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《新型コロナウイルスの影響が続くなかではありますが、11月8日に立皇嗣の礼が終わった今、両親の理解を得たうえで、改めて私たちの気持ちをお伝えいたしたく思います》

11月13日、眞子さまが結婚への“お気持ち”をつづられた文書が公表された。

秋篠宮家にとっての一大儀式となった「立皇嗣の礼」が8日に執り行われてからわずか5日後のこと。結婚問題については、ずっと眞子さまと対立を続けられてきたという秋篠宮ご夫妻だが、なぜこのような文書の発表をお許しになったのだろうか? 宮内庁関係者はこう語る。

「日本国憲法では『婚姻は、両性の合意のみに基づく』と規定されています。つまり秋篠宮ご夫妻結婚を阻止するには、眞子さまの小室さんへのお気持ちを冷めさせる以外になかったのです。結婚行事延期の2年9カ月を経て、眞子さまがご結婚を望んでいることを再び明確に発表された以上、もう破談にはできません。秋篠宮ご夫妻は“屈服”された形となり、お気持ち発表という勝利宣言にこぎつけた眞子さまのご満悦ぶりも、文面から伝わってきます」

この宮内庁関係者によれば、もっとも注目すべきなのは、最後の謝辞だという。

《天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに、深く感謝申し上げております》

たしかに、令和の皇室のトップである天皇陛下と雅子さま、そしていまも大きな影響力を持つ上皇さまと美智子さまが“眞子さまの気持ちを尊重”されている以上、秋篠宮ご夫妻が反対を表明される余地は残されていないといえる。本誌が眞子さまによる“直談判情報”をキャッチし、報じたのは’19年7月のことだった。前出の宮内庁関係者が続ける。

「秋篠宮ご夫妻がヨーロッパを訪問されている最中の7月5日、南米ご訪問が控えていた眞子さまは赤坂御所で、天皇陛下と雅子さまに挨拶されたのです。それまでの皇室行事では、秋篠宮ご夫妻も同席されていましたが、両陛下と眞子さまが3人だけで懇談されるのは初めてのことでした。海外訪問前のご挨拶は通常は数分ほどで終了します。しかし、この日のご懇談は30分ほどと、異例の長さだったのです。眞子さまにとっては千載一遇のチャンスだったと思います。その場で、眞子さまは小室さんとの結婚の意思があることを明かされたそうです。両陛下も困惑されたことでしょう。

しかし秋篠宮家の内親王である眞子さまに結婚への自由意志が認められないとすれば、天皇家の内親王である愛子さまのご結婚は、さらに“不自由”なものになってしまう可能性もあります。愛子さまのお母さまでもある雅子さまは、眞子さまの意思をむげにするにはしのびなかったと思われます。“いつか愛子も好きな人と結ばれてほしい”、そう願われているに違いありませんから……」

宮内庁は公表していないが、眞子さまはこの日、上皇陛下と美智子さまとも面会されている。

「海外ご訪問にあたって、上皇ご夫妻へご報告する決まりはありません。眞子さまから面会のご要請があったのは間違いありません。この7月5日から、お気持ち発表の日まで497日。ひそかに“捨て身”の説得工作を続けてこられたのです」(前出・宮内庁関係者)

秋篠宮ご夫妻と眞子さまの間では膠着状態が続いていたが、変化が見えたのは今年9月だった。眞子さまが勤務先の博物館・インターメディアテクのホームページに9月10日付で投稿されたコラムには、こんな一節があった。

《まるで時計の針が再び動き出したかのような感覚》

その翌日は紀子さまの54歳のお誕生日だったが、ご結婚問題について《長女の気持ちをできる限り尊重したい》とのお言葉を寄せ、人々を驚かせたのだ。

“止まっていた結婚への時計の針”を動かすきっかけを作ったのは、初孫を心配される美智子さまだったという。

「“このまま秋篠宮家のなかで対立が続けば、皇室への敬愛も損なわれるだけではなく、家族もみんな不幸になってしまう……”、美智子さまはかねてからそう心配されていました。そこで紀子さまのお誕生日の前に、秋篠宮家にお電話したと聞いています。“もう強く反対するのはやめて、眞子本人に決断を委ねたらどうでしょうか”、美智子さまはそんな提案をされたそうです」(前出・宮内庁関係者)

説得工作により、雅子さまや美智子さまの“お見守り”を勝ち取られた眞子さま。だが《今後の予定等については、今の時点で具体的なものをお知らせすることは難しい状況》と、つづられたように、華燭の典までの道のりが平坦なものではないのは間違いない――。

「女性自身」2020年12月1日・8日合併号 掲載