チームを離れ、ボールと戯れるメッシ。18歳だった当時の彼はこうして独りでいることが多かったようだ。 (C) Javier Garcia MARTINO

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 この写真は2006年6月、ドイツ・ワールドカップ開幕の数日前にアルゼンチン代表のキャンプ地だったヘルツォーゲンアウラハで撮ったリオネル・メッシだ。

 恥ずかしい話だが、私はこの大会の直前まで、メッシのことを知らなかった。すでにバルセロナでプロデビューを飾り、「天才児」として注目されていたようだが、欧州のサッカーにほとんど興味を持たない私は、そのプレーを観たことがなかったのだ。

 当時のアルゼンチンには、ファン・ロマン・リケルメやパブロ・アイマール、ハビエル・サビオラ、エルナン・クレスポといった大物たちがいた。この日も、当然のように私は、レンズを集中的に彼らの方に向けていた。メッシが目の前にいるのにほとんど気にも留めず、他の選手の写真ばかりを撮っていたなんて、今ではちょっと信じ難い話でもある。

 そんな中、私はふとメッシに気をとられた。トレーニングの合間に彼がチームメイトたちの輪から離れ、ひとりでリフティングを始めたのだ。

 カルロス・テベスとガブリエル・エインセがふざけながら取っ組み合いとなり、場が笑いの渦に包まれていた間、メッシは黙々とリフティングをしていた。座ったまま、時に足を交差させ、時に頭や肩を使って、巧みにボールを操る様子から目を離すことができず、私は独りぼっちの彼を連写した。

 後に写真をチェックしていて気づいたのだが、当時のアルゼンチン代表監督だったホセ・ペケルマンは、この時のメッシを横目で鋭く、厳しい表情で観察していた。まるで、チームメイトたちに近寄ることなく、離れた場所で座っているメッシの行動を分析しているかのようだった。

 もともと育成部門の指導者だったペケルマンだけに、まだ18歳だったメッシをどのようにしてピッチ内外でチームに融合させるべきなのか、そのプランを熟考していたに違いない。
 ドイツ・ワールドカップの翌年、ベネズエラで開催されたコパ・アメリカで、私はメッシと二人きりになる機会を得た。

 アルゼンチンのスポーツ誌からの依頼で、チームが滞在していたマラカイボ市内のホテルでメッシのフォトセッションをしたのだが、夜遅い時間帯だったにもかかわらず、撮影が終わってもその場から立ち去らない彼と、しばらく他愛もない話をして時間を潰したことを覚えている。

 その後もロビーを歩き回り、時々ファンに呼び止められては写真撮影に応じたり、サインをしたりと、彼は一向に自分の部屋に戻ろうとしなかった。

 そんな様子が、1年前にドイツのキャンプ地で見た姿と重なって、監督がアルフィオ・バシーレに代わってからも、メッシが代表チームに溶け込めていないのではないか、独りぼっちで寂しい思いをしているのではないかと気になったものだ。

 その後、メッシはキャプテンとなり、月日の流れとともにピッチ内外でチームの中心的存在となった。私がマラカイボで抱いた心配を、決勝まで勝ち進んだ2014年のブラジル・ワールドカップで一気に吹き飛ばしてくれた時には、最高に嬉しかった。

 だが、先日行なわれた親善試合(3月22日の対ベネズエラ戦)で、また“独りぼっち”になっているメッシを、私は見てしまった。

 8か月ぶりの代表復帰となった一戦で、それまで一緒にプレーしてきた仲間たちが去り、あらゆる面で変貌したチームに、メッシは明らかに困惑し、ピッチの中で完全に孤立していたのだ。

 2006年のワールドカップ準々決勝ドイツ戦で、ペケルマンがメッシをベンチに留め続けたこと、そしてリケルメを途中で交代させたことは、彼の大きなミスだったと思っている。だが、もしもあのまま、ペケルマンにアルゼンチン代表を任せておくことができたなら、今頃、メッシは独りぼっちにならずに済んだのではないかとも思ってしまう。

 今、私はヘルツォーゲンアウラハで撮った写真を見ながら、アルゼンチン代表におけるメッシが「孤独な英雄」のまま終わってしまわないことを願わずにいられないのだ。

文●ハビエル・ガルシア・マルティーノ text by Javier Garcia MARTINO
訳●チヅル・デ・ガルシア translation by Chizuru de GARCIA