ノムさんがこの開幕を元気に迎えていたとしたら、どんなコメントが聞けただろうか?(写真:時事)

6月19日、プロ野球がようやく開幕した。コロナウイルスを吹き飛ばすほどの熱いプレーを期待せずにはいられないが、惜しむらくは名伯楽、野村克也氏のボヤキを楽しめないことだ。ノムさんがこの開幕を元気に迎えていたとしたら、どんなコメントが聞けただろうか。

ここでは、生前行われた取材をもとに5月に刊行された『上達の技法』から、後継者たる高津臣吾新監督(ヤクルトスワローズ)への期待の言葉と、西武ライオンズ、ソフトバンクホークスの強さについて語った部分をお届けする。

ヤクルト・高津新監督に真の「信」はあるか?

組織のトップとして、私が昔から最も重要視しているのが「信」である。「信」には信頼、信用、自信などいろいろな「信」があるが、この「信」なくしてリーダーは務まらない。強いチームを作っていくには、部下である選手と理解し合い、信頼の絆で結ばれることが必要である。いい人材を育てていくためにまず必要となるのが、この「信」なのだ。

私は常々「信は万物の基を成す」と語ってきた。何事もこの「信」なくして成り立たたず、この「信」を形成するものこそ、その人がそれまでに培ってきた「人間としての力量」である。

2019年のシーズンが終わると、私がヤクルト時代にともに戦った2人の選手が新監督になると情報が入ってきた。1人は東北楽天ゴールデンイーグルス監督の三木肇、もう1人は東京ヤクルトスワローズ監督の高津臣吾である。

2人とも就任時のインタビューで記者から「野村監督から学んだことは?」と問われ、三木は「野球は間が多く、考える時間のある『頭のスポーツ』であることなど、野球人として、いろいろ学ばせてもらった。それが自分の土台になった」と、高津は「野球の難しさ、奥深さを学んだ」と答えたそうだ。

プロ入り後、先発ピッチャーとしてなかなか芽の出なかった高津に対し、「抑えをやってみろ」と私が命じたのは、彼のプロ入り3年目となる1993年のことだった。

彼は最大の武器だったシンカーに磨きをかけ、当時の球団新記録となる20セーブを挙げ、ヤクルトのリーグ優勝、そしてその後の日本シリーズ制覇に大いに貢献してくれた。以降の彼のクローザーとしての活躍は、私がここで語るまでもないだろう。

高津が日本を代表するクローザーへと大成長を遂げたのは、紛れもなく彼が「考える野球」をできる選手であったからだ。

だが、正直に申せば「高津がヤクルトの監督に就任する」と聞いた時は、「高津が監督なんてできるのか?」とちょっと心配になった。とはいえ、彼がヤクルトの二軍監督を3シーズンにわたって務めてきたことは知っているから、監督としての基礎のようなものはすでに出来上がっているのかもしれない。

人としての力量は一朝一夕に出来上がるものではないし、小手先のテクニックでごまかせるものでもない。常日頃から物事に真摯に取り組み、己の力を蓄えていくことで、周囲からの「信」をちょっとずつ得ていくことができる。その「信」の積み重ねこそが「人間としての力量」となる。

私が知らないだけで、高津は2軍監督時代に選手たちから「信」を得ていたのだろう。新たなシーズンに臨むにあたり、その「信」は真の「信」なのかどうか、注目したい。

新たなシーズンを迎えるにあたり、現状のセ・リーグの6球団を見ると、力的に飛び抜けたチームはない。高津にとって、これは大きなチャンスと言っていい。かつてのヤクルトのように、ちょっと頭をひねって上手にやりくりすれば、前年最下位のチームであっても十分に優勝は可能だと思う。

高津には「弱いチームを強くするのは楽しいぞ」と言ってあげたい。野球は頭のスポーツである。頭を使えば弱者が強者になれる。それが野球というスポーツの醍醐味なのだ。

強いチームを作るためには、部下である選手と理解し合い、信頼の絆で結ばれることが必要である。

ライオンズ・辻監督が結果を出す理由

野球は「間」の多いスポーツである。球技の中でこれだけ「間」のあるスポーツは他にない。そしてこの「間」を上手に使い、考えながら野球のできる人間が最後には勝つ。

2019年、パ・リーグの覇者となったのは埼玉西武ライオンズである。その後、クライマックスシリーズで勝ち上がった福岡ソフトバンクホークスが日本シリーズ3連覇という偉業を成し遂げたため、すっかり影に隠れてしまったが、ライオンズもリーグ2連覇と立派な成績を残しているのだ。

