早大時代はアイドル級の人気を集めた本城氏【写真:本人提供】

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ラグビーW杯開幕まで72日、連載「楕円の軌跡―レジェンド・トーク2019」第5回は早大時代に“貴公子”と呼ばれた本城和彦氏

 ワールドカップ日本大会は9月20日に開幕する。サンケイスポーツで20年以上にわたり楕円球を追い続けたラグビー・ライター吉田宏氏が、日本ラグビー牽引してきたレジェンドたちの、日本代表、ワールドカップ成功への熱い思い、提言を綴る毎週水曜日の連載「楕円の軌跡−レジェンド・トーク2019」。

 第5回は、1980年代に早大不動の司令塔として活躍した本城和彦氏に日本代表、ラグビーへの思いを聞いた。早大時代はアイドル級の人気で女性ファンがスタンドを埋めた“ラグビー界の貴公子”。日本代表、サントリーでの活躍後は、男女の7人制日本代表強化委員長に就任。男子代表のリオデジャネイロ五輪4位という躍進も支えた。2015年にはサントリーから日本テレビに転職して、メディア側の立場からラグビーを支える。元トップ選手、指導者、統括責任者、そしてメディアと様々な視点から日本代表、ワールドカップ日本大会に、熱いまなざしを送り続ける。

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 2020年東京五輪へ向けてその威容を見せ始めている新国立競技場だが、いまはなき“旧国立”の最多観客記録を樹立した男が本城和彦氏だ。

 1982年12月5日に行われたラグビー伝統の一戦、早明戦。一競技の試合では歴代最多の観衆6万6999人の視線が注がれていたのが、早大の背番号10。ラグビー界の貴公子が、明大の猛者を弄ぶように、ピッチを走り、パスを繰り出した。

 当時は女性ファッション誌「セブンティーン」で特集が組まれるなど、いまならあの五郎丸歩(ヤマハ発動機)にも負けない人気だった本城氏だが、ジャージーを脱いでからも華麗な人生のステップを切る。

「サントリーから出向していたフィットネスクラブのティップネスが、2014年12月で日本テレビの傘下に入ったんです。僕には、サントリーに戻るか日本テレビに転籍するかという選択肢があった。もちろんサントリーへの愛着は強かったが、ティップネスでの仕事を続けること、それと、いまの時間の流れに乗ることもいいと判断しました」

 大ヒットした機能性飲料DAKARA(ダカラ)の発売や宣伝に携わるマーケッターとしても活躍したサントリーから、15年に日本テレビに転職。ワールドカップ日本大会が迫る中で、17年6月にスポーツ局に迎え入れられた。

「スポーツ局というのは、様々な競技の中継とスポーツニュースを製作しています。僕が製作に直接かかわるわけじゃないけど、ワールドカップの中継の成功や、社内外でラグビーを盛り上げていくこと、そしてラグビー協会との連携も仕事の一環です」

 日本テレビは、2007年大会からワールドカップの中継を続けてきた。今回の日本開催は、いままでにも増して局内の熱気を特別なものにする。

「社内の機運はものすごいですよ。会社の周辺でもワールドカップの告知や、社屋前の広場にはボールのモニュメントを置いたりしています。僕も月1でプロジェクトチームの会合に参加して、そこではいくつかのワーキンググループがあり、様々な部署と話し合い、連携しながらラグビーを盛り上げています。ラグビーをメジャースポーツにしていこうという思いで、みんな頑張ってくれています。日本テレビのバラエティ番組や情報番組にラグビー選手がたくさん出演している。これも、それぞれの番組でコンセプトやポリシーあるから、そんなに簡単なことじゃないけれど、社内の様々な局で番組に携わっている人たちが、ワールドカップを成功させようという熱意で取り組んでくれています」

