かっこよすぎる!「異装の女性剣術家」と呼ばれた江戸時代の女剣士・佐々木累を紹介!

写真拡大 (全4枚)

江戸時代になると宮本武蔵や柳生宗矩など多くの剣術家が現れました。

刀=男性を現すように剣術家は男性が多かったですが、1人「異装の女性剣術家」と呼ばれた女性剣術家が実はいたのです。

その事実だけでも驚きを隠しきれないのですが、今回はその女性剣術家、佐々木累(ささきるい)について触れてみたいと思います。

父の死で浪人へ

累の父、佐々木武太夫(ささきぶだゆう)は土井利勝に仕える剣術家でした。父から剣術を教わり、武家の娘として成長した累は佐々木家を継げる婿を探します。

 絹本著色土井利勝肖像画/Wikipediaより

しかし、慎重に婿を選び過ぎたことにより、父は病没してしまいます。その後、佐々木家には後継者がおらず、断絶してしまいました。必然的に累は浪人となってしまうのでした。

なぜ累が家督を継げなかったのかいうと、当時の体制である幕藩体制では、家督相続者は男子であることが自明の理とされていたからでした。

その出で立ち、まさに異装!

浪人となった累は故郷の古賀藩から浅草まで赴きます。そこで累は剣術道場を開き、武芸指南を始めます。父仕込みの剣術が評判を呼び、多くの門下生が累のもとに来ました。

他にも評判をさらったのが累の服装でした。外出時、累は大小2振りの刀を差し、佐々木家の家紋四つ目結が刻まれた黒縮緬の羽織、笄分け(こうがいわけ)の髪型という出で立ちでした。

四つ目結の家紋/Wikipediaより

それで江戸の町を歩いていたので、個性的かつ「異装」の身なりが話題性を呼びました。

無事佐々木家の再興に成功する

その話題は北町奉行にも届くことになり、累は呼び出されます。

「武家の娘ではないのにその出で立ちはどうしてだ?」と北町奉行から質問を受けると「父の意志を継ぎ、武勇に富んだ夫を持つためです。」と累が堂々と答えると、北町奉行は累の異装の身なりを認めました。

この話は大老だった土井利勝の耳にも入ります。利勝は累の父から剣術指南を受けた縁もあって、婿探しに乗り出してくれました。

累は利勝の家臣の中で一番の強さを誇った小杉重左衛門の次男、小杉九十九を婿に迎え入れます。利勝の協力もあって、累は念願の佐々木家再興を成したのでした。

最後に

強い意志を持って剣の世界を生きていた女性がいたことが驚きでした。

男の活躍が多くみられる剣の世界でぶれることなく、お家再興のために力を尽くした佐々木累には尊敬しかありません。累のような真っ直ぐな生き方を見習いたいものです。