目立ちたいという思いは本能からきている(写真:ふじよ/PIXTA)

目立つことがよいケースもあれば悪いケースもあります。その違いはどこから来るのでしょうか。『最新研究でわかった ”他人の目”を気にせず動ける人の考え方』より、目立つことの仕組み、そして良い目立ち方をするにはどうすればよいか、ご紹介します。

「普通と違うもの」に注意が向かう

「出る杭は打たれる」のが日本社会だと、よく言われます。集団の序列を崩すような行動は常にチェックされ、最悪の場合、集団から排除されてしまいます。

異質なものに目が向くのは、人間の生存本能の1つです。なにか「普通と違うもの」があれば、自分の生命を脅かすものでないか確認しないといけません。そのために、人間は本能的に「普通と違うもの」に注意が向かうのです。

言語学には、有標と無標という概念があります。数ある定義の中で、シカゴ大学の言語学者ジェームズ・D・マコーレーの定義によれば、ある状況で、標準、普通、当たり前のものを「無標」、異質、非標準、逸脱しているものを「有標」と言います。

同じモノでも、状況によって有標にも無標にもなる点にご注意ください。坊主頭の集団に1人だけ長髪の人がいたら長髪が有標、坊主頭が無標です。逆に、長髪の集団に1人だけ坊主頭の人がいたら、そこでは長髪が無標、坊主頭が有標です。

これを人間関係に応用するならどうなるでしょう。会った人に印象を残したい、自分に関心を持ってもらいたいと思ったなら、その環境において自分が「有標」にならないといけない、ということです。

ある集団での「キャラかぶり」(同じ特徴を持った人が複数いること)が嫌がられるのは、そのせいです。本来、人間は自分の唯一性を打ち出すことで注目され、評価されて、承認欲求を満たしていくものです。それは当然、進化心理学的には、より多くの魅力的な異性に選ばれるためでもあります。

だから、みんなと同じはイヤ。人よりも強くありたい、美しくありたい、賢くありたいと願う。それは男女問わず、生物としての人間の本能だと考えた方がいいと思います。

置かれた環境を考慮して有標になる

ところがキャラかぶりが生じると、自分の唯一性が脅かされてしまう。だからひどく嫌われるのです。これが同族嫌悪の正体でもあります。

では、集団で有標となるには、どうしたらいいのでしょう。例えば、「礼儀正しい」ことを当たり前とする環境では、礼儀正しい人ほど埋没します。かといって礼儀知らずでは、それこそ「出る杭は打たれる」の通り悪目立ちし、排除されてしまうでしょう。

大切なのは、ポジティブな意味で有標になることです。

有標性というのは、何かと何かの組み合わせでも生まれます。普通にあるもの同士でも、その組み合わせがこれまでにないものを作るのです。いわゆるビジネスの世界で「イノベーション」と呼ばれるものと同じです。

イノベーションは往々にして、これです。電話と手紙を組み合わせファクスが作られ、携帯電話とパソコンを組み合わせてスマートフォンが作られました。

組み合わせるもととなる要素については、本当に何でも良いのですが、一応、人の印象を形成する要因となるものを考えてみましょう。人の印象を形成する要因は、実は非常に複雑で、まず大きく、「印象を与える人」と「印象を形成する人」と「印象が形成される場」に分けられます。


また、これら三つの要因も、たとえば「印象を与える人」ひとつとってみても、外見、年齢、職業、表情やしぐさ、話の内容や声の感じなど、非常に多様な構成要素があります。これらの要素を組み合わせるさいに、普通にない組み合わせを考えていけばいいのです。

たとえば、見た目は無骨だけど繊細な趣味を持っているなど、組み合わせに意外性があれば「ギャップ萌え」などと呼ばれるものになったりもします。まずは自分の持っている「要素」をリストアップしてみて、それらをどう組み合わせ演出していくかというのを考えてみるといいかもしれません。

私の例で恐縮ですが、職業的には硬そうな大学教授なのにカジュアルな服装とコミュニケーション・スタイルで、サーファーという要素の組み合わせは、そこそこ有標らしく、初対面の人にも覚えてもらいやすいと感じています。

(堀田 秀吾 : 明治大学教授)