ライオンズは、リーグ随一の強力打線を武器にリーグ連覇を達成した。俊足巧打の秋山翔吾、金子侑司が出塁すれば、その後には森友哉、山川穂高、中村剛也らが揃う超重量級打線が待ち受ける。2019年のシーズンでは秋山が最多安打、金子が盗塁王、森が首位打者、山川が本塁打王(2年連続)、中村が打点王を記録しており、相手ピッチャーからしてみれば、これほどまでに隙のない打線を相手にするのは相当に厄介なことだったに違いない。

しかし、強力な打線があったとはいえ、ライオンズの投手陣は防御率も高くなく、駒不足の感が否めなかった。そんな手薄な投手陣をうまくやりくりしながらリーグ2連覇を成し遂げたのは、指揮官である辻発彦の力量に負うところが大きいと思う。

稀有な「職人気質」の辻

辻と私は、1996年から1998年までの3シーズンを東京ヤクルトスワローズでともにすごした。

ライオンズを退団し、スワローズに辻がやって来たのは彼が37歳の時だった。ライオンズは辻にコーチ就任を打診したが、彼は現役続行を希望した。

リーグこそ違えど、日本シリーズではライオンズと度重なる死闘を演じていたから、辻の実力は当然知っていた。彼は当時の球界でも数少ない「考えて野球をする」タイプの選手だった。「こんな選手がうちのチームにもいれば」と何度思ったことか。

身体的な動きがピークを越えていたとしても、彼の頭脳があればまだまだ野球ができる。さらに、彼ほどの経験を積んだ選手はそうそういないから、生きた教本として他の選手たちにいい影響を与えてくれるはずだ。私はそう考え、辻が自由契約になったと知るや否や、すぐに獲得に動いたのである。

辻は広岡達朗監督の下で野球の基礎を学び、森祇晶(昌彦)監督の下で自らの生きる道を究めた、今や数少ない「職人気質」の考えるプロ野球選手と言っていい。私の狙い通り、彼はチーム内に非常にいい影響を与えてくれた。辻はそんな考える野球のできる、私好みの選手だった。

これまでに多くのベテラン選手に出会い、再生させてきたが、辻はその経験から、自分が周囲に与える影響も意識、実行してくれ、チームの土台作りにも多いに貢献してくれたように思う。

「自分が生きていくためには何をすればいいのか?」、それを考えることのできる人が、伸びていくのだ。

私が注力していたのは、「1人でも多く、私の考えを理解している選手を増やす」ことだった。だから、「本当に理解しているかどうか」の確認作業を常に怠ることはなかった。

2019年の日本シリーズ第4戦に勝利し、日本一を決めた後の勝利監督インタビューで、監督の工藤公康は「あらためて野村さんのすごさを実感しました」と言った後、こう続けたそうだ。

「自分の考えや思いを、しっかり選手に伝えるのはこんなにも大変なことなのかと。一度伝えたからって、そう簡単に選手たちに理解してもらえるものではない。何度も何度も繰り返して、選手たちが実感してくれた時に、ようやく伝えたいことが伝わるんです。それをきちんと選手たちに伝えた野村さんは『やっぱりすごい方だな』と思いますね」

ここまで持ち上げられると照れ臭いやら恥ずかしいやら。しかし、私と工藤とではちょっと立場が違う。工藤は出来上がったチームをそのまま受け継いでいるが、私はいつも「弱小チーム」、ゼロからのスタートだった。そこが決定的に違っていることだけは申し上げておきたい。

とはいえ、工藤が言っている「伝えることの難しさ」はまったくその通りで、私が監督を続けている間も「どうやったら選手に伝わるか」という点に最も力を注いでいた。

伝え方を工夫することこそトップの仕事

過去、プロ野球の監督が「私はミーティングはあまりしません」と話しているのをメディアなどを通じて幾度か見かけたことがある。私はそういった話を見聞きするたび、「それでよくペナントレースを戦えるな」と首を傾げた。

「ミーティングをしない」。そういったやり方は、そのときのチームカラーに合えば短期的には成功を収めることがあるかもしれない。でも、しっかりとしたビジョンを持ってチーム作りをしていくためには、選手たちに監督の考え方を理解させることは絶対的に欠かせない要素と言えよう。2019年にホークスが成し遂げた「日本シリーズ3連覇」という偉業を見ても、それは明らかである。


長いシーズンを戦っていく上で監督のなすべきことは、「1に確認、2に確認、3、4がなくて、5に確認」である。

選手に伝え、確認する。そして伝わっていなければ「どうやれば伝わるか?」を再び考える。選手たちは一人ひとり、個性も異なれば、考え方も異なる。ある選手には「A」という説明で通じたとしても、それが他の選手に同じように通じるとは限らない。

だからそんな時は「B」、あるいは「C」といろいろな伝え方を考えながら、選手それぞれと接していく必要がある。そういった作業を抜きにしてチームを運営するということは、私には監督としての責任を放棄しているようにしか思えない。