ミャンマーの最大都市ヤンゴン。仏教徒が約9割を占めるが、少数派イスラム教徒も実は共存する。しかし、同じイスラム教徒であるロヒンギャについては国籍が付与されず、史料も限られていることから複雑だ(筆者撮影)

ミャンマーで起きた軍事クーデターを受け、拘束されたアウン・サン・スー・チー国家顧問の解放に向けて、市民から次々に静かなる抵抗運動がオンライン上で広がっている(参考:「ミャンマーの若者たちが示す静かで力強い蜂起」2021年2月3日配信)。

ミャンマーで普及率の高いFacebook上では、市民らが次々にプロフィールアイコンを国民的英雄であるスー・チー氏の凛々しい顔が描かれたイラストに変更。「#SaveMyanmar(ミャンマーを救え)」のハッシュタグを使った投稿があふれ、「2021年、1960年代や1990年代と異なるのは、私たちはテクノロジーを有しているのです、インターネットなどで世界とコミュニケートできるのです。私たちは今こそそれを使うべきです」と、強い連帯の決意を表す言葉も垣間見られる。

ミャンマー国民はスー・チー氏を英雄視するが……

ミャンマーはもはや、”閉ざされていない”。誰もが世界に向けて発信できるSNSという強力な武器を得た若者たちが、暴力や権力を超えて一つの力を生み出し、国民の英雄的存在であるスー・チー氏の解放に向け、そして民主主義を守るために闘っていこうという強い意志がオンライン上にあふれている状況だ。

しかし、スー・チー氏を英雄視して解放を訴えるミャンマー国民たちとは一線を画した反応を示しているのは、激しい軍事弾圧で隣国バングラデシュへ逃れたミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャだ。

コックスバザールの難民キャンプから人身売買の末、船でマレーシアに辿り着いた知人のロヒンギャ難民男性はFacebook上でためらいもなく、スー・チー氏拘束に歓喜の声をあげた。スー・チー氏が国軍幹部の男性と固く握手している写真をアップして、「これが悪魔と友達になった瞬間だ」とコメントをした。男性はその後、この投稿を削除したが、このような複雑な反応は実は、バングラデシュの難民キャンプを始め大きく報じられている。

AFP通信は「ロヒンギャ難民キャンプ スー・チー氏拘束に歓喜」と題して、約100万人のロヒンギャが暮らしている、バングラデシュにある世界最大規模の難民キャンプリーダーの男性の「私たちロヒンギャが苦しんできた原因は彼女にある。祝わない理由はない」という喜びの声を報じた。また、別のロヒンギャの男性は「スー・チー氏はロヒンギャにとって最後の希望でしたが、私たちの苦境を無視して、結果ジェノサイド(集団虐殺)を支持してしまったのです」と語っている。

また、中東の衛星テレビ局アルジャジーラでも、「スー・チー氏はロヒンギャの問題についてだんまりを決め込みました。”ロヒンギャ”という言葉さえ使いませんでした。かつて私たちは、彼女の成功を祈り、彼女をクイーンであるかのように称えました。しかし2017年以降、私たちは彼女の真の性格に気付かされたのです」とする、同じく難民キャンプの男性の声が報じられた。男性は「私たちは今、スー・チー氏が権力から転覆させられていることに、同情の気持ちも湧きません」とばっさり切り捨てている。

これには、2019年に行われたロヒンギャに対する強姦や殺人などの残虐行為に関する国際刑事裁判所(ICC)の公聴会で、スー・チー氏が「過剰な武力行使があった可能性はある」と認めながらも、殺害は意図したものではないなどと主張、国軍を擁護してジェノサイドを否定する発言と受け止められた背景がある。国内世論と外交との間でのバランスに配慮した結果として、苦肉の発言だったと見られるものの、ノーベル平和賞を取り消すべきではないかなどの声も上がり、ロヒンギャの人権侵害問題に十分に対処していないとの批判も強まる結果となった。

期待していたからこその裏切り

こうした背景から、期待していたからこそ、裏切られた、見捨てられたという思いを強く募らせてしまった形のロヒンギャ難民たちの複雑な感情。一方で、国軍が権力を手にすることでロヒンギャを取り巻く環境はますます悪化するのではと懸念する声も上がっており、今後の行方が見えない中で不安と恐怖を募らせる難民たちも少なくない。

現に、国連事務総長報道官は会見で、ロヒンギャをめぐり「(人道)状況が悪化することを恐れている」と懸念を示しているほか、ミャンマー国軍によるクーデターを受け、国連安全保障理事会の緊急会合が開かれ、解放を求める声明の取りまとめに向けて各国で調整が進められている段階だ。

