5月16日に廃業した和菓子屋の紀の国屋には、「相国最中」など人気商品があった(写真:紀の国屋のホームページより)

5月16日、東京・武蔵村山市に本店を構え、「相国最中(しょうこくもなか)」などの人気商品を抱える創業74年の和菓子メーカー、紀の国屋が廃業した。多摩地区を中心に20店舗を展開していた同社の突然の発表にSNSでは惜しむファンの声があふれている。2021年には「宝まんぢゅう」で知られる仙台の宝万頭本舗も自己破産している。

2社とも、自己破産した直接のきっかけはコロナ禍と見られるが、帝国データバンクによると、紀の国屋は1993年に本店工場を移転新設した際の金融負債を抱えていた。1日2万個売り上げるとしていた相国最中など、自社製造の餡など品質への評価は高かったが、顧客層が高齢化したことや、砂糖などの原材料の価格上昇が重荷になっていたとしている。

和菓子への支出は減少傾向

農畜産業振興機構によると、和菓子は生産額のピークは1993年で、その後30年間ずっと右肩下がりである。総務省の家計調査によると、2021年の1世帯当たりの和生菓子の年間支出金額は9920円。2008年の1万2172円と比べると、2252円減少している。洋菓子店はコロナ禍で持ち直したが、和菓子店はなぜ、これほど苦戦しているのだろうか。考えられる要因は5つある。


1つは、和菓子を使う場面が限定されがちなことだ。洋菓子は、手土産や誕生日パーティーなどのハレの需要もあれば、日常的なおやつに用いられることもある。コロナ禍では、在宅時間の合間におやつとして食べる人が増えたことが、洋菓子店の需要増につながり、倒産も急減した。一方、和菓子は手土産や旅行の土産など、ハレの日需要が中心だ。

コロナ禍の影響で廃業した2社は、手土産需要が減少したことが決定打になっている。特に2020年、2021年は、感染を予防するため帰省を控える傾向が強まり、旅行や出張もしづらかった。手土産が購入目的の中心にある銘菓ほど、ハレの機会の減少は大きな痛手になる。

リーマンショック後、洋菓子のブームが去ってパンブームが到来したが、それはパンが日常遣いしやすかったことも影響していると考えられる。和菓子はハレの日需要が根強く何とかもってきたが、コロナ禍で耐えきれなくなったのだろう。

2つ目の要因は、都市部を中心に和菓子文化が身近にない人が増えていることだ。若い世代ほどその傾向は顕著で、オールアバウトと、「うなぎパイ」で知られる春華堂が2017年4月、首都圏の10歳以上の男女1299人を対象に行った和菓子に関する調査で、その実態がうかがえる。

10代で週に数回和菓子を食べる人は約2割で、洋菓子の半分ほどしかいない。10〜20代は、価格の高さに加え「かしこまった感じがする」「気軽に食べられない」と和菓子を敬遠している。

さらに「ういろう」「落雁」「ねりきり」といった和菓子を50代以上は約半分が認知しているのに対し、10〜20代は1〜3割しか認知していないことなどが判明している。

伝統や日本文化が「重荷」に

子どもの頃、日常的に食べる機会がなかったから、成長しても和菓子にはあまり手を伸ばさない、あるいは好みに合わない人が多いのではないだろうか。だから、需要がハレの日に限定されがちになる。和食もそうだが、伝統や日本文化を売りにする和菓子に、ハードルの高さを感じている人も多いようだ。


東京・新宿の京王百貨店にあった紀の国屋の店舗には営業終了のお知らせが(19日、編集部撮影)

そもそも、和食文化全体が日常から離れてきたのは、堅苦しいイメージの影響も大きい。法事などの改まった行事では和食店の門をくぐるが、日常的な会食ではイタリア料理店や中華料理店などを使う人も多いのではないか。和菓子の場合は、茶道をしている人が正座していただくイメージもありそうだ。和の文化は伝統ゆえに、正しく臨まなければ許されないような重たい印象があることは否めない。

3つ目は嗜好の変化。あんこやようかん、最中が苦手といった人は珍しくない。洋菓子やスナック菓子といった、スーパーやコンビニでも手軽に手に入るライバルスイーツが増え、和菓子を食べる機会は減っている。

次々に起こる食のトレンドをリサーチしてわかるのは、ほとんどの流行が外国料理に由来すること。そうした食の多様化は都会だけではない。インド料理店やイタリア料理店は全国各地にある。

