でいいのよ」と注意される感じです。掃除も家具を全部どかしてから掃除機をかけ水ぶきをするなど、義母はとても細かいところまできれいにする人でした。

その都度、「なるほど!」と勉強するつもりで一生懸命にこなしていたのですが、身重の体で、夫の家のルールに従いながら生活するのとてもしんどかったです。

●医療事務の資格の勉強をしながら、初めてのアルバイトも

出産までになんとか手に職をつけておこうと思って、医療事務の資格取得に向けて猛勉強もしました。そして少しでも生活費のたしになればと思い、あいている時間には近所の本屋さんでアルバイトも。

今になって思えば、新婚当初は私にとってかなりオーバーワークでした。それでも、当時は「学生結婚だし、ちゃんとしなきゃ」という責務にかられ、とにかく必死でした。

愛より責任、性欲より母性。「この子は私なしでは生きていけない」

そんななか、無事に女の子が誕生しました。正直に言うと、妊娠がわかったときは不安いっぱいだったけれど、そんな気持ちが吹き飛ぶくらいの喜びに包まれ、小さくて温かい命の重さに涙を流しました。

●親の肩ばかり持つ夫。性欲より母性が勝ってしまった

夫の両親も孫の誕生を大喜びし、子育ても積極的にサポートしてくれました。

しかし肝心の夫はというと、父親としての意識が薄いのか、あまり戦力にはなりませんでした。夫は夫で就職したてということもあり、いっぱいいっぱいだったのかもしれません。

ある日、赤ちゃんのお風呂上がりに、義母から「湯冷ましを飲ませなさい」と言われたのですが、病院の先生には「ミルクの方がいい」と言われた話をしたところ、険悪な空気になってしまいました。何十年も前の育児法を押しつけられても困ると夫に相談したのですが、「一緒に住んでいるんだから、少しは配慮してよ」と言われたのです。

その後もなにかにつけて、夫は私に対し「親への配慮がたりない」という言葉をぶつけてきました。それで夜に「たまにはセックスしたい」と言われても、もうこっちは性欲どころじゃなくなってしまって…。

ホウレンソウのゆで方とか掃除の仕方くらいなら素直に受け入れられても、いざ子どものことになると譲れません。この子の母親は私。この子は私なしでは生きていけない尊い存在なのだと思うと、母性が勝ってしまいました。こうして言われたことにハイハイ従うのではなく、私も意見を言うようになると、義実家でギクシャクすることが増えました。

●悪いのは私なの?嫁ぎ先の家で強い孤独感に包まれる

自分の親や友人など周りの人には「自分の家を出てよその家に住むことになったんだから、その家のルールに戸惑ったり、わからなくて困ったりするのは当たり前だよ」と私のことを励ましてくれました。

でもいちばん味方でいてほしかった夫は「お前が合わせるのが当然でしょ。この家のルールに従えないなら、同じ釜の飯は食べられないよ」と冷たく諭されてしまうのです。

孤独な義理の実家での生活を送りながら、夫が誘ってきても、とても触れ合いたいという気持ちにはなれません。家の中で、私の孤立はどんどん深まっていきました。

●夫に言えなかった、レスの本当の理由

産後でホルモンバランスが崩れていたり、寝不足で疲れているなど、一般的なレスの原因になるようなことはもちろん私にもありました。夫はそういうことが原因だと勝手に解釈していたようですが、本当はもう少し家の中で私の居場所をつくり出してほしいという気持ちがありました。

なにかにつけて「親へ配慮がたりない」とか「合わせるのが当然」という言い方をしてくる夫に対し、甘えたりいちゃいちゃしたりしたいという感情は完全に消滅。
「朝、起こされると困るから」と適当な理由をつけて、寝室も別々にしました。

居心地の悪い生活を送り続けるなか、唯一の心の支えだったのが私の母です。

なにかあると夜中でも電話に出てくれて、話を聞いてくれた優しい母。しかし、そんな母が病に倒れてしまい、私は心の拠りどころまで失ってしまいます。