前田侯爵の屋敷が今も残っている(撮影:梅谷秀司)

東京23区だけでも無数にある、名建築の数々。それらを360度カメラで撮影し、建築の持つストーリーとともに紹介する本連載。第11回の今回は、目黒区にある「旧前田侯爵邸」を訪れた。
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江戸時代の雄藩・加賀百万石の殿様であった前田侯爵の屋敷が、今も目黒区の一画に存在している。

京王井の頭線駒場東大前駅から徒歩10分弱の閑静な住宅街にある都立駒場公園。かつてはこの公園の敷地全体が、明治維新後に華族・侯爵となった前田家の邸宅地だった。江戸期に前田家の上屋敷は現在の東京大学本郷キャンパス一帯にあり、三四郎池などはその庭園の遺構。現在、東京大学の象徴ともされる赤門は、外様である前田家が、徳川11代将軍家斉の娘・溶姫(ようひめ)を正室に迎える際に建立されたものだ。

国の重要文化財に指定

前田家は明治維新後、本郷キャンパスに隣接する現在の東京大学農学部のある弥生キャンパスの地に豪壮な洋館を建設したが、関東大震災を機に駒場に移転し、1929(昭和4)年にこの邸宅が竣工した。

2013(平成25)年に国の重要文化財に指定された旧前田家本邸は、保存修理と整備工事を経て、2018(平成30)年10月に再公開された。以前は空虚な印象のあった館内には、新たに復原されたカーテンや壁紙の金唐紙、かつて使用されていた家具などが設えられ、展示解説も充実し、往事の優雅な生活の雰囲気を感じ取れるようになった。


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この館を建てた主、前田家16代当主の前田利為氏は前田家の武人としての伝統に従い、陸軍大学校を卒業し軍人となり、20代からヨーロッパに留学した。なかでもイギリスには長期滞在し、この館の設計当時は駐英大使附武官を務めていた。

そのイギリスでの生活習慣を反映し、建物の様式はイギリス・チューダー朝のカントリーハウスのような洋館となる。昭和初期、イギリスの田園地帯を彷彿とさせる駒場の地にふさわしいということもあったのだろう。

敷地内にはこの洋館のほかに広大な庭園、テニスコートや馬場、熱帯植物や果物、花を栽培する温室や畑、海外からの賓客をもてなすための和館と日本庭園、車庫なども設けられ、前田家の家族6人のために約140人の使用人が働いていた。

また、洋館建物の外観はイギリスのチューダー様式の洋館だが、当時最新の鉄筋コンクリート造だ。関東大震災後の宮家や富豪の邸宅と同様に強固な構造で設計され、今回の修理工事でも耐震補強はほとんど必要なかったという。

建物地階にはボイラー室が設けられ、昭和初期としては珍しい全館空調も実現されていた。各部屋には西洋館の室内装飾の要となる暖炉のマントルピースが見られるが、ここにまきをくべて燃やしていたわけではなく、空調の吹き出し口となっていた。

正面玄関から館内に入ると、まずは赤じゅうたん敷きの玄関ホールに目を奪われる。奥へ進むと豪華な木彫を施した階段が2階へと続いていて、この邸内一の見せ場となっている。1階にはこのほか応接室やサロン、大客室、小客室、来客を迎えた大食堂、家族の日常のために用いられた小食堂がある。

正面玄関から奥へ進むと豪華な階段がある(編集部撮影)

小食堂に残るカトラリー類

この小食堂に展示されている、かつて前田家で使用されていた食器、グラスやフォーク、ナイフなどのカトラリー類がなかなかの見もの。会食に用いられたシルバー製のポットやカトラリーはイギリスの老舗・マッピン&ウェッブ社に特注したもの。展示されているもののほかにも用途別、来客人数分の膨大な銀器を保有していた。

小食堂の隅には地下のキッチンから料理を運ぶ電動リフトもある。西洋の一流品とともに、日常生活のなかにはこうした最新の設備が取り入れられていた。

赤じゅうたんの華麗な階段から2階に上がると、こちらは家族のプライベート空間になっている。今回の復元プロジェクトではこの2階をメインに多くの内装がよみがえり、見どころが多い。

この館は戦後に進駐軍に接収され、マッカーサーに次いで連合国軍総司令官として赴任したリッジウェイの住まいとなった。リッジウェイの夫人は看護師であったため、清潔を旨とし、豪華な金唐皮紙の壁紙を真っ白な漆喰塗りに変えてしまった。

2階にある侯爵の書斎(編集部撮影)

2階の侯爵の書斎ではその金唐皮紙の壁面やじゅうたんが復元され、室内の家具調度や本棚の書籍も往事のように設えられている。侯爵夫妻の寝室にはベッドが並べて置かれていてまったくの西洋式だが、その枕元の小さな棚には前田家当主の守り刀が備えられているのには武家ならではの伝統を感じる。室内の家具の多くはロンドンの高級家具店・ハンプトンズ社に特注しイギリスから船便で運ばれてきたもの。

寝室の隣はかつて侯爵夫人のクローゼットルームだったそうだが、さぞかし豪華なドレスや加賀友禅の着物などで満たされていたことだろう。フランス・パリの宝飾店・ショーメの日本国内でのいちばんの上客は前田侯爵夫人だったそうだが、それらの宝石は軍人である前田侯爵が戦時に供出し、失われている。

賓客の接遇の場にもなった

これ以外にも館内の家具やカーテン、じゅうたん、照明などは、前田家で使用されていたものや保管されていたもの、写真をもとに復元されたものが数多く見られる。こんな豪華な邸宅だが、前田家が以前に住んでいた本郷の邸宅はこれよりも規模が大きかったため、もっとこぢんまりした家をということでこの館が建設されたのだとか。

当時数少なかった西洋的なもてなしのできる本格的な洋館だったため、各国の駐日大使や来日した賓客の接遇の場としても使われた。

イギリスに長く滞在し、彼の地の貴族の本物のカントリーハウスがどのようなものであるかも知っていた前田利為が実現した館だが、彼がこの館に住んだのはほんの10年ほど。1941(昭和16)年の日米開戦の翌年、ボルネオ守備軍司令官として戦地に赴き、搭乗していた飛行機が墜落し58歳で没している。

旧前田家本邸のある駒場公園に隣接しては、前田家伝来の文化財を後世に伝えるための財団である尊経閣文庫の建物があり、こちらも本邸の洋館とともに国の重要文化財に指定されている。

また、洋館に隣接した和館や和風庭園も見応えがある。都立駒場公園として、かつての前田家東京本邸全体が残っていることが貴重なのだ。昭和初期に実現された英国風カントリーハウスと加賀百万石の威光は今もここで感じ取ることができる。