国立西洋美術館の開館60周年を記念して、時代の荒波に翻弄されつづけた松方コレクションの100年に及ぶ航海の軌跡をたどる「松方コレクション展」が開催されている。名高いゴッホの「アルルの寝室」や、修復後初公開となる「睡蓮、柳の反映」など、国内外に散逸した名品も含めた約160作品を展示する、かつてない規模の包括的な松方コレクション展だ。その見どころを、絶対に見逃せないいくつかの作品とともに紹介していきたい。

2019年7月9日
(取材・文/編集部)

国立西洋美術館の礎となった「松方コレクション」とは?「松方コレクション」は、モネやルノアール、マネ、ゴーギャン、ゴッホなど、印象派の絵画を多く含むことでも知られる西洋美術コレクションである。同展会場となる国立西洋美術館はもともと、この「松方コレクション」受け入れのために近代建築の巨匠・ル・コルビュジエによって設計された美術館であり、2016年には世界遺産(文化遺産)登録されたことも記憶に新しい。前庭にあるロダンの彫刻「地獄の門」などもコレクションの一部だ。

松方コレクションが他のコレクターの収蔵品と異なるのは、これが個人の趣味趣向で集められたものでないという点である。神戸の実業家・松方幸次郎は、当時まだ日本では見る機会が限られていた西洋美術を、若い画家や貧しい画学生たちにも広く紹介するため、専門の美術館をつくる構想を抱いてコレクション蒐集を開始した。そのため、場所も時代もジャンルも幅広く、蒐集当時から既に高い評価を受けていた画家達の作品が多い。


コレクション蒐集を助けた画家・フランク・ブラングィンが描いた松方幸次郎の肖像画
左:フランク・ブラングィン《松方幸次郎の肖像》1916年 国立西洋美術館
右:フランク・ブラングィン《共楽美術館構想俯瞰図、東京》 国立西洋美術館

美術品のみならず、その蒐集の過程を追体験できるのも同展の魅力の一つだ。展示品の中には「いつ、どこの画廊で購入したのか」が明記されているものが多く、松方と美術品の出会いを感じることができる。また、作品の裏側が見えるように立方体のガラスケースに入れられた作品もあり、裏側にはパリの画廊で貼られたと思われるラベルなどを見て取ることができる。


ギュスターヴ・クールベ「海岸の竜巻(エトルタ)」を含む5枚の絵画が、1921年にパリのノードラ―画廊から購入されたことが記載されている。


絵画「モーリス・ドニ《ハリエニシダ》1917年以前 国立西洋博物館所蔵」の裏側。
購入したパリのドリュエ画廊のラベルの他、いくつかのラベルが貼られているのがわかる。

近年の最新研究結果によると、3000点にのぼったといわれる松方の西洋美術コレクションだが、関東大震災や昭和金融恐慌、ロンドンの保管倉庫の火災、第二次世界大戦時のフランス政府による接収など、様々な苦難が降りかかり、その多くが散逸・焼失していった。1959年、絵画・素描・彫刻など375点の作品がフランス政府から寄贈返還されることになり、これが美術館設立の礎となっている。

これは今しか見られない! フランスに留め置かれた絵画たち国立西洋美術館の誕生により、ようやく安住の地を見出した松方コレクションだが、その重要性からフランスに留め置かれることになった作品も20点ほど存在する。今回はその中の何点かが来日しているので、この機会にぜひ見ておきたい。

一枚目は、ファン・ゴッホの「アルルの寝室」。有名な絵なので、テレビや雑誌などで目にしたことがある人も多いだろう。ゴッホの「アルルの寝室」は3つのバージョンが知られているが、これはその中でも最後の作品である。この絵を描いた翌年、ゴッホは自ら命を断つこととなるが、こうしてみる限り、明るい静けさに満ちた一枚だ。

「アルルの寝室」の右側に展示されている油彩画「ばら」も同年に描かれたゴッホの作品である。こちらには最晩年の作品に特徴的な、激しくうねるような筆遣いがすでに認められる。この二枚から画家の心情を多少なりとも推し量ることはできるであろうか。(「アルルの寝室」はオルセー美術館所蔵、「ばら」は日本に返還され国立西洋美術館所蔵)


フィンセント・ファン・ゴッホ《アルルの寝室》 1889年 オルセー美術館


フィンセント・ファン・ゴッホ《ばら》 1889年 国立西洋美術館

ポール・ゴーガンの「扇のある静物」もフランスに留め置かれた作品の一つだ。美しい作品だけに、日本への帰還が叶わなかったのは残念だが、日本美術をモチーフとしたこの作品が、フランスに留め置かれるほどに愛されているのは、少し嬉しい気もする。こちらもオルセー美術館の所蔵品で、今回の松方コレクション展のために来日している。