“貴公子”と呼ばれた現役時代は、キックの名手であると同時に、パス、ラン、ゲームを読む戦術眼と、才気溢れる司令塔として早大1年から10番を背負い続けた。卓越したゲームメーカーだった本城氏は、世界のトップ8入りに挑む2019年の日本代表を、こう分析する。

大事なのは選手が戦術を共有し、組織として機能すること

「昨年11月のテストマッチをみても、順調に準備は進んでいるのかなという印象です。戦い方というのはチーム、指導者で様々なので、それはジェイミー・ジョセフ・ヘッドコーチ(HC)がしっかりと決めて準備していけばいいこと。どれがいい、悪いということは、議論してもしようがないと思います。やりたいラグビーを、本当にコーチングスタッフと選手が共有して、そのレベルをどこまで上げていくのかということが重要です」

 ラグビーでは、戦術をメンバー全員がしっかりと共有することを“セイムページ(同じページ)を見る”と表現する。本城氏が活躍した早大ラグビー部こそ、チームがいかにセイムページを見るかに、こだわり続けてきたチーム。周到に準備した戦術のもとに、いかに個々の選手が求められた役割を果たし、組織が機能するかを追求してきたのが、早大ラグビーの神髄だ。ラグビーのスタイルは異なっても、日本代表に求める根幹の部分は早大と変わらない。

 本城氏が戦術以上に関心を持つのは、8強入りをかけて挑むプール戦4試合を、いかに戦っていくかという戦略だ。そこには、もう1つの日本代表の戦いぶりを重ね合わせている。7人制ラグビーが初めて五輪種目となった2016年リオデジャネイロ五輪で4位に輝いた7人制男子日本代表だ。

 本城氏は7人制代表強化委員長として、瀬川智広ヘッドコーチをサポートし、リオデジャネイロでの躍進を後押しした。いまや別競技といえるほど選手に求められる技術、戦術も異なる15人制と7人制ラグビー。だが、世界最強を争う大会を戦い、勝ち抜くための術は共通するものがある。

「今回(15人制代表が)ベスト8入りするためにはアイルランド、スコットランドという強豪から最低1勝が必要と考えられています。簡単ではないけれど、勝てるか勝てないかと聞かれれば、僕は勝てると思っています。正直なところ、実力は相手が上でしょう。でも、コンディションとかゲームの流れを上手く掴めば、アイルランドに勝つことは不可能じゃない。今年の6か国対抗でのアイルランドの戦いぶりをみても、チャンスはスコットランドも含めてあると思う」

周到な準備が日本のアドバンテージになる

 早大時代も、圧倒的な戦力を誇る明大を相手に、戦術や組織力で立ち向かい、番狂わせを起こした。これこそが早大ラグビーの真骨頂だった。悲壮感の中で、弱いものが強い相手を倒すカタルシス。このストーリー展開に、若い女性ファンのみならず多くのファンが共感し、熱狂したのが23-6で早大が勝利した1982年のレコードブレーキングな一戦だった。2015年、16年に続き、組織が機能して強大な相手を打ち負かすストーリーを、往年の貴公子は2019年の日本代表にも求めている。

「日本の強みは、ある特定のゲームにフォーカスして、そこに向けて集中してコンディションを高めていくような作業。それが最高にはまったのが2015年大会の南アフリカ戦だったと思います。あの試合でジャパンが得たのは、まさに自信なんですね。それは、リオデジャネイロ五輪の7人制代表と一緒なんです。金メダル候補のニュージーランドを倒し、それ以降の試合を見ていると、『コイツら、こんなに強かったかな』と感じるくらい堂々とした戦い方をしていました。でも、この自信は、対戦相手と日程が決まってから何か月もかけてニュージーランドをターゲットにして準備してきたことが背景にある。まさに南アフリカ戦と同じことだったと思います」

