平成スポーツ名場面PLAYBACK〜マイ・ベストシーン 
【2005年1月 マジョルカvsデポルティボ・ラ・コルーニャ】

 歓喜、驚愕、落胆、失意、怒号、狂乱、感動……。いいことも悪いことも、さまざまな出来事があった平成のスポーツシーン。数多くの勝負、戦いを見てきたライター、ジャーナリストが、いまも強烈に印象に残っている名場面を振り返る――。


スペインでのデビュー戦でゴールを決めた大久保嘉人(当時マジョルカ)

 2005年1月9日に見た風景は、今も忘れられない。地中海に浮かぶマジョルカ島で、当時22歳だった大久保嘉人(現ジュビロ磐田)が勇躍していた。時代を駆ける閃光のような眩しさがあった。

 当時、リーガ・エスパニョーラは日本人サッカー選手にとって、最後に残る鬼門のひとつになっていた。

 1990年代末から中田英寿(イタリア)を筆頭に、中村俊輔(イタリア、スコットランド)、小野伸二(オランダ)、高原直泰(ドイツ)、松井大輔(フランス)らが、欧州各国リーグで、扉を開きつつあった。しかしスペインの壁は高く、中にはほとんど一度もピッチに立てないまま「引きこもり」と揶揄され、去っていった者もいた。

 ところが大久保は、そのデビュー戦で颯爽と得点を決めてしまった。クロスボールに対し、相手ディフェンダー2人の間に入って、マークをあやふやにし、ボールを呼び込む。そして動物のように俊敏に高く跳び上がって、頭でボールを叩き、ネットを揺らした。

 筆者は、肌が粟立ったのを覚えている。

 対戦相手が、当時は欧州チャンピオンズリーグで大物食いを続けていたデポルティボ・ラ・コルーニャだったこともあるだろう。しかし、それだけではない。大久保は前半から相手を翻弄。それに苛ついた敵ディフェンダーの洗礼を受けていた。膝を狙った危険なタックルを浴び、スパイクのポイントでざっくりと肉をえぐり取られてしまった。しかも、骨が露わになるほどに。

「プレー続行は無理」

 ドクターからは当然、いさめられた。にもかかわらず、本人は断固として「出る」と主張。応急処置としてホッチキスで皮を合わせ、流血を止め、後半にゴールを決めた。その晩、傷口は膿んで、悪夢に唸ったという。

 そこには狂気が蠢いていた。日本人が欧州での戦いに切り込むには、これほどの覇気が必要なのか――。その姿を目の当たりにして気圧され、同時に「夜明け前」の予感に痺れた。

 平成で言えば、17年のことだ。

 デビューシーズン、大久保が見せてくれた風景は濃厚だった。レアル・マドリード戦では世界的スターだったデイビッド・ベッカムに真っ向から噛みつき、バルセロナ戦では世界最高ディフェンダー、カルレス・プジョルに不敵なまた抜きを食らわす。ピッチで放つ熱から、目が離せなかった。

「負けたら自分は終わり。いつもその気持ちでピッチに立っている」

 大久保はしばしばそう言うが、リーグ終盤、その不屈さを高らかに示した。

 残り7試合。マジョルカの1部残留の可能性は5%以下と言われたが、おとぎ話のようにそんな見通しを覆した。デポル戦、アスレティック・ビルバオ戦で得点するなど攻撃を牽引し、奇跡的に残留成功。地元マジョルカでは、「救世主」と崇められるまでになった。

 その後、大久保は環境に適応できず、2シーズン目は低迷。結局、スペイン挑戦は尻切れとんぼに終わっている。

 しかし、彼が踏み込んだ道を、乾貴士がエイバルでの活躍によって大きく広げた。スペインで日本人がプレーするのは、今や夢物語ではなくなっている。いつか、久保建英がバルセロナでプレーすることになるかもしれない。

 今や「海外組」という表現は死語になりつつある。本田圭佑、内田篤人らがその名を轟かせ、長谷部誠、川島永嗣、長友佑都、香川真司、吉田麻也、岡崎慎司、大迫勇也、酒井宏樹らが、先駆者たちの後を継いだ。

 堂安律、冨安健洋のような東京五輪世代も、欧州での経験を積んで目覚ましい成長を見せている。選手のあり方はそれぞれだし、国もチームも違うが、彼らが異国で”しのぎを削った火花”が、後に続く者たちに力を与えているのだ。

 筆者自身にとっても、異国で戦いに挑む姿を活写し、書き綴ることによって、勇気づけられ、作品を生み出すことができた。戦う男たちと対峙し、その本性を描く。そこに書き手としての楽しみを見出せた。

 その点、大久保との邂逅は幸せだった。若者特有の反逆心が旺盛だった大久保は、記者全体を毛嫌いしていた。その偏見を崩し、にじり寄る。それに取材者として面白さを感じたし、懐に入ると、彼ほど純粋な男はいなかった。生意気だが、憎めない。自分が持っていかれそうな魅力があった。何度も対話し、戦友に近い関係を作ることで、その物語を書くことができた。

 その取材の仕方や書き方は、自分の原点ともなっている。その生き様にとことん迫って、物語を書き上げる使命というのか――。その出発点と言えるほどに、マジョルカでのあの日の試合の求心力は巨大だった。あるいは筆者は自らの人生を、彼らの限界を超えた戦いに仮託しているのかもしれない。

「サッカーは成功したときには、驚くほど達成感がある。ダメやったら、ずしっと重いもんが心に覆い被さってくる。どっちかよ。でも、難関を越えることで俺は強くなってきた。その瞬間が楽しいんよ。だから、サッカーはやめられん」

 大久保はそう言う。不器用だが、そこには真実がある。その純真はあの試合に集約され、そこにはちっとも嘘がないのだ。