こうした、ミャンマー市民とロヒンギャの間の受け止めの格差は、簡単には説明できない複雑な背景の上に存在している。仏教徒が多数派で、国民の約9割をも占めるミャンマー。西部ラカイン州の少数派イスラム教徒ロヒンギャに対する迫害で国際社会の非難を浴びており、隣国バングラデシュに逃れた70万人以上のロヒンギャ難民の帰還のめどはいまだ立っていない現状は日本でも盛んに報じられてきたところだ。

しかし、大前提として、日本国内はもちろん世界において“ロヒンギャ問題”として報じられるラカイン州に暮らすイスラム系の少数民族ロヒンギャに対する認識は、ミャンマー国内ではまったくと言っていいほど異なる。ロヒンギャに関してミャンマーで取材を行うと、まずミャンマー国内では“ロヒンギャ”という言葉は使わず、“ラカイン・イシュー”、つまりラカイン州の問題などと呼んでいることに気付かされる。

ミャンマー人がロヒンギャを「ベンガル人」と呼ぶ訳

さらに、ミャンマー人はロヒンギャを「ベンガル人」と呼ぶ。ベンガルとは主にバングラデシュとインドの西ベンガル州など一部を指しており、ミャンマー人にとってロヒンギャは隣接するバングラデシュからの不法移民、その存在は認めていないのだ。リベラルな知識層に話を聞いても、ロヒンギャに関しては途端に口をつぐむか、もしくは西欧諸国の一方的な報じ方に厳しく批判を述べる場合すらある。

その背景として、国際社会では国軍や過激派仏教徒によるロヒンギャ弾圧が指摘される一方、ロヒンギャ側の過激な”武装勢力”の存在がクローズアップされることがあまりないことが挙げられる。

ロヒンギャの武装勢力――その名は「アラカン・ロヒンギャ救世軍」(ARSA)だ。ロヒンギャ市民多数派の支持を受けているわけではないものの、2017年8月に、武装勢力を中心にラカイン州で警察や治安部隊などへの襲撃を仕掛け、警察官らを殺害。その後の軍部の激しい弾圧、ロヒンギャ難民のバングラデシュへの殺到を招く事態の引き金となり、国軍は武装組織の掃討を名目として、大規模な攻撃を仕掛けたとされている。

ヒンドゥー教徒の民間人99人を殺害したとして、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルからも「ミャンマー軍がラカイン州北部で行った人道に対する罪と同じように、ARSAの責任を問うことは重要だ」と強く非難されている。

つまり、規模や使用する武器などに違いがあれど、ロヒンギャの武装勢力側からの襲撃などは国際社会で大きく報じられることは少ない一方、ロヒンギャには国際組織などから多くの支援や援助活動が行われていると指摘するミャンマー市民は少なくない。「不公平感」が増し、ロヒンギャへの不満が高まる一因ともなっているのが現状だ。


ヤンゴン近郊の路上で茹でとうもろこしを売る女性の頬にはミャンマー女性伝統の日焼け止め「タナカ」が塗られている。実はロヒンギャにも同じように「タナカ」を利用する習慣を受け継ぐ人々がいるという(筆者撮影)

ミャンマー人はロヒンギャへの関心が薄い

今回、民主主義に向けて連帯を強めるミャンマー人のSNSへの投稿には、スー・チー氏解放に向けての熱い思いはあふれるものの、国軍が権力を持つことでのロヒンギャへの悪影響を懸念する声などは目立たない。一方、国連や各国のリーダー、欧米メディアなどは相次いでミャンマーの民主化が阻まれることなどへの非難の声を強めると同時に、ロヒンギャを巡る状況が「悪化」することへも強い懸念を示している。

「私たちはこの地球上で最も残酷な軍隊と立ち向かっているのです。彼らは武器と権力を持っています、それは私たちの安全を脅かすものとして」――。

仏教徒であるミャンマー女性がSNS上で力強く発信したこの言葉。その“残酷な軍隊”による武力弾圧に苦しんだのは、ロヒンギャも同じだ。歴史に翻弄され、政治や宗教、民族で複雑に絡み合った糸が複雑化させているミャンマー情勢。宗教は違っても、安住の地を追われ、さまようイスラム教徒であるロヒンギャたちに、ミャンマーの民主化に向けたこの思いが向けられるようになるには、まだ時間がかかるのかもしれない。