 2015年ワールドカップで南アフリカを倒した後もサモア、米国を倒した15人制代表と、16年リオデジャネイロ五輪でニュージーランドから金星を奪った後もケニア、フランスと強豪に勝利した7人制代表が、本城氏の中でクロスオーバーする。世界中が勝てないと考えていた強豪を倒すことで、いままで取り組んできた練習が間違っていなかったという自信が確信に転じたのが、南アフリカ戦でありニュージーランド戦だった。そこには、緻密に練られ、準備された勝つためのシナリオがあった。周到で妥協を許さない厳しい準備(練習)という土台が大前提となり、そこに様々なファクターが織り込まれるようにして起きたのが歴史的な勝利だったことは言うまでもない。2つの歴史的な勝利は決して“奇跡”ではなく、正当な報酬だったのだ。

 この経験値から、本城氏がワールドカップ日本大会でも重視するのは初戦だという。

初戦を勝つことで追い風を吹かせる「ラグビーを知らない世論も盛り上がるはず」

「プール戦で最も弱い相手と目されるロシア。昨年11月にも勝っている相手ですが、時間をかけて準備できるこの試合で、しっかりと勝つことが重要でしょう。ここで勝つと、ラグビーを知らない世論も盛り上がるはずです。いい内容でロシアに勝って、その自信と世論を追い風にして次のアイルランド戦に向かう。もし、アイルランド戦を落としたとしても、最終戦のスコットランド戦で勝つのというシナリオでしょう。スコットランドは中3日という厳しい条件で日本と戦う。2015年と置かれた位置が逆転しているのも大きい」

 日本代表がワールドカップへ向けて取り組む戦術について、戦術眼に長けた司令塔だった本城氏にはどう映るのだろうか。

「攻撃的なキックを使っていくのは、僕個人は嫌いじゃない。いいと思います。その一方で難しい部分も少なくない。キックにはボールを手放すというリスクもあるし、習熟度、つまりスキルの精度を上げていくことが不可欠です。個々の選手が判断を正確にしていくことも重要ですね。キック、キャッチする選手以外の選手も、しっかりと連動してプレーしないといけない。その水準を、開幕までにどこまで上げていってワールドカップで勝負できるかということでしょうね。組織的なプレーはまだ高めていける余地はあると思う。

 それと同時に、ワールドカップで上位にいくためには、ディフェンスが重要になってくる。ジャパンが取り組んできたラッシュディフェンスだけど、個人的には、もっと極端に早く仕掛けたほうがいいと思いますね。7人制でも15人制でも、1対1のタックルについては、海外の選手と比べてまだ弱いと実感しています。だからこそ、素早い間合いが重要になってくる」

 日本代表では通算10キャップ。不動の司令塔として松尾雄治氏が活躍していた時代だった。第1回ワールドカップが行われた1987年には、すでに日本代表を離れていた。桜のジャージーでは早大時代のような活躍は果たせなかったが、その卓越したゲームメーク力や、キックなどのスキルは、日本を代表するSOの1人に数えられる。7人制の強化トップとしては、来年に迫る東京五輪への挑戦も待ち受ける本城氏。15人制代表の日本大会での躍進が、必ず続く7人制代表にも追い風になると期待を込めて、代表OB、7人制統括責任者、そしてテレビマンという3つの視点で9.20のキックオフを待つ。

本城 和彦(ほんじょう・かずひこ)
1960年7月21日、東京都生まれ。本格的にラグビーを始めた国学院久我山高ではSOとして3年で全国制覇。早大では1年からレギュラー入りして活躍。在学中に日本代表入りして、82年のカナダ代表戦で初キャップを獲得。85年までに通算10キャップ。サントリーでも活躍して、引退後は営業マン、ティップネス経営に手腕を発揮して、2015年に日本テレビに転職。7人制日本代表監督などを経て、現在は同代表強化委員長。(吉田宏/Hiroshi Yoshida)

吉田 宏
サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。ワールドカップは1999、2003、07、11、15年と5大会連続で取材。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーワールドカップでの南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かして、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。