日銀の低金利こそ失われた30年の元凶/純丘曜彰 教授博士
日銀は、バブル崩壊後の低調な国内経済の回復のために、1995年来、もはや四半世紀以上に渡って異常な低金利政策を続けている。が、まったく結果が出ていない。それどころが、それこそが「失われた30年」の元凶であり、氷河期世代の、そして、いまの若者の人生の破壊者なのではないか。
たしかに教科書では、低金利にすれば、貯蓄よりも消費にカネを回したくなって、景気が刺激される、ということになっている。だが、それは、所与の条件が一定である場合、というまったくの仮設の上の話だ。
経済指標として重視されるものに、新設住宅着工戸数がある。家を建てれば、車や家具、家財の購入へ幾何的に波及するからだ。しかし、逆転すれば、その逆数で経済は縮小する。しかるに、バブル崩壊直前まで、167万戸であったものが、その後、だだ下がりとなり、この30年を経て、いまやその半分の87万戸。これでは、今後も景気が良くなるわけがない。それどころか、今後、もっと、止めどなく悪化する。
それで、おそろしいほどの低金利にして、だれでも住宅ローンが組みやすいように、と日銀は国民を慮ってやっているつもりらしいが、いかにも、スーパーで買い物をしたこともないじじいばばあの考えそうな浅知恵だ。家が建たない、家を建てようとしないのは、カネが無い、という以上の日本の社会問題、ファンダメンタルの崩壊が背景にあるからだ。日銀の連中は、世の中の現場に出て、自分の目で見てみるがいい。
まず第一に、いったいだれが工事をするのか? 建設に係わっているのは、もはや高齢者ばかりだ。ちょっとした工事を頼んでも、半年先、一年先は当たり前。戦後の高度経済成長期のように、相続から外れた農家の二男坊、三男坊が田舎から大量に出てくるわけでなし、稲作から商業作物のポートフォリオになって、農閑期の出稼ぎも無くなった。外国人労働者も、コロナでばったり。そうでなくても、あまりの停賃金、高生活費で、あまり日本には来たがらない。おまけに、建設業関連企業の経営者からして高齢化が著しく、労働者も集まらないために、ばたばたと廃業していっている。
それなら、工賃を上げればいい、などというのも、現状を知らない発想だろう。家を買う側は、若手。ところが、年金だ、介護保険だ、消費税だ、と、賃上げも無しに、ひたすらむしりとられ、そのうえ、将来の雇用にも不安しか無い、となるといくら長期ローンにしたところで、格安の物件にしか手が出ない。それに応えるべく、徹底的に合理化した企画住宅を新興住宅メーカーが手がけているが、これまた、その安普請の工事を請け負う業者が確保できない。それどころか、ウクライナ問題のウッドショックに、コロナのロックダウンでサプライチェーンが途切れ、木材や部材さえも手に入らない。
そもそも、家を建てる、建てない、という以前に、若手が結婚できない。家族を作れない。中曽根以来の経営者優遇とバブルの埋め合わせのために、労働分配率、正社員雇用が削り取られ、男も女も、家族を養い、子供を育てるに足るだけの収入を得ていない。独身の若手でも明日の生活再生産がぎりぎり。年齢がいけば、体力気力も落ち、就業機会が減って、ゆっくりと経済的な「死」へ向かっていくのがわかっている。そんな経済的に死にゆく相手と、だれがたがいに結婚しようとするだろうか。かくして、インセルに追いやられた連中は、アニメとアイドルとストロング缶で、また、インセルたちに絶望したステイシーたちはパパ活やホスト狂いで、憂さ晴らしの刹那的な生き方に若さを費やし、いよいよ自分たちで自分たちの首を絞める。こうして、日本は、人口が減り続け、経済も縮小を続け、底なしの泥沼に落ちていっている。
金利がゼロ、というのは、たんに経済の問題ではない。無駄遣いをせず、まじめにコツコツと働いて貯金し、夫婦で、家族で力を合わせ、いつかもっと大きな夢をかなえる、という未来の希望、日本人らしい堅実な生き方の美徳、モラリティそのものを、日銀は、この30年にも渡って徹底的に破壊し尽くした。親ガチャと言うように、この国では、もはや世襲で既得権商売を引き継ぐか、さもなければ、youtubeか外貨投資かなにか、うさんくさい方法で一発どかんと大きく当てない限り、奴隷同然の不遇孤独な境遇で老いさらばえていく一生が待っているだけ。
経済バカの日銀は、日本人の堅実な生き方の美徳と希望を破壊した、この倫理的な責任をまったく理解していないのだろうか。それとも、目先の景気刺激策で、老害団塊世代が死ぬまで、せめて自分の任期中だけでも、年金経済がもてばいい、若者はそのための生贄の燃料だ、と開き直っているのか。こんな姑息な日本経済を舵取りのどこに、国家百年の大計があるのか。