先週末の夕食に何を食べたか、あなたは覚えているだろうか。そうした「出来事」に関する記憶は「エピソード記憶」と呼ばれる。そして特定の出来事があった時間や場所を正しく思い出せる能力は、一般に年齢とともに衰えていく。

「イカは“記憶力”をもち、しかも加齢では衰えない:研究結果」の写真・リンク付きの記事はこちら

実は人間だけでなく、イカの一種であるヨーロッパコウイカも、ある種のエピソード記憶の能力をもつようである。しかも、その記憶力は人間とは異なり年をとっても低下しないとする論文が、学術誌『Proceedings of the Royal Society B』のオンライン版に2021年8月21日付で発表された。

「ヨーロッパコウイカは、どこで何をいつ食べたのかを覚えており、その記憶を使ってのちに餌をとるときの決断を下しているのです」と、ケンブリッジ大学の研究者で論文執筆者のひとりであるアレクサンドラ・シュネルは語る。シュネルたちの実験は、マサチューセッツ州ウッズホールにある海洋生物学研究所で実施された。「驚いたことに、イカたちがこの能力を加齢で失うことはありません。筋肉の機能低下や食欲を失うなど、老化を示すほかの兆候が表れていてもです」

イカは「我慢」もできる!?

実はシュネルたちの別の研究について、「Ars Technica」は2021年3月に紹介している。こちらの研究は、ヨーロッパコウイカが「楽しみ」をあとに延ばすことができることを示すものだった。具体的には、イカたちは有名なスタンフォード大学の「マシュマロ実験」(人間の子どもの自制力を試す実験)をイカ向けにつくり変えたものに合格したのである。

この実験は、イカたちが「あまり望ましくない獲物」に甘んじることなく、好物の獲物を手に入れるために少し待つかどうかを調べるものだった。続く学習テストでも、イカたちは優れた成績を残した。自制心と知能との間のこのような関係が、哺乳類以外で認められたことは初めてという。

実験においてヨーロッパコウイカは、2種類の異なる獲物のどちらかを選ばなければならなかった。「キングエビの生の切り身」をすぐに食べるか、あるいは楽しみを先延ばしにして、より好物である「生きたグラスシュリンプ」を食べるか選べるようになっていたのである。

このテストの最中、イカには両方の選択肢が見えている。グラスシュリンプを手に入れる我慢ができなくなった場合は、いつでも待つのをやめて、キングエビを食べられるようになっていた。

さらにヨーロッパコウイカたちには、認知能力を評価するための学習課題も与えられた。まず最初に、褒美である特定の獲物と視覚的なシンボルを関連づけることを学習させる。次に状況を逆転させ、同じ獲物が異なるシンボルに関連づけられるようにした。

結果として、実験の対象となったすべてのヨーロッパコウイカが、より好物の獲物をもらうために待つことができ、最大で50〜130秒の遅れを我慢できたという。これはチンパンジーやカラス、オウムなど脳の大きな脊椎動物に匹敵する結果だ。

イカにもある「エピソード的記憶」

今回の新しい研究では、ヨーロッパコウイカに何らかのエピソード記憶(特定の過去の出来事について、いつどこで何が起きたのかに関するコンテクストと共に思い出す能力)があるかどうかに焦点が当てられた。人間はこのような能力を4歳ごろに身に付けるが、このエピソード記憶は高齢になると衰える。

これは、「意味記憶」とは対照的だ。人間の意味記憶とは、時間や場所といったコンテクストとは関係しない一般的に学習した知識を思い出す能力である。こうした意味学習の能力は、年齢が上がってもそこまで変わらないことがわかっている。

人間の脳の海馬領域は、エピソード記憶において重要な役割を担っている。年齢とともに海馬領域の機能が低下することにより、人間のエピソード記憶も加齢とともに衰えると考えられている。

科学者たちは長い間、エピソード記憶は人間にしかないと考えてきた。なぜなら、このように記憶を取り出すことは、「思い出す」という意識的な行為と関係しているからだ。人間は、こうした側面を言語的に表現できる。(人間のようなかたちの)言語をもたない動物たちにおいて、そのような意識的な経験が存在するのか。その可能性について評価することは格段に難しい。

それにもかかわらず、これまでに複数の動物種が「エピソード的記憶」の能力を示すことがわかっている。人間の場合の「エピソード記憶」とは異なるエピソード的記憶という言葉は、こうした分野を研究する科学者たちが「自己を時間のなかに投影するという認識に関して、人間独自の言葉や意識を想定しているのではないことを明確に示す」目的で使っているものだと、シュネルたちの論文の脚注には書かれている。