移民が多い町も全国各地にあり、本格派の味を地元で楽しむ人もいるだろう。目新しい外国ルーツの食が溢れているから、相対的に和の食文化の出番が減っていく。そうした影響が、和菓子離れにもつながっているのだ。

世代交代が痛手に

4つ目は、消費者の世代交代。半世紀ほど前の高度経済成長期に、都市へ移り住んで核家族を作る人が増え、祖父母と孫が一緒におやつを食べる機会があまりない家庭が珍しくなくなった。食文化の世代間継承が行われにくくなったことが、和菓子の衰退に大きな影響を与えているのではないか。地域密着型の店が多い和菓子は、親しんできた店がない人は食べなくなってしまう可能性もある。

また、高度経済成長期、郊外にできたニュータウンに洋菓子店は珍しくないが、和菓子店はあまり多くない。全国各地で親しまれてきた地域の和菓子店は、日常的におやつに買う、記念日などハレの日に買う、手土産にするなどで便利に使われるが、そうした店が近所になければ、何かあれば和菓子を食べる習慣はできにくい。

平成以降はさらに、地元から離れて暮らす人が増えたことや、共働きが多数派になったことなどから、他人の家庭を訪問する機会も減る傾向がある。それはつまり、手土産に地元の名店の和菓子を持参する機会も減ったことを意味する。

昭和時代は、手土産を通して子供たちが地元や地方の銘菓に触れる機会がたくさんあったが、そうしたモノに触れないまま育つ子供も増えているだろう。そこへ、少子高齢化による人口減少も追い打ちをかけている。

5つ目の要因として、製造者の世代交代の減少が考えられる。和菓子屋のほとんどが小規模の個人店で、手作りを大切にする店が多い。紀の国屋のように、規模が大きくても、味の要となる餡を手作りするところもある。小豆は高温で熱しながら練らなければ、ツヤのあるおいしい餡にならない。和菓子作りは重労働なのだ。

上生菓子のように、熟練の技を必要とする手の込んだ和菓子も多い。職人が足りない、後継ぎがいないなどの理由で閉店する和菓子屋もたくさんある。そして地元の和菓子屋がなくなってきた。

一方で、需要減を克服するため、新たな挑戦をする和菓子メーカー・店が近年増えている。プチギフトや自分へのご褒美、日常遣いなどの需要を掘り起こす試みをしている店はいくつもある。虎屋や青柳総本家など、ようかんやういろうの個包装化を進める和菓子メーカーや、1個単位で販売する和菓子屋がある。

また最近は、ネオ和菓子と呼ばれる和洋折衷スタイル、あるいは映えるビジュアルの和菓子を販売する店が増えている。東京の虎屋はあんペーストなど、洋に振った商品を次々と開発し、若い世代が入りやすい「トラヤあんスタンド」を展開している。

京都を代表する手土産の八ツ橋には、チョコレートやイチゴミルクなどを挟んだ粋都(すいーつ)シリーズもある。2011年に東京・長原で開業した「wagashi asobi」は、ドライフルーツを入れたようかんで話題を呼ぶ。福島・会津若松市の老舗の会津長門屋は、錦玉羹を組み合わせたインスタ映えする「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン 羊羹ファンタジア」が人気だ。

生まれ変わる「おはぎ」「大福」

また、手軽な和菓子でも、おはぎやフルーツ大福などの味のバリエーションとビジュアルのかわいらしさを売りにする商品が流行している。現代人の嗜好とビジュアル重視の傾向に合わせた商品を開発し、販売する和菓子店は増えているのだ。wagashi asobiのように、「ネオ和菓子」を引っ提げ新たに開業する店もある。


名古屋発の「OHAGI3(おはぎさん)」は、ココナッツなどこれまで和菓子ではあまり使われていなかった食材などを使って人気を集めている(撮影:今井 康一)

イチゴ大福の登場が1980年代。ブルボンがチーズおかきを発売したのも1984年。洋菓子がすっかり定着したその頃から始まった、和菓子の洋風化。本格的に変化し始めたのはここ数年とはいえ、やがて定着するネオ和菓子もたくさんあるだろう。

考えてみれば、味噌汁・ご飯と組み合わせるとんかつも、昭和初期は洋食扱いだったのだ。カレーやラーメンも、今や世界で「日本食」として受け入れられている。製造者さえ変化を恐れなければ、和菓子も新しい装いで進化できる。すると、グローバルに受け入れられる「日本菓子」として大きく成長する時代が到来するかもしれない。

(阿古 真理 : 作家・生活史研究家)