ポール・ゴーガン《扇のある静物》 1889年 オルセー美術館

鮮烈な赤で制服姿の給仕を描いた「ページ・ボーイ」は、エコール・ド・パリの画家の一人に数えられるハイム・スーティンの作品だ。購入時点で既に評価の定まった画家の作品を好んだ松方の傾向、そして1925年という制作時期の遅さからもコレクションの中では、少し異質な存在である。荒々しく表現主義的なスーティンの作品は1920代後半から評価を高めている。

この3枚(「アルルの寝室」「扇のある静物」「ページ・ボーイ」)は、日本で見られる貴重な機会となるので、是非とも見ておきたい。


左:ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル《男の頭部》(《ホメロス礼賛》のための習作)1827年頃 ポーラ美術館
中央:ハイム・スーティン《ページ・ボーイ》1925年 パリ国立近代美術館・ポンピドゥーセンター
右:ピエール=オーギュスト・ルノワール《アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)》1872年 国立西洋美術館

ようやく日本の地を踏んだ「睡蓮、柳の反映」本展のエピローグを飾るのは、横幅4メートルを超えるモネの巨大な睡蓮の絵だ。2016年、パリのルーヴル美術館で発見された「睡蓮、柳の反映」は、かつて松方がモネのアトリエで購入した作品のひとつとして知られながらも、永らく行方が分からなかった作品である。

フランスの地で第二次世界大戦を潜り抜けたこの作品は、疎開時代に過酷な保管状態に晒され、この時期に画布の上半分を失う大きな損傷を受けたと推測されている。フランス政府による接収時には、すでに破損作品とみなされていたため、1959年の返還の作品リストからも漏れ、その存在は次第に忘れ去られていったようである。この「睡蓮、柳の反映」は、修復後初の公開展示となる。


クロード・モネ《睡蓮、柳の反映》 1916年 国立西洋美術館(松方幸次郎氏遺族より寄贈)

もはや取り戻す術もない大きな破損がつくづく悔やまれる。しかし2018年、この「睡蓮、柳の反映」を含む松方コレクションを撮影したガラス乾板(365点)がフランスの建築文化財メディアテークの写真部門で発見され、本作の全貌を明らかにする手掛かりとなった。

国立西洋美術館では、修復した絵画とは別に、凸版印刷株式会社と共同で「睡蓮、柳の反映」の欠損部分をデジタルで推定復元し、その姿を公開している。国立西洋博物館が実施した残存部分の科学調査により絵具を推定、さらに国内外にある主題や時期が近い作品を観察することで、モノクロ写真からの解釈を絞り込んでいった。色彩を推定する手がかりとしてAI技術も併せて活用し、AIの推定する配色と人の調査による仮説を比較して客観性を高めていった。

こうして完成したデジタル推定復元には、睡蓮の浮かぶ池の水面に、柳の木が逆さまに映り込む様子が巨大なカンヴァス一面に描かれている。オランジェリー美術館に設置されている睡蓮の大装飾画のうち、第二室の「木々の反映」に関連付けられる作品のひとつと見られ、同様の構図は北九州市立美術館所蔵の「睡蓮、柳の反影」などにもみることができる。


クロード・モネ《睡蓮、柳の反映》デジタル推定復元図 監修:国立西洋美術館 制作:凸版印刷株式会社

近年、ロンドンの保管倉庫で焼失した作品のリストも見つかった。これらは、数々の歴史資料とともに松方コレクションの全貌を明らかにする助けとなっていくだろう。

国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展
https://artexhibition.jp/matsukata2019/
会期:2019年6月11日(火)〜9月23日(月・祝)
開館時間:9:30〜17:30
     ※毎週金・土曜日:9:30〜21:00
     入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日、および7月16日(火)
    ※ただし7月15日(月・祝)、8月12日(月・休)、9月16日(月・祝)、9月23日(月・祝)は開館
場所:国立西洋美術館
問い合せ先:03-5777-8600(ハローダイヤル)
入館料:一般 1,600円、大学 1,200円、高校生 800円、中学生以下は無料

読者プレゼント情報
「国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展」の展覧チケットを、抽選で5組10名様にプレゼントいたします。応募期間は7月24日(水)まで。応募方法は専用ページよりご確認ください。

次回は、古美術品とともに昔ながらの遊びや文化の変遷が楽しめるサントリー美術館の「遊びの流儀 遊楽図の系譜」展です。そちらもご期待ください。