例えば1998年の研究では、鳥のカケスが自分が手に入れた餌をいつ、どこに蓄え、その餌が何であったかを記憶できることが判明している。エピソード的記憶を示す行動は、カササギや大型類人猿、大型のネズミ、ゼブラフィッシュでも確認されている。

エピソード的記憶があるという科学的証拠は、ヨーロッパコウイカでも確認されている。ヨーロッパコウイカは海馬をもたないが、特有の脳構造と組織をもっている。そしてその「垂直葉」は人間の海馬における機能的結合性によく似た機能、つまり学習と記憶の能力を示す。

過去のいくつかの研究では、ヨーロッパコウイカが餌を手に入れる行為を「未来志向的」に最適化できることがわかっている。つまり、過去にいつ、どこでどのような餌を手に入れたかの詳細(エピソード的記憶の特徴)を記憶し、状況の変化に応じて獲物を得るやり方を変える能力があるのだ。

年齢とともに衰えなかった“記憶”

それでは、このような能力は年齢とともに変化しないのだろうか。シュネルたちのチームはこの問いを探求するため、ヨーロッパコウイカを対象にした意味記憶とエピソード記憶に関する一連のテストを作成した。ヨーロッパコウイカは寿命が約2年と比較的短いので、こうした研究の候補として最適だ。

シュネルたちは実験に24匹のヨーロッパコウイカを使った。そのうちの半分は若く(10〜12カ月)、半分は高齢である(22〜24カ月、人間の90歳に相当すると考えられる)。すべてが海洋生物学研究所で卵から育てられ、それぞれ個別の水槽で飼われてきた個体だ。

研究チームは最初に各水槽の中の特定の場所を示すことにより、ヨーロッパコウイカが視覚的な手がかり(白黒模様の旗)に反応するようにするトレーニングを実施した。するとヨーロッパコウイカたちは、楽しみを先延ばしできることを突き止めたシュネルの前回の研究と同様に、自分の好きな獲物を選ぶことができた。生きたグラスシュリンプか、同じ大きさのエビの切り身のどちらかだ。

その後4週間をかけてヨーロッパコウイカたちは、2種類の獲物が旗を振って示される特定の場所において、エビの切り身は1時間遅れて、イカが好むグラスシュリンプは3時間遅れて与えられることを学習した。イカが単にパターンを学習しているわけではないことを確実にするために、これら2カ所の餌を与える場所は毎日変えられた。

シュネルたちのチームが驚いたことに、対象となったすべてのヨーロッパコウイカが、年齢に関係なくそれぞれの旗の場所でどちらの獲物が先に現れるかに気づくことができたという。さらに、その観察結果を利用して、その後の餌やりのたびに自分の好きな獲物がどこで見つかるのかを推測することもできた。

これは特定の出来事を思い出すことに関して、加齢に伴う衰えを示すように見えない動物がいることを示した初めての科学的証拠になる。この驚くべき能力は、ヨーロッパコウイカが老化で餌を食べなくなったあとも、死亡するほんの数日前まで垂直葉が衰えないからではないかという仮説を、研究チームは立てている。

繁殖行為の際に役立つ?

さらに論文では、ヨーロッパコウイカはこの能力を進化的な圧力、とりわけその繁殖時期がライフサイクルにおいて遅いことに対する対応として進化させたのではないかという考えが示されている。

「記憶するというタスクに関して言うと、高齢のヨーロッパコウイカは若いイカたちとまったく同等です。実のところ年齢が上のイカのほうが、実験段階の成績は優れていました」と、シュネルは語る。「わたしたちはこの能力について、野生のヨーロッパコウイカが繁殖行為をした相手を覚えておき、同じ相手のところに戻らないようにする上で役立つのではないかと考えています」

とはいえ、ヨーロッパコウイカが加齢に伴う記憶力の低下と無縁であるわけではない。論文には、高齢のヨーロッパコウイカでは記憶保持の成績が悪かったこと(加齢に伴う長期記憶の低下を示す可能性がある)や、記憶の保存に関連する垂直葉以外の脳構造の退化を示す兆候が、これまでの研究で示されていると言及されている。

シュネルたちの研究チームは今後、ヨーロッパコウイカの神経構造をさらに詳細に調べることは役に立つと考えている。また、ヨーロッパコウイカがエピソード的記憶の能力をいつ身に付けるのか(孵化の直後か、もっとあとか)も突き止めたい考えだ。

論文は以下のように結論づけている。「全体的に見て今回の研究結果は、加齢に伴うエピソード的記憶系の機能低下を抑止する研究に関して、ヨーロッパコウイカが興味深いモデルになるということに焦点を当てている」

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