現地時間1月7日(木)に俳優のシドニー・ポワチエが逝去した。94歳だった。バハマ大統領の報道官が複数のマスコミに認めている。ポワチエはアメリカとバハマの二重国籍を持っていた。

1927年にアメリカのマイアミで誕生したポワチエ。両親はバハマ出身の農民だった。予定日の2か月前に未熟児で誕生したポワチエを両親は長く生きることはできないと思ったという。父親が赤ちゃんの棺用に靴箱を持って帰宅したというエピソードが残っている。一家はその後バハマに戻る。そこで幼少期を過ごしたポワチエは15歳で再びアメリカへ。フロリダで兄と暮らしその後入隊する。

演技の道に進んだのは除隊後。皿洗いなどの仕事をしながらアメリカン・ニグロ・シアターで演技の勉強を始めた。才能を認められたポワチエは1946年にブロードウェイの舞台に出演。1950年の映画『復讐鬼』で本格的に映画界に進出、1955年の映画『暴力教室』で注目を集める。1958年の映画『手錠のままの脱獄』ではトニー・カーティスとダブル主演を飾り2人ともアカデミー主演男優賞にノミネートされた。惜しくも受賞はならなかったが1963年に映画『野のユリ』で再びノミネート。アフリカ系俳優として初めてアカデミー主演男優賞を受賞した。彼はこの作品でゴールデングローブ賞の主演男優賞にも輝いた。

映画界への貢献を世界中から称えられ2000年に全米映画俳優組合賞功労賞、2002年にアカデミー賞名誉賞、2016年に英国アカデミー映画賞(BAFTA)生涯功労賞を受賞している。また1974年には大英帝国勲章、2009年には大統領自由勲章を受勲した。1997年から2007年にかけてはバハマ駐日大使に任命された経験も持つ。

ポワチエはハリウッド作品にアフリカ系俳優の役が少なかった時代から活躍、実力派人気俳優として他のアフリカ系俳優たちの地位向上や待遇改善にも貢献してきた。1967年に出演した映画『夜の大捜査線』では人種差別の根深いアメリカ南部で殺人事件の捜査にあたる刑事ヴァージル・ティッグスを演じた。白人容疑者に顔を叩かれティッグスが殴り返す場面が登場するが、監督は当初叩かれたティッグスがそのまま立ち去るシーンにしようとしていたという。ポワチエはこの演出を拒否。監督に「それはできない。少なくとも私はある価値観を尊重するという責任を持ってカメラの前に立つ。私の価値観は黒人コミュニティの価値観と切り離されていない」と抗議したという。映画界だけでなくアフリカ系コミュニティ、アメリカ社会全体にも大きな影響を与えたポワチエ。その功績を称えつつ安らかな眠りを祈りたい。