かつてアナウンサーだった私は、天真爛漫だね、などと言われることも少なくなかった。その都度、自分の内面の暗さは表面化していないのだな、と安心した。

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久保田智子さん

20代の頃、医師から告げられた「子供は難しいでしょう」

「子供は難しいでしょう」。そう医者に告げられたのは20代の頃だった。それからというもの、自分は不幸の塊だと思って生きていた。結婚して、子供を持って、いつか孫ができて、死んでいく。それまで当たり前に思い描いていた人生の歩みは、自分にとっては決して当たり前ではなく、どんなに努力をしても手に入らないのだと、絶望感しかなかった。

 それでも、自分だけが不幸ならまだましだった。私がいることで、私に関わる人までが不幸になるのを見るのは何より辛かった。外で誰かの子供が遊ぶ姿を見て、自分の子供のことを思い出したり、早く孫が欲しいななどと微笑ましく感じる方は多いだろう。私の両親は違った。よその子供を見ると、泣いていた。そんな両親に私はかける言葉が見つからなかった。人並みに私も人を好きになることはあったが、自分は家族を作ることはできないから、私が好きになったことで相手を自分の不幸に巻き込んではいけないと思った。だからいつも好きになりすぎてはいけないと自制した。とどのつまり自分なんていない方がいいんじゃないかと思うこともあったが、できれば人に迷惑をかけないで、死ぬまでひっそり生きていける居場所がみつかればいいなと願っていた。

ワイドショーで「おめでとうございます」と笑顔で伝えながら

 あれは私がアナウンサーでワイドショーを担当していた頃だったと思う。芸能ニュースには頻繁に芸能人のオメデタが取り上げられ、「おめでとうございます」と笑顔で伝えながら、いつも胃がキリキリと痛んだ。オメデタのない私は一生オメデタイ人間にはなれないのだと、当時の私はかなり自虐的だった。そんな時、テレビでこれまでに見たことのない家族の形を目にした。画面に映る夫婦には子供ができなかったが、養子を迎え、育ての親として暮らしていた。子どもの泣き声に飛んでいき、あやしながら笑う母親は、とても幸せそうだった。夫婦が利用していたのが「特別養子縁組」だった。

「特別養子縁組」で初めて自分の存在を肯定することができた

 このことが、私の人生観のコペルニクス的転回になる。「特別養子縁組」とは、養子となる子どもは生みの親との法的な親子関係を解消し、養親は実の子と同じ親子関係を結ぶ制度だ。目的は子どもの福祉の増進を図ることで、子どもの幸せを第一に考えられている。それまで生んで育てるのが親になる唯一の条件だと思っていた私だったが、産まなくても、親になれる、家族になれるのだと知った。そして何より、不幸の塊だと思っていた自分でも、誰かの幸せに貢献できるのかもしれないと思った。私は、初めて自分の存在を肯定することができた。

 2015年に結婚し、2019年に私たちは特別養子縁組で娘を迎えた。自分で言うのもなんだが、今では見た目も、内面も、天真爛漫そのもの。いつも全身でニヤニヤしていてオメデタイ。娘のための制度であることはもちろんだが、私自身も幸せで幸せでしょうがない。そして思うのだった。かつての悩みはいったい何だったのだろうと。

どん底にいると感じていた人が、こんなにも幸せになれる

 特別養子縁組をしても、私自身が変わったわけではない。今でも子供を産むことはできない。つまり私の悩みは、産むことでのみ親になれると家族のあり方を限定していたことから起きていたのだと思う。「産んで育てるのが親」だけでなく、社会には当たり前とされていることが数多存在し、それが当たり前にできる多くの人には何の疑問も持たれないだろう。一方で、その当たり前から漏れてしまう人は必ずいて、当たり前と自分の現実との差に苦しめられる。私の場合は、特別養子縁組という、その当たり前の境界を柔軟にし、法的な地位を与えてくれる制度ができ、運良くそれに気づいて救われた。

 多様性、社会的包摂など、全ての人が生きやすい社会を目指す動きが昨今注目されている。当たり前とされることを否定する必要はもちろんないが、自分のかつての辛かった日々を思うにつけ、個人のありのままを当たり前に包摂できる社会であってほしいと心から願う。そのことだけで、どん底にいると感じていた人が、こんなにも幸せになれるのだから。

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 久保田智子さんの寄稿「特別養子縁組で親になる」は、「文藝春秋」3月号の「巻頭随筆」と「文藝春秋digital」に掲載されています。

(久保田 智子/文藝春秋 2021